表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
204/240

第二百五話 土佐の小京都

 土佐の海は、九州の海とは少し違っていた。


 潮の匂いが濃い。


 山が近い。


 海から見上げる緑が、すぐそこまで迫っている。


 府内を出た阿蘇の大船は、風と潮に助けられ、無事に土佐へ入った。


 親英は、最後まで風を見ていた。


 種茂は、文箱と贈答の品を確認していた。


 義弘は、土佐の山と港を見て目を輝かせていた。


 卜伝は、相変わらず静かであった。


 愛洲小七郎は、船の揺れにもすぐ慣れたらしく、どこか楽しそうである。


 惟種は、それを横目で見て少し思った。


 一人増えたな。


 やはり増えているな。


 そして、宗運に何と言おう。


 だが、それは今考えても仕方がない。


 まずは土佐一条家である。


     ◇


 土佐の湊には、迎えが来ていた。


 武者の数は多すぎない。


 だが、少なくもない。


 威圧ではない。


 軽くもない。


 その加減がよく整えられている。


 先頭に立っていたのは、見覚えのある男だった。


 土居宗珊である。


 惟種は、その姿を見た瞬間、思わず顔が明るくなった。


「これは宗珊殿! ご健勝ですな!」


 声が弾んだ。


 宗珊は、一瞬だけ戸惑ったような顔をした。


 阿蘇の若君が、思ったよりも親しげだったからだろう。


 だが、すぐに姿勢を正し、深く頭を下げた。


「恐れ入りまする。阿蘇殿におかれましても、ご無事の御着き、まことに祝着に存じます」


「うむ。土佐の風はよいな。山も近い」


「土佐は山と海の国にございます」


「よく分かる」


 惟種は頷いた。


 宗珊は、変わらぬ男であった。


 丁寧で、落ち着いている。


 だが、その奥に強い芯がある。


 若き一条家を支えようとする者の顔である。


 惟種は、その顔を見るだけで少し安心した。


 やはり、来てよかった。


 そう思えた。


「此度は、遠路をお越しいただき、土佐一条家一同、深く感謝申し上げまする」


「こちらこそ、招きに応じることができてよかった」


 惟種はそう返した。


 すると、宗珊の目がわずかに揺れた。


 呼びつけたのではない。


 阿蘇が自ら応じた。


 その形を、惟種が崩さずに言ったことが伝わったのだろう。


 宗珊は、もう一度深く頭を下げた。


「ありがたき御言葉にございます」


     ◇


 湊から中村御所へ向かう道は、思った以上に整っていた。


 土佐である。


 遠い国である。


 山が深く、海が近く、九州から見れば辺地にも思える。


 だが、中村へ近づくにつれ、空気が少し変わった。


 寺がある。


 町屋がある。


 道筋がある。


 水の流れが整えられている。


 そして、どこか京に似た匂いがあった。


 もちろん、本物の京ではない。


 京ほど大きくもない。


 人の数も、建物の重なりも違う。


 だが、ただの地方の城下とも違う。


 土佐の山と海の中に、京の形を移そうとした跡がある。


 惟種は、馬上から町を眺めた。


「なるほど」


 思わず呟く。


 宗珊が振り返った。


「いかがされましたか」


「いや。中村御所は、確かに京に近い」


 宗珊の顔が、少しだけ和らいだ。


「恐れ入りまする。先代より、京の風を少しでもこの地へ残そうと努めてまいりました」


「よい町だ」


 惟種は素直に言った。


 土佐の小京都。


 後の世では、そう呼ばれることになる地。


 その言葉が、惟種の頭に浮かんだ。


 ただの飾りではない。


 ここには確かに、京を思わせる華やかさがある。


 公家の名を背負う土佐一条家が、土佐の地で作った独自の武家文化。


 京の雅と、土佐の荒さ。


 その二つが混じっている。


 悪くない。


 いや、かなり面白い。


 惟種は、少しだけ胸が高鳴った。


「殿」


 後ろから種茂の声がした。


「何だ」


「お顔が楽しそうにございます」


「そう見えるか」


「はい」


「気のせいだ」


「では、そういうことに」


 種茂の声が少し宗運に似ていた。


 惟種は聞かなかったことにした。


     ◇


 中村御所の前には、土佐一条家の者たちが並んでいた。


 宗珊が一歩進み、紹介する。


「こちらは、依岡左京進にございます」


 精悍な顔つきの武将が頭を下げた。


「依岡左京進にございます。阿蘇殿にお目通り叶い、恐悦至極に存じます」


「うむ。此度は世話になる」


 惟種は頷いた。


 依岡の名は知っている。


 土佐一条家に連なる者。


 中村周辺の動きに関わる家である。


 次に、宗珊が別の男を示した。


「こちらは、加久見左衛門」


「加久見左衛門にございます」


 落ち着いた声であった。


 顔には派手さはない。


 だが、よく周りを見ている。


 土佐の国衆らしい、土の匂いがある男だった。


「うむ。加久見殿も、よろしくお願いいたす」


「はっ」


 さらに、宗珊はもう一人を紹介した。


「こちらは、安並和泉守にございます」


「安並和泉守にございます。此度の御来訪、まことにありがたく存じます」


「こちらこそ、世話になる」


 安並和泉守。


 これも聞き覚えのある名である。


 惟種は、頭の中の記憶を軽く撫でた。


 土佐一条家の中で、後に名が出てくる者たち。


 今はまだ、目の前で丁寧に頭を下げている。


 それが少し不思議だった。


 未来で名前を知っている者が、今、目の前にいる。


 この感覚には、いつまで経っても慣れない。


 だが、顔には出さない。


 出してはいけない。


「阿蘇惟種である。此度は、土佐一条家との友好を深めるため参った。どうぞよろしくお願いいたす」


 三人は揃って頭を下げた。


 その動きは丁寧だった。


 だが、目は見ている。


 阿蘇の若君。

 その供。

 大船。

 贈答。


 そして、塚原卜伝。


 さらに、愛洲小七郎。


 土佐の者たちは、よく見ていた。


 見られている。


 惟種はそれを感じた。


 ただ歓迎されているだけではない。


 測られている。


 それは当然である。


 阿蘇もまた、土佐を見に来たのだから。


     ◇


 中村御所は、思っていたよりも華やかだった。


 派手という意味ではない。


 作りそのものは、土佐の地に合わせた堅実さがある。


 だが、そこに置かれた調度や、庭の整え方、襖の色、香の匂い。


 そうしたものの端々に、京の名残があった。


 公家の屋敷の雅を、そのまま土佐に移したわけではない。


 土佐の土の上に、京の形を根づかせようとしたもの。


 それが、この御所だった。


 惟種は、静かに息を吸った。


 阿蘇の館とは違う。


 府内館とも違う。


 島津の館とも、相良の館とも違う。


 ここには、土佐一条家だけの空気がある。


 中村御所。


 確かに、見る価値はあった。


 宗運に言えば、また「見物ではございませぬ」と言われそうだが。


 惟種は、心の中で少しだけ笑った。


 そして、すぐに表情を整えた。


 奥へ通される。


 いよいよ、一条兼定との対面である。


     ◇


 広間に入ると、幼い少年が座っていた。


 小柄である。


 まだ、あどけなさが残っている。


 だが、背筋は伸ばしていた。


 袖の中で手を握っているのが、わずかに分かる。


 緊張している。


 それでも、主としてそこに座っている。


 あれが、兼定くんか。


 惟種の頭に、ついそんな言葉が浮かんだ。


 一条兼定。


 後の世では、暗君と呼ばれることが多い名である。


 酒色に溺れた。


 家を傾けた。


 土佐一条家を衰えさせた。


 そんなふうに書かれる名。


 妙な言葉で励まされるような扱いまで受けていた記憶がある。


 だが、目の前にいるのは、ただの幼い子だった。


 九つほどの少年である。


 重い衣を着て、重い名を背負い、重い視線の中で座っている。


 頑張っている。


 惟種は、そう思った。


 頑張っているではないか。


 惟種の胸に、少し柔らかいものが生まれた。


 その横に、もう一人の男がいた。


 一条房通。


 京の一条家の当主。


 兼定の後見として、あるいは京側の見届け役として、この中村御所にいる男である。


 惟種は、その顔を見た瞬間、胸の奥に小さな棘を感じた。


 笑っている。


 穏やかな笑みである。


 品もある。


 いかにも京の公家らしい、整った物腰であった。


 だが、その笑みの奥に、何かがあった。


 歓迎ではない。


 いや、歓迎はしているのだろう。


 阿蘇を敵に回す気はない。


 むしろ、丁重に扱うつもりはある。


 だが、それだけではない。


 値踏みしている。


 惟種は、そう感じた。


 遠国の若き主。


 九州を大きく動かした子ども。


 使えるのか。


 利用できるのか。


 あるいは、どの程度まで下に見られるのか。


 そんな視線が、笑みの裏から薄く伸びてくる。


 もちろん、表には出ていない。


 言葉にも出ていない。


 ただの直感である。


 だが、惟種はその直感を無視しなかった。


「遠路、ようこそお越しくださいました」


 房通が穏やかに言った。


「阿蘇殿の御名は、京にもよく聞こえております」


「恐れ入ります」


 惟種は丁寧に頭を下げた。


 余計なことは言わない。


 宗運がいなくても、それくらいは分かっている。


 兼定も、少し遅れて頭を下げた。


「一条兼定にございます。阿蘇殿、此度はよくお越しくださいました」


 声は、まだ幼い。


 だが、一生懸命に整えていた。


 惟種は、自然と表情を柔らかくした。


「阿蘇惟種にございます。兼定殿にお目にかかれて、嬉しく思います」


 兼定の目が、ほんの少しだけ丸くなった。


 おそらく、思っていたよりも惟種が親しげだったのだろう。


 それでも、すぐに姿勢を正す。


「こちらこそ、阿蘇殿との御縁、ありがたく存じます」


 頑張っている。


 本当に頑張っている。


 惟種は、内心で小さく頷いた。


 その幼い背の後ろに、土居宗珊がいる。


 そして、横に一条房通がいる。


 この二人が、今の土佐一条家を支えているのだろう。


 いや、支えているというより、仕切っている。


 宗珊は、土佐の現実を見ている。


 国衆、兵、港、道、米、山。


 土佐の地に根を張り、兼定を支えようとしている。


 房通は、京の理と家の格を見ている。


 一条の名。


 公家の面目。


 都との縁。


 そして、おそらくは阿蘇という札。


 同じ一条家を見ていても、二人の見ているものは違う。


 惟種は、それを感じた。


 広間は華やかだった。


 香が静かに流れている。


 庭は美しい。


 兼定は幼く、懸命に主として座っている。


 宗珊は、控えながらも周囲を見ている。


 房通は、笑みを浮かべて惟種を見ている。


 土佐の小京都。


 その中心は、確かに美しかった。


 だが、兼定の幼い背に乗るものは、あまりに重い。


 そして、その左右にいる者たちの見ている先は、同じではない。


 惟種は、胸に残った棘を押し隠しながら、改めて頭を下げた。


 土佐一条家。


 華やかに見えるこの御所は、思ったよりも危うい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

同作者の別連載
『異世界エンゲージ ~毎日のパック開封でカード使いは帰還を目指す~』
こちらも覗いていただけると嬉しいです。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ