第十六話 若君、敵の顔を知る
それから。
惟種は、評定のたびに末席へ座るようになった。
まず聞く。
人を見る。
そして今日は。
家の中ではなく。
外の話だった。
◇
「相良とは、今のところ静かにございます」
田代快尊が言った。
「名和も同じく。ただし」
「静かなだけ、か」
惟豊が問う。
「はい」
合志伊勢守が続ける。
「利があれば動きましょう。和しているからと、気を許す相手ではございませぬ」
宗運が頷いた。
「されど、こちらから敵にする理もない」
「うむ」
惟種は黙って聞く。
相良。
名和。
前世なら。
地図の上で色分けしていた。
敵。
味方。
中立。
だが。
実際はそんなに簡単ではない。
「菊池は?」
惟種が問う。
何人かの視線がこちらへ向いた。
宗運が答える。
「昔日の勢いはございませぬ」
「なら、今は気にせずとも?」
「そうは参りませぬ」
「なぜだ」
宗運は静かに言った。
「家の力が弱うなったことと、名が軽うなったことは別にございます」
「名」
「菊池は菊池にございます」
快尊も頷く。
「肥後で、その名を知らぬ者はおりませぬ」
「担ぐ者が出る?」
「ございます」
「助ける者も?」
「ございます」
惟種は黙った。
兵が少ない。
土地が少ない。
だから弱い。
それだけではないらしい。
名だけでも。
人は動く。
(面倒だな)
だが。
阿蘇も。
大宮司という名を持つ家だ。
他人事ではない。
「大友はどう見る」
惟豊が問う。
黒仁田豊後守が答えた。
「肥後へ、さらに深く手を入れる機会を待っておりましょう」
「攻めてくるか」
「攻める、とは申しますまい」
宗運が口を開いた。
「大友は」
一拍置く。
「鎮める顔で参りまする」
惟種が宗運を見る。
「鎮める?」
「国衆同士が争えば、その仲裁」
「はい」
「家督が揉めれば、その助け」
「はい」
「境が乱れれば、秩序を戻すため」
宗運の声は淡々としている。
「そうして、さらに兵を入れる」
惟種は黙った。
(ああ)
敵が。
敵の顔で来るとは限らない。
むしろ。
助ける顔で入ってくる。
その方が。
ずっと厄介だ。
「大友が兵を出すなら、豊後からか」
惟種が問う。
「それだけではございませぬ」
宗運が答えた。
「筑後?」
「はい」
快尊が口を挟む。
「蒲池など、動かせる者がおりまする」
「蒲池」
惟種は、その名を頭へ入れた。
「強いのか」
「侮れませぬ」
短い答えだった。
それだけに。
惟種は覚えておくことにした。
「城、鹿子木、赤星、隈部」
快尊がさらに名を並べる。
「北と西の国衆も、それぞれに腹がございます」
「今、阿蘇が強く出れば?」
惟豊が問う。
「寄る者もおりましょう」
「なら」
「されど、急げば」
快尊が宗運を見る。
宗運が続けた。
「大友へ助けを求める者も出まする」
惟種は息を吐いた。
強くなれば。
皆が従う。
そんな単純な話でもないらしい。
◇
「若君」
不意に。
黒仁田が惟種を見る。
「はい」
「では、若君は」
一座の目が集まる。
「今の阿蘇の敵を、誰と見られます」
(来たな)
惟種は考えた。
大友。
そう答えるのは簡単だ。
だが。
「敵、と決めてしまえば」
惟種は言った。
「敵は増えます」
部屋が静かになった。
「ほう」
「相良も名和も、今は敵にせぬ方がよろしいかと」
「菊池は?」
「敵にする理由がありませぬ」
「大友は?」
「警戒します」
「敵ではなく?」
「向こうが敵になるまでは」
黒仁田の眉が動いた。
惟種は続ける。
「それより」
「何だ」
「阿蘇に話を通した方が得だと、思わせたいです」
宗運の目が細くなる。
「得、とは」
「商いができる」
「うむ」
「飯が手に入る」
「うむ」
「困った時には話を聞く」
惟種は言葉を選ぶ。
「争わずに済むなら、その方が安うございます」
快尊が低く笑った。
「戦に勝つより、戦をせぬ方が安いか」
「はい」
「若君らしからぬ」
「戦は銭がかかりますので」
惟豊の口元が動いた。
「結局、そこへ戻るか」
「大事にございます」
銭は。
兵を養うためだけにあるのではない。
戦わずに済ませるためにも。
使える。
◇
話は。
先の評定で決まった鍛冶へ移った。
「鍛冶を寄せる件は進めております」
宗運が言う。
「されど、鉄が要る」
合志が腕を組んだ。
「今あるだけでは足りぬでしょう」
「買う先も増やさねばなりませぬ」
宗傳が答える。
買う先。
惟種の頭に。
南が浮かんだ。
「父上」
「何だ」
「南の品の流れを、調べとうございます」
宗運の視線が来る。
「南?」
「新しき火器があると聞きます」
「火縄か」
「はい」
惟種は頷いた。
「鍛冶場で見るために、一挺欲しゅうございます」
「それだけか」
宗運が問う。
「鉄もございます」
「ほう」
「どこから何が入り、何が売られているか。知っておいて損はないかと」
快尊が言った。
「島津筋を見ると?」
「結ぶ話ではございませぬ」
惟種はすぐに答えた。
「ただ、耳は欲しいです」
沈黙が落ちた。
宗運が口を開く。
「南を知ること自体に、異存はございませぬ」
惟豊も頷く。
「北を見るなら、南も見よ」
「はい」
「ただし」
宗運が惟種を見る。
「勝手に人を出してはなりませぬ」
「……うむ」
また。
釘を刺された。
◇
評定が終わった。
人が去り。
残ったのは。
惟豊。
宗運。
惟種。
「どうだった」
惟豊が問う。
「難しゅうございます」
「何がだ」
「誰が敵で、誰が味方か」
惟豊が笑った。
「最初から決まっておれば楽なのだがな」
「はい」
宗運が言う。
「若君」
「何だ」
「南の話ですが」
「うむ」
「次からは、先に私へ」
惟種は宗運を見る。
「調べるだけだぞ」
「それでもにございます」
「何も結ばぬ」
「若君がそう思っていても」
宗運は静かに言った。
「周りが、そう見るとは限りませぬ」
「…………」
「阿蘇の若君が島津筋を探っている」
「うむ」
「それだけで、大友には意味がございます」
「相良にも」
「はい」
「蒲池にもか」
惟種が聞く。
「無論にございます」
「…………」
こちらは。
鉄砲が欲しいだけ。
情報が欲しいだけ。
だが。
外から見れば。
阿蘇が南へ寄ろうとしているようにも見える。
そこへ。
菊池の名が絡めば。
さらに別の意味を持つかもしれない。
(面倒だな、外交)
顔に出たらしい。
「面倒そうなお顔ですな」
「面倒だ」
「左様にございます」
宗運は平然としている。
惟豊が。
そこで口を開いた。
「惟種」
「はい」
「そなたが先ほど申した」
「はい」
「阿蘇に話を通すと得な家になる」
「はい」
「忘れるな」
惟豊は続ける。
「だが、利だけでも足りぬ」
惟種が顔を上げる。
「威も要る」
「はい」
「筋も要る」
「はい」
そして。
「時には、位もな」
惟種は目を細めた。
位。
朝廷。
京。
幕府。
(父上も、そこを見ているのか)
「まだ先だ」
惟豊が言う。
「はい」
「まずは家を太らせよ」
「承知いたしました」
◇
部屋を出る。
廊下の先には。
宗傳が待っていた。
「若君」
「何だ」
「鍛冶場の人選が上がっております」
「もうか」
「評定は終わりましたので」
「少しくらい休ませぬか」
「仕事は終わっておりませぬ」
「…………」
(そこは前世と変わらんのか)
惟種は息を吐いた。
だが。
歩き出す。
今日。
一つ分かった。
敵も。
味方も。
こちらだけでは決められない。
弱い家でも。
名が人を動かすことがある。
大友が動く時も。
大友の旗だけが来るとは限らない。
何もしていないつもりでも。
相手には。
動いたように見えることがある。
評定の端は。
思っていたより。
ずっと遠くまで見える席だった。




