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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第十五話 若君、評定の端へ座す

 それから数日後。


 阿蘇惟種は、父から呼び出しを受けた。


 田代宗傳に案内された先を見て、思わず足を止める。


「……ここか」


 いつもの部屋ではない。


 評定の間だった。


 隣にいた宗傳が小さく頷く。


「御屋形様がお待ちにございます」


「わしも入るのか」


「そのためにお呼びになったのかと」


「それはそうだが」


 分かってはいる。


 それでも、五歳の身で評定の間へ入るというのは妙な緊張があった。


 宗傳が襖を開く。


 中には父の阿蘇惟豊と甲斐宗運がおり、その周囲には、蔵を預かる者、土地や村々を見る者、兵や馬を扱う者、領内の職人や商いに関わる者など、阿蘇家中の者たちがすでに座っていた。


 いずれも、惟種より遥かに年長の者ばかりである。


 入った瞬間、いくつもの視線がこちらへ向いた。


(……これは重いな)


 水飴を作る時に台所の者たちから見られたのとは、まるで違う。


「惟種」


「はい、父上」


「そこへ座れ」


 惟豊が示したのは、自分の隣ではなかった。


 宗運に近い、評定の端である。


 若君として上座へ座らせるのではなく、この場そのものを見せるために呼んだらしい。


 惟種が腰を下ろすと、父は言った。


「今日は、まず聞け」


「はい」


「おぬしが預けられた銭を何に使うかだけなら、ここまで人を集める必要はない」


 惟種は父を見る。


「だが、鍛冶を寄せ、工房を置くとなれば話は別だ。人も土地も動く。炭も鉄も要る。今ある鍛冶の仕事にも関わる」


「……はい」


「ゆえに評定する」


 なるほど。


 玻璃で得た銭を次の殖産へ使うこと自体は、すでに父から認められている。


 だが、銭さえあれば工房ができるわけではない。職人だけでなく、土地や燃料、鉄、運搬まで必要になる。


 それらを阿蘇家全体から動かすとなれば、惟種一人の裁量では済まない。


 惟豊が宗運へ視線を向けた。


「始めよ」


「は」


     ◇


 宗運が皆を見回した。


「議は、鍛冶の工房についてにございます」


 室内の空気が僅かに締まる。


「先般、若君が始められました玻璃は、最初に外へ出した品だけで六十三貫の売上となりました。原料、人足、職人、商人へ渡す分を差し引いても、十分な利が残っておりまする」


 六十三貫。


 改めて評定の場で口にされると、惟種自身にも重く聞こえた。


「その利の一部は御家へ入れ、水飴と玻璃を続けるための元手も残しております。その上で、御屋形様より若君へ預けられた銭を、新たな殖産へ用いることが認められておりまする」


 そこまでは、すでに決まっている。


「若君は、その銭の一部を使い、館の近くへ新たな鍛冶の工房を設けることを望まれております」


 宗運は続けた。


「腕の立つ鍛冶を数名、それに若い者を寄せ、まず農具、工具、刃物、馬具、金具などを作らせる。玻璃工房で使う道具も、そこで整える考えにございます」


 そこで一人の家臣が手をついた。


「お待ちくだされ」


 年嵩の男だった。


「申せ」


 惟豊が許す。


「玻璃が思いのほか銭になったことは喜ばしゅうございます。されど、その銭が今後も同じように入るとは限りませぬ」


「うむ」


「今年はよくとも、来年は凶作があるやもしれぬ。戦となれば、銭はいくらあっても足りませぬ」


 別の者も口を開く。


「私も同じ考えにございます。六十三貫もの銭が動いたからこそ、まず蓄えるべき分を厚くする方がよろしいかと」


 惟種は黙って聞いた。


(まあ、それはそうだな)


 自分には次の銭を生むための元手に見えているが、蔵を預かる者からすれば、ようやく入ってきた余裕である。


 何かあった時の備えとして残したいのは当然だった。


 ところが、反対はそれだけではなかった。


「鍛冶を集めるという話も気になりまする」


 今度は土地や村々を見る者だった。


「腕の立つ者を館へ寄せれば、その者がおった村はどういたします」


 惟種が目を向ける。


「農具を直す者が減れば、困るのは百姓にございます」


「代わりを置けば――」


 思わず口を挟みそうになり、宗運の視線に気づいた。


 何も言われていない。


 ただ、見られただけだった。


 惟種は口を閉じる。


 父に言われた。


 まず聞け、と。


「それに」


 別の家臣が続けた。


「若君の工房へ良い炭や鉄を優先して集めれば、今まで仕事をしてきた鍛冶が困りましょう」


「左様」


「値が上がれば、村々で使う農具にも響きまする」


「そもそも鍛冶ならば、すでに各地におります」


「わざわざ一か所へ寄せ、銭を掛けて新たに工房を設ける必要がございましょうか」


 次々に声が出た。


 誰も玻璃が売れたことを否定しているわけでも、惟種を嫌って反対しているわけでもない。それぞれが、自分の担当から見える危険を口にしているだけだった。


(……なるほど)


 少しずつ、惟種にも見えてきた。


 蔵を預かる者には銭を残す責任があり、村を見る者には、そこで働く鍛冶を奪われては困る理由がある。既存の職人を抱える者には、これまでの付き合いと仕事があった。


 さらに、直接口には出さないが。


(五歳のわしが、また家中を動かそうとしている。それ自体が不安な者もいるか)


 それも無理はない。


 病から起き上がって、まだ三月。その間に水飴を作り、玻璃を作り、今度は鍛冶だという。


 惟種には一本の道に見えているが、彼らからすれば、若君が次々と新しいことを始め、そのたびに人と銭を動かそうとしているように見えるのだろう。


(わしには投資でも、向こうには、ようやく入った大金をまた使う話なんだな)


 しかも動くのは銭だけではなく、人も物も、これまでの仕事の流れまで変わる。


 前世で机上の計画書を作っていた時とは違う。


 数字の向こうに、実際に暮らしている人間がいる。


     ◇


「惟種」


 やがて父が呼んだ。


「はい」


「聞いたか」


「はい」


「なら、今度はおぬしが申せ」


 室内の視線が、再び集まった。


 惟種はすぐには話さなかった。


 最初に考えていたことを、そのまま言うだけでは駄目だ。


 今聞いたことを踏まえなければ、この評定に呼ばれた意味がない。


「まず」


 惟種は皆へ頭を下げた。


「皆の申すことは、もっともにございます」


 僅かに空気が動いた。


 真っ向から反論されると思っていた者もいたらしい。


「銭は残さねばなりませぬ。凶作もあれば、戦もある。村から鍛冶を皆連れてくれば、百姓も困ります」


「ならば、この話は」


「やめませぬ」


 惟種は即答した。


 何人かの眉が動く。


「ですが、最初から大きくはいたしませぬ」


「どのほどに」


「腕の立つ鍛冶を数人。それに、学ばせる若い者を何人か」


「数人で何ができます」


「まず試します」


 その言葉に、宗運の口元がほんの僅かに動いた。


「鍬や鎌、工具、金具を作ります」


「今あるものと何が違うので」


「今より良いものを作ります」


「できると?」


「できるものを探します」


 惟種は続けた。


「同じ鍬でも、使いやすく、壊れにくくできれば百姓が助かる。工具が良くなれば、玻璃の工房も、ほかの職人も助かります」


「売り物にもする、と」


「出来が良ければ」


「売れなければ?」


「広げませぬ」


 惟種は迷わなかった。


「最初に使う銭にも限りを置きます。決めたところまで使い、それで成果が出なければ、そこで一度止めます」


 今度は、反対していた者たちも黙った。


「それから」


 惟種は土地を見る家臣へ顔を向ける。


「村で必要とされている鍛冶を、無理には連れてきませぬ」


「では誰を」


「来たい者を募ります。腕のよい者だけでなく、若い者も入れます」


「若い者を?」


「ここで覚えさせます」


 惟種は少し考えてから続けた。


「新しい農具や工具で良いものができれば、館の工房だけで抱え込む必要もありませぬ」


「どういう意味にございます」


「作り方を、各地の鍛冶にも教えます」


 今度は何人かが顔を見合わせた。


「若君の工房だけで作るのでは?」


「全部を一か所で作る必要はないでしょう」


 惟種が欲しいのは、自分の工房だけを大きくすることではない。


 阿蘇全体で、良いものを作れるようになることだ。


「館の工房で新しいものを試し、良いものができたら作り方を残して、覚えたい鍛冶へ教えます。村の鍛冶は村に残したまま、作れるものだけを良くするのです」


 最初に村の鍛冶を心配した家臣が、顎へ手をやった。


「それならば……」


「無理に職人を奪う必要はないか」


「はい」


 惟種は頷いた。


「良い技が広がれば、阿蘇全体が得をします」


     ◇


「しかし」


 別の家臣が口を開いた。


「そこまで鍛冶へこだわられるのは、やはり兵のためにございますか」


 来た。


 惟種は一瞬、宗運を見る。


 鉄砲の話はしない。


 宗運との約束だ。


「いずれは武具にも使います」


 そこまでは隠さなかった。


「ですが、兵のためだけではありませぬ」


「では」


「鍛冶は、稼ぎながら国を強くできます」


 室内が静かになる。


「鍬を作れば田へ返る。工具を作れば職人へ返る。馬具や金具を作れば運ぶ力にも返る。出来の良いものを外へ売れば、銭にもなる」


 一度使って終わる銭ではなく、次の価値を生むための銭だ。


「玻璃の利を鍛冶へ入れれば、確かに蔵の銭は減ります」


 惟種は、反対していた蔵方を見る。


「ですが、なくすつもりはございませぬ」


「では?」


「形を変えます」


「形を?」


「次の銭を生むものへ」


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 惟種は続ける。


「鍛冶がうまくいけば、良い農具が増えます。田が良くなり、工房も良くなり、売れるものも増える」


「それが失敗した時は」


「止めます」


「本当に?」


「はい」


 惟種は宗運を一度見た。


「宗運が止めるでしょうから」


 評定の中に、小さな笑いが起きた。


 宗運だけは真顔だった。


「もちろんにございます」


「そこは否定してくれ」


「なぜに」


 今度は惟豊まで僅かに笑った。


 張り詰めていた空気が少しだけ緩む。


     ◇


「宗運」


 惟豊が言った。


「そなたはどう見る」


「若君の案そのものには理がございます」


「そのまま通すか」


「いいえ」


 宗運は即答した。


 惟種が横を見る。


「まず、使う銭に上限を設けます」


「うむ」


「工房も小さく始める」


「はい」


「すでに村々で必要とされている鍛冶を、無理に引き抜かぬ」


「はい」


「来る者には相応の利を示す。特に腕のよい者へ、ただ命じて働かせるようなことはいたしませぬ」


 惟種も頷いた。


「それがいい」


「そして三月」


「三月?」


「まず三月で量りましょう」


 宗運が皆を見回す。


「作った農具と工具の出来、使った銭、売れた物、村々からの評判。それらを見て、続けるかを再び決めまする」


「三月で足りるか」


「全てを見るには短うございましょう。されど、何も見えぬほどではございませぬ」


 蔵を預かる家臣が尋ねる。


「使う銭の上限は」


「後ほど詰めまする。少なくとも、玻璃で得た利を一度に使い切るようなことはいたしませぬ」


「それならば」


 誰かが呟いた。


「村の鍛冶を無理に抜かぬのであれば」


「三月で一度見直すのであれば」


「新しい農具が本当に良いものであれば、こちらとしても助かりまする」


 全員が賛成したわけではなく、まだ不安そうな者もいる。


 それでも、最初のような賛成か反対かだけの話ではなく、「どの条件ならできるのか」という議論へ変わっていた。


(……これか)


 惟種は宗運を見た。


 以前から宗運がしてきたこと。


 惟種の言葉をそのまま通すのではなく、人が飲める形へ変え、危険を減らし、条件を付けたうえで結果を見て次へ進む。


 ようやく少し、その意味が分かった。


     ◇


「よし」


 最後に惟豊が決めた。


「鍛冶の工房は設ける」


 皆が頭を下げる。


「ただし、小さく始めよ。三月を一区切りとし、使った銭と成果をもう一度評定へ出せ」


「は」


「職人を無理に奪うな。村々へ支障を出すな」


「承知いたしました」


「宗運」


「は」


「差配せよ」


「承知いたしました」


「惟種」


「はい」


「おぬしも見るのだ」


「鍛冶を、ですか」


「違う」


 惟豊は評定の間を見回した。


「人をだ」


 惟種は黙った。


「今日、反対した者がおったな」


「はい」


「邪魔をされたと思うか」


「……最初は、少し」


 正直に答えると、何人かが困ったような顔をした。


 惟豊は気にしない。


「今は」


「違います」


「何が違った」


 惟種は少し考えた。


「守ろうとしているものが、それぞれ違いました」


 蔵を預かる者は、いざという時の銭を守ろうとしていた。村を見る者は、百姓が困らないよう鍛冶を残そうとしており、既存の仕事を知る者は、これまでのつながりが壊れることを恐れていた。


「そうだ」


 惟豊が頷く。


「誰が何を守ろうとしておる」


「はい」


「何を失うことを恐れておる」


「はい」


「そして」


 惟豊は息子を見る。


「何を得れば、その者が動ける」


 惟種は父の言葉を黙って聞いた。


「それを見よ」


「はい」


「おぬしが正しいと思うことと、皆が納得して動けることは同じではない」


「……はい」


「国は、理だけでは動かぬ」


 その言葉は、惟種の胸へ残った。


「心得ました」


 深く頭を下げる。


 五歳の若君に対して教えるには、難しい話なのかもしれない。


 だが惟豊は、子供向けに言葉を変えなかった。


 惟種も、それでよかった。


     ◇


 評定が終わり、惟種は宗運と並んで廊下を歩いた。


「若君」


「何だ」


「初めての評定はいかがでございました」


 惟種は少し考えた。


「面倒だ」


「左様にございます」


 宗運は即答した。


「そこは否定しないのか」


「評定が簡単であれば、皆これほど苦労いたしませぬ」


「正しいことを言えば通ると思っておった」


「若君らしいお考えにございますな」


「褒めておらぬな」


「さて」


 惟種は息を吐いた。


 ただ、不快ではなかった。


 知らなかったものを、一つ知った。


「宗運」


「は」


「おぬし、最初からわしが口を出したくなると分かっておったな」


「もちろんにございます」


「だから止めたのか」


「御屋形様が、まず聞けと申されましたので」


「先に言ってくれればよかったではないか」


「何を」


「反対する者にも理由がある、と」


 宗運は少しだけ考えた。


「申したところで、若君は頭では理解されたでしょう」


「うむ」


「ですが、今日ほどは分からなかったかと」


「…………」


 否定できない。


 自分の案に反対する顔を実際に見て、その者が何を恐れているのかを聞いた。そして条件を変えれば、同じ者が「それならば」と言うところまで見た。


 話で聞くのとは違った。


「若君」


「何だ」


「評定は」


 宗運が一拍置いた。


「水飴ほど甘うございませぬゆえ」


 惟種は宗運を見る。


「……うまいことを言ったつもりか」


「さて」


「絶対思っておるだろう」


 宗運の口元が僅かに動いた。


 惟種も、思わず笑った。


 その日、新しい鍛冶工房を起こすことは決まった。


 だが、惟種が得たものはそれだけではない。


 評定に座る者は、それぞれ守るものが違う。蔵を守る者も、村を守る者も、これまでの仕事を守る者もいる。


 正しい案を出すだけでは人は動かず、相手が何を守り、何を失うことを恐れ、何を得れば動けるのかまで見なければならない。


 評定の端で、阿蘇惟種は初めて知った。


 国を作るのは、知識や技術だけではない。

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