第十八話 歯のある道具
天文十四年(一五四五年)秋。
試し田の稲が刈り取られた。
出来はいい。
いや。
いいどころではない。
「……若君」
村の長が、積まれた稲束と田を交互に見た。
「何だ」
「本当に、同じ田なのでございますか」
「同じだ」
「去年とは、まるで違いますぞ」
惟種は頷いた。
種を選んだ。
水を見た。
肥やしを変えた。
田も均した。
未来の知識を、使えるものから片端から試した。
結果が出るのは当然だった。
(これだけやって、変わらん方がおかしい)
だが。
惟種が今日見せたいものは、豊作だけではない。
「宗傳」
「はい」
「持ってこい」
運ばれてきたのは、奇妙な木枠だった。
上には何本もの鉄の歯が並んでいる。
宗傳が首を傾げた。
「これが、先日作らせておられたものですか」
「そうだ」
宗運も鉄の歯を見る。
「何に使われるので?」
「稲こきだ」
「これで?」
「見ておれ」
惟種は稲束を一つ取った。
穂を鉄の歯へ差し込む。
そのまま引く。
ざざっ。
籾が一気に落ちた。
「…………」
もう一度。
ざざっ。
また落ちる。
扱箸で一本一本しごくのとは比べものにならない。
「こうだ」
惟種は稲束を宗傳へ渡した。
「やってみろ」
「は、はい」
宗傳が恐る恐る通す。
ざざっ。
「おお」
もう一度。
ざざっ。
「……これは」
宗傳が千歯扱きと落ちた籾を見る。
「すごいですな」
「であろう」
惟種が胸を張る。
宗運まで、珍しく感嘆した顔をしていた。
「これほど違いますか」
「慣れればもっと速い」
「扱箸に戻れませぬな」
「戻る必要もない」
惟種は笑った。
「千歯扱きという」
「千も歯はございませぬが」
「細かいことは気にするな」
宗傳が苦笑した。
だが。
宗運は笑わなかった。
「若君」
「何だ」
「これほど速くなれば」
宗運が千歯扱きを見る。
「仕事を失う者が出ます」
惟種の顔から笑みが消えた。
「……そうだな」
稲こきで銭を得ていた者はいる。
特に収穫の時期だけ働く者にとっては、大事な稼ぎだ。
千歯扱きが広がれば。
その仕事は減る。
「では、広めるのをやめられますか」
「いや」
惟種は即答した。
「別の仕事をしてもらう」
「別の仕事?」
「人手が余るなら、人手が足りんところへ回せばいい」
宗傳が首を傾げる。
「例えば?」
「鉱山でもいい」
「はい」
「荷運びでも、道普請でも、工房でもいい」
惟種は指を折る。
「産婆の手伝いでもいい。子守でもいい。年寄りの世話でもいい」
宗傳が目を瞬かせる。
「ずいぶん違う仕事になりますな」
「今まで手が足りなかった仕事はいくらでもある」
千歯扱きで。
人の時間が空く。
ならば。
その時間まで使えばいい。
「それと」
惟種は続けた。
「村を回る仕事もあっていい」
「村を?」
「市の日を知らせる。仕事があることを知らせる。新しい農具のことも話す」
「なるほど」
「阿蘇では米が取れた。飢えておらぬ。市も賑わっている。そういう話もしてもらえばいい」
そこで。
宗運の目がわずかに細くなった。
「若君」
「何だ」
「村々を回るのであれば」
「うむ」
「戻ってきた折に、その村で見聞きしたことも聞けますな」
惟種が宗運を見る。
「見聞き?」
「見慣れぬ者が来た」
「うむ」
「妙な噂がある」
「うむ」
「どこで病が出た。どこで揉め事があった。誰が困っている」
「…………」
「そうしたことも、自然と耳へ入りましょう」
惟種は。
少し黙った。
(なるほど)
こちらから伝えることしか考えていなかった。
宗運は。
向こうから拾ってくることまで考えている。
「おぬし」
「はい」
「自分の手の者を増やすつもりだな」
「阿蘇家のためにございます」
「否定せぬのだな」
「使えるものを使わぬ理由がございませぬ」
「……そうだったな」
この男は。
やはり一枚上だった。
宗運が問う。
「その者らへ払う銭は?」
「わしが稼ぐ」
「…………」
宗傳まで黙った。
「若君」
宗運がゆっくりと言った。
「それは、たいそうなことを申されますな」
「そうか?」
「働き口まで御家で用意する、と仰せなのですぞ」
「全部とは言わん」
惟種は肩をすくめた。
「だが、千歯扱きでなくなる稼ぎなど、全体から見れば大した額ではない」
玻璃がある。
水飴がある。
鍛冶も動き始めた。
これから鉄も作る。
まだまだ稼ぐつもりだ。
「そのくらいは、わしが稼ぐ」
惟種は宗運を見る。
次に宗傳を見る。
「だから」
二人へ言った。
「力を貸してくれ」
宗傳が目を丸くする。
宗運は。
少しだけ黙った。
やがて。
「でしたら」
「うむ」
「まず、家の収支を見まする」
「収支?」
「水飴、玻璃、鍛冶」
「それらの利を見れば、家で雇える人数も出せます」
惟種は頷いた。
「次に」
宗運が千歯扱きを見る。
「これ一つで、どれほど手が浮くかを量ります」
「うむ」
「一台作るのに要る鉄、木、鍛冶の手間」
「うむ」
「何台作れば、どれほどの村へ回せるか」
「うむ」
「そこから逆に考えまする」
「逆に?」
「はい」
宗運は静かに言った。
「家が何人を雇えるか」
「うむ」
「その人数から、千歯扱きをどこまで広げられるかを決めます」
惟種が目を瞬かせた。
「道具の数からではないのか」
「道具だけ広げて、人が余ってから考えるのでは遅うございます」
「…………」
「そこまで含めて広げます」
宗運は。
何でもないことのように言った。
「そして」
「うむ」
「浮いた者は、適材適所に配置いたしましょう」
「産婆に向く者は」
「産婆へ」
「力のある者は」
「山や道へ」
「工房に向く者は」
「工房へ」
「話の上手い者は」
宗運の口元が。
ほんの少しだけ動いた。
「その者らには、別の使い道もありそうですな」
惟種は。
もう聞かなかった。
たぶん。
聞けば仕事が増える。
「……任せる」
「承知しました」
「私もお手伝いいたします」
宗傳も頭を下げた。
「頼む」
◇
その日の夕刻。
村の長は、もう一度田を見ていた。
刈り取られた稲。
積まれた籾。
千歯扱き。
どれを見ても。
今までとは違う。
「若君」
「何だ」
「これは、すごいことにございます」
「そうか」
「そうか、ではございませぬ」
村の長は苦笑した。
だが。
すぐに表情を曇らせる。
「ただ……」
「何だ」
「これが広まれば、隣の村々は大変でございましょうな」
「なぜだ?」
惟種が聞き返した。
村の長は驚いた顔をした。
「見れば、欲しくなりましょう」
「何をだ」
「全部でございます」
田を指す。
「阿蘇の村だけ実りが多い」
籾を見る。
「阿蘇の村だけ腹いっぱい食える」
千歯扱きを見る。
「仕事まで早く終わる」
村の長は遠くの山を見る。
「隣村の者がこれを見れば、なぜ自分たちは違うのかと思いますぞ」
「…………」
惟種は黙った。
「阿蘇に生まれればよかった」
村の長が続ける。
「阿蘇の殿様の下ならよかった、と」
「……なるほど」
惟種は田を見る。
豊かになる。
腹いっぱい食える。
仕事も楽になる。
銭も稼げる。
それを。
隣から見せる。
(そうか)
戦わなくても。
欲しがらせることはできる。
「宗運」
「はい」
「決めた」
宗運が惟種を見る。
「何をでございます」
「これを、阿蘇家の方針にする」
「これを?」
「阿蘇に従えば飢えぬ」
惟種は言った。
「阿蘇へ来れば、今より豊かになれる」
宗傳が息を呑む。
「それを見せつけるので?」
「そうだ」
米がある。
仕事がある。
市がある。
銭がある。
「他家より豊かになる」
惟種は田の向こうを見た。
「そうすれば、人は阿蘇を見る」
「そして」
宗運が静かに続けた。
「阿蘇へ寄る」
「うむ」
惟種は笑った。
「戦だけが、国を取る道ではない」
一拍。
「豊かさで、人を取る」
宗運が黙る。
「これが」
惟種は言った。
「わしの取る道だ」
しばらく。
誰も口を開かなかった。
やがて宗運が言う。
「でしたら若君」
「何だ」
「まずは御屋形様に、お認めいただかねばなりませぬな」
「…………」
惟種が固まった。
「そうだった」
宗傳が吹き出した。
宗運も。
ほんの少しだけ笑った。
◇
村の長だけは。
笑えなかった。
目の前にいる若君を見る。
小さい。
まだ。
五つ。
五つなのだ。
なのに。
田の実りを増やし。
人の仕事を変え。
余った人手まで使おうとし。
その豊かさで。
他家の民まで引き寄せようとしている。
村の長は。
知らず頭を下げていた。
「これは……」
その先が。
言葉にならなかった。




