第十七話 火を絶やさぬために
天文十四年(一五四五年)七月下旬。
矢部の外れに設けた新しい鍛冶場では、朝から槌の音が絶えなくなっていた。
鍬や鎌、釘、蝶番などを作り、農具だけでなく玻璃工房で使う鉄の道具や、壊れた工具の修理まで請け負わせている。試しに作らせた鍬先の評判も悪くなく、村々から少しずつ注文が入り始めていた。
「鍬先の注文が、また増えております」
田代宗傳から報告を受け、惟種は満足そうに頷いた。
「上々だな」
玻璃で得た銭を鍛冶へ入れ、鍛冶場で物を作り、それが売れればまた銭になる。
今のところは、狙い通りだった。
「ですが若君」
「何だ」
「困ったことも出てまいりました」
宗傳が一枚の書付を差し出した。
「炭が要ります」
「だろうな」
「……ご存じだったので?」
「鉄を熱するのだぞ。炭が要るのは当然だろう」
「それはそうなのですが」
宗傳が何とも言えない顔をする。
「では、山から木を切らせますか」
「切る」
惟種は即答した。
「ただし、好き勝手には切らせるな」
「と申しますと?」
「炭にする木を選ぶ」
惟種は近くに置いていた山の絵図を広げた。
「炭に向く木がどこにどれだけあるか調べろ。若い木まで片端から切るな。切る場所を決めて、次に使える木を残す」
「山を使い切らぬように、ということですか」
「そうだ」
鍛冶場が大きくなれば炭の消費も増え、さらに製鉄まで始めれば、その量は今とは比べものにならない。目先の必要だけを考えて山を禿げさせれば、工房そのものが長続きしない。
「それから、大きな木は残せ」
「大きな木?」
「太くて長いもの。真っすぐ伸びているもの。それと、形のよいものもだ」
「炭には使わぬので?」
「絶対に使うな」
宗傳が眉を寄せた。
「何に使われるのでございます」
「後で使う」
「何に?」
「そのうち分かる」
「また、それでございますか」
「今は炭の話だ」
惟種は笑った。
「炭を作るために山を食い潰して、鍛冶場の方が先に死んでは意味がない」
「……承知しました。山も調べさせます」
「頼む」
「炭に向く木、大木、それから若木の残り方を見ればよろしいので?」
「いや」
惟種は鍛冶場の奥へ視線を向けた。
「もう一つある」
「まだございますか」
宗傳が嫌な予感でもしたような顔をした。
その先には、玻璃で火を囲った小さな灯りや一輪車、縄を掛けるための滑車、丈夫に作らせたつるはし、鉄の楔、小型の槌など、農具とは少し違う道具が並んでいた。
宗傳はしばらく無言でそれらを眺め、やがてゆっくりとつるはしへ手を伸ばした。
「……若君」
「何だ」
「まさか」
宗傳が振り返る。
「今度は山を掘るおつもりで?」
「そうだ」
「やはり!」
惟種は楽しそうに笑った。
「よく分かったな」
「分かりまする! これだけ並んでおれば!」
「なら話が早い」
「早くございませぬ!」
宗傳が思わず声を上げた。
「鍛冶場がようやく動き始めたところでございますぞ」
「だからだ」
「また、だからでございますか」
「鍛冶場が大きくなれば、鉄をもっと使う」
農具や工具、金具、馬具、いずれは武具や鉄砲まで、作る物が増えるほど必要な鉄も増える。
「いつまでも買うだけでは足りなくなる」
「ゆえに?」
「自分たちで掘る」
「若君」
宗傳が頭を抱えそうな顔になった。
「鉄というものは、山を掘れば都合よく出てくるものではございませぬ」
「知っておる」
「では」
「だから、出る場所へ行く」
「……場所を、ご存じなので?」
「うむ」
惟種は何でもないことのように答えた。
「赤水」
指を一本立てる。
「狩尾」
二本目。
「永草」
三本目。
「まず、この三か所を調べろ」
宗傳が黙った。
「おおよその場所は分かる。絵図へ印を付けるから、その周囲を見てこい」
「……なぜご存じなのでございます」
「夢だ」
「また夢でございますか」
「便利だろう」
「便利すぎて、もはや怖うございます」
「慣れろ」
「慣れたくはございませぬ」
◇
調査には北里政久を向かわせることになった。
ただし、惟種が命じたのは鉱石を探すことだけではない。
「山だけを見るな」
「は」
「道を見る」
「はい」
「川を見る」
「はい」
「炭に使える木がどこにあるかも見ろ」
「承知しました」
「荷を運べる道があるか。なければ、どこへ通せそうか。それもだ」
政久が少し考える。
「鉱石があっても、運べねば意味がないと」
「そうだ」
「炭も同じ」
「うむ」
「川を見るのは?」
「後で使う」
「……またですか」
横で聞いていた宗傳が小さく呟いた。
「何だ」
「いえ」
政久は慣れたもので、そのまま話を続ける。
「大木は」
「切るな。場所だけ記せ」
「太く真っすぐなもの」
「それと、妙に形のよいものもだ」
「承知しました」
宗傳が首を傾げる。
「曲がった木まで残すので?」
「曲がっているから使えることもある」
「何に」
「だから後でだ」
「…………」
宗傳は諦めた。
◇
それから数日後。
調査に出ていた政久が戻った。
机の上には、赤茶けた土や黒みを帯びた石、普通の石より明らかに重いものなどが並べられた。
宗傳がその一つを持ち上げ、しばらく手の中で転がした。
「……本当にございましたな」
「だから言っただろう」
惟種は得意げだった。
政久が絵図を広げる。
「赤水、狩尾、永草。いずれも若君が示された辺りで、鉄を含むと思われる石が見つかっております」
「量は」
「まだ分かりませぬ。表へ出ているものを拾い、周囲を見ただけにございます」
「それでいい。次は少し掘ってみろ」
「は」
「山は?」
政久が別の印を示した。
「炭に使えそうな木は多うございます。ただ、ところによっては道が悪く、運ぶには手を入れる必要がありそうです」
「川は」
「使えそうな場所がいくつか」
「よし」
「それと、大木も言いつけ通り記しております」
「どのようなものがあった」
「太いもの、長く真っすぐなもの。それと、若君が申された通り、妙に曲がりのよい木もいくつか」
惟種の目が僅かに動いた。
「それも絶対に切るな」
「承知しました」
宗傳が横から口を挟む。
「本当に炭にはなさらぬので?」
「しない」
「惜しゅうございますぞ」
「今、炭にしてしまう方が後で惜しくなる」
「……分かりませぬ」
「今はそれでいい」
その時だった。
「若君」
低い声がした。
甲斐宗運が入ってくる。
机の上に並んだ石を見て、一つを手に取った。
「これも」
「うむ」
「夢にございますか」
「そうだ」
「左様にございますか」
宗運はそれ以上聞かなかった。
もはや夢という言葉に突っ込むこと自体を諦めたのかもしれない。
石を机へ戻す。
「では、次は採掘を?」
「始める」
「小さく、でございますな」
「最初はな」
「安心いたしました」
「それと、製鉄所も作る」
宗傳が顔を上げた。
宗運の目が僅かに細くなる。
「……製鉄所まで?」
「掘った石を、そのまま鍛冶場へ持っていっても使えんだろう」
「それは、まあ」
惟種は机の石を指で叩いた。
「山から鉱石を掘り、木を管理して炭を作り、その炭で鉱石を鉄にして鍛冶場へ回す」
惟種は二人を見る。
「そこまで全部、自分たちでやる」
宗傳の顔から、また少し血の気が引いた。
「鍛冶場を作る話ではなかったのでございますか」
「鍛冶場を動かすための話だ」
「話が大きくなりすぎております」
「必要だから仕方ない」
「若君の『必要』は、いつも範囲が広すぎまする」
「褒めておるのか」
「まさか」
◇
「一度に進められるのでございますか」
宗運が尋ねた。
「全部を一度には無理だ」
惟種もそこは分かっている。
「だが、順番に始めることはできる」
「まず何を」
「場所だ」
惟種は絵図を引き寄せた。
「鉱山から遠すぎず、炭を運べる。水もある場所」
「水?」
「うむ」
「製鉄に水を使われるので?」
「水そのものではない」
惟種は川筋を指でなぞる。
「水車を使う」
宗傳は首を傾げた。
「水車なら、村にもございますが」
「うむ」
「米を搗くのではなく?」
「鞴を動かす」
宗傳の手が止まった。
宗運も惟種を見る。
「……水車で、鞴を?」
「そうだ」
「そのようなことができるのでございますか」
「できる」
水車そのものは珍しくなく、川の流れで車を回し、その力で米を搗くことなら皆知っている。
だが、惟種が欲しいのは、回ることそのものではなかった。
「水車の軸へ仕掛けを付ける」
惟種は紙を引き寄せ、簡単な絵を描き始めた。
「回る力を、押して引く動きへ変える」
「回るものを?」
「こうだ」
軸、突起、棒、鞴を簡単な線でつなぎ、荒いながらも原理が分かるように描いていく。
「水車が回れば、この部分が棒を押す」
「はい」
「回れば離れる」
「すると」
「鞴が押され、戻る」
宗運が図を覗き込んだ。
「繰り返し、ですか」
「うむ」
「人が踏まずとも」
「水が流れている限り動く」
宗傳が図と惟種を交互に見る。
「水車に、このような使い方を?」
「使えるものは使えばいい」
「簡単に申されますな」
「原理は簡単だ」
「作る方は大変なのでございますが」
「そこは鍛冶と大工に頼む」
「……結局、我らへ戻ってくるのですな」
「当然だ」
◇
「なぜ、そこまでして鞴を動かすのでございます」
宗運が尋ねた。
「火だ」
「火?」
「今までより、もっと多く風を送りたい」
惟種は炉の形まで書き足していく。
「人が鞴を動かしても鉄は作れる。だが疲れるし、送る風も揺れる」
「水車なら違うと」
「水さえ安定して流れていれば、長く動かせる」
「風も一定に」
「今よりな」
惟種は頷く。
「炉も変える。壁も厚くする。火に耐える土を選ぶ。炭の入れ方も、鉱石の入れ方も決める」
「玻璃の炉とは違うのでございますな」
「当然だ」
だが、玻璃工房で得た経験は使える。
高い熱を扱い、炉を壊れにくくし、燃料を安定して入れ、空気を送り続ける。そして温度が落ちる原因を探すという考え方は同じだった。
「もっと高い熱を、長く保つ」
「そのための水車」
「そうだ」
宗傳が腕を組む。
「では、人の鞴はなくすので?」
「いや」
惟種は首を振った。
「人でも動かせるようにはしておけ」
「なぜです」
「水が減ることもある。壊れることもある。水車だけに頼ったら、止まった時に全部止まる」
宗運が小さく頷く。
「備えを残すと」
「うむ」
「若君にしては慎重にございますな」
「どういう意味だ」
「そのままの意味にございます」
「宗運」
「はい」
「最近、おぬしも宗傳に似てきたぞ」
「それは困りましたな」
「こちらの台詞です」
宗傳がすぐに返した。
◇
そこから、さらに話を詰めていった。
川なら何でもいいわけではない。
一年を通して水量が大きく落ちにくく、大水でも壊されにくい場所。さらに、鉱石や炭を運び込み、出来上がった鉄を鍛冶場まで運べる道があり、炉を置いても周囲へ延焼しにくい土地が必要だった。
「政久にも見せろ」
「承知しました」
「山だけではなく、今度は工房を置く場所まで調べさせる」
「また仕事が増えますな」
「政久なら喜ぶだろう」
「それはどうでしょう」
宗傳の返事は冷たかった。
◇
それからしばらくして。
川沿いに、新しい仕掛けが組み上がった。
水車そのものは見慣れたものだが、その横へ伸びる太い軸と、そこから先の仕掛けが違う。
水を受け、水車が回る。
ぎい。
ごと。
回転が軸へ伝わり、そこに設けた仕掛けが棒を押し、離れ、また押す。そのたびに鞴が縮んでは戻り、炉へ風を送り込んでいく。
ごう、と音を立てて炎が勢いを増した。
「……動きましたな」
宗傳が呟く。
「だから動くと言っただろう」
「若君の『動く』は、実物を見るまで信用しづらいのでございます」
「玻璃も作っただろう」
「ゆえに余計に怖いのです」
宗運は二人のやり取りには加わらず、仕掛けの方をじっと見ていた。
「人が押しておらぬ」
「うむ」
「それでも鞴が動き続ける」
「うむ」
「水が流れる限り」
「そうだ」
火は弱まらず、一定の間隔で風が入り続ける。
水量や仕掛けの調整は必要だったが、惟種が考えていた通りに動いている。
これなら、さらに改善できる。鞴を増やし、送る風を強くし、水車や炉そのものも改良できる。
まだ始まりにすぎない。
山から木を得ても使い潰さず、鉱石を掘って道を整え、水の力で炉へ風を送り鉄にする。その鉄を鍛冶場へ回し、農具や工具、新しい設備を作る。
そうして一つの技術が、また次の技術を生んでいく。
ようやく、それが形になり始めていた。
「宗運」
「はい」
「この仕組みは残せ」
「水車と鞴を、でございますか」
「それだけではない」
惟種は回り続ける軸を見る。
「回る力を、別の動きへ変える仕掛けだ」
宗運が再び水車へ目を向ける。
「これから先、使うことが増える」
「製鉄以外にも?」
「うむ」
「何に」
惟種は少し笑った。
「そのうち分かる」
少し離れたところで、宗傳が天を仰いだ。
「またそれでございますか」
「便利だろう」
「その言葉も、もう聞き飽きました」
水車は変わらず回り続けている。
炭を作る山、鉱石を掘る山、鉄を作る炉、物を作る鍛冶場、そしてそれらを結ぶ道。
今はまだ、小さい。
だが惟種には、その先が見えていた。
鍛冶場を一つ作っただけのつもりはない。
阿蘇で鉄を作り、使い、さらに次の物を生み出せる仕組みを作る。
その最初の歯車が、今ゆっくりと回り始めていた。




