第十四話 鍛冶を起こす
天文十四年(一五四五年)五月。
あれから三月ほどが過ぎ、惟種の身体はすっかり元へ戻っていた。
「若君。足が止まっております」
「分かっておる」
「では、動かしてください」
「高森。少しくらい手加減せぬか」
「しております」
「……これでか」
庭で高森惟房を相手に木太刀を振る。
まだ五歳の身体であり、病から回復したとはいえ、十五になる高森とまともに打ち合えるはずもない。それでも以前のように少し歩いただけで息が切れることはなくなり、身体は確実に動くようになっていた。
昨日より今日。
今日より明日。
身体も、国も、それでいい。
「そこまでにしましょう」
「まだいける」
「先ほど足が止まっておりました」
「休めば戻る」
「それを疲れたと申します」
「…………」
高森も、最近はずいぶん遠慮がなくなってきた。
惟種は仕方なく木太刀を置き、縁へ腰を下ろした。
北里政久は近在の村へ出ており、光永惟清は水飴と玻璃の帳面を見ているはずだ。
水飴は変わらず売れ続けている。
そして玻璃は、それを遥かに上回った。
玻璃玉や小瓶、酒器。まだ色や気泡の残る品もあるが、この地で作られた珍しい玻璃というだけで欲しがる者は多かった。
有力商人へ渡した品は、その先で武家や寺社へ流れ、追加の注文まで入り始めている。
最初の売りだけで動いた銭は、六十三貫。
もちろん、その全てが利ではない。炉を作るにも銭が掛かり、燃料だけでなく、原料を運ぶ者や職人にも払わなければならない。
それでも、元手を差し引いてなお、これまでとは比べものにならない銭が残った。
(なら、寝かせる理由はないな)
蔵へ積んで眺めるために稼いだ銭ではない。
使えば、次の銭と技術を生む。
前世なら、投資と呼んだだろう。
水飴から玻璃へ。
そして玻璃から、その次へ。
惟種は立ち上がった。
「宗傳を呼んでくれ」
「また何かなさるので?」
「高森」
「はい」
「おぬしまで宗運のようなことを言うな」
「何も申しておりませぬが」
顔に書いてある。
◇
「次をやる」
田代宗傳は、もうその言葉くらいでは驚かなくなっていた。
「何にございますか」
「鍛冶だ」
「鍛冶」
「うむ」
阿蘇にも、農具を直す者や刃物、刀を打つ者、馬具や建物の金具を作る者など、鍛冶はいる。
ただし、それぞれが別々に仕事をしていた。
「腕のいい鍛冶を何人か集めたい」
「一か所へ、でございますか」
「全部ではない」
村々の鍛冶まで引き抜けば、今度は農具を直す者がいなくなる。
「腕のある者を何人か。それと、若い者も欲しい」
「弟子を?」
「うむ。新しいものを覚えさせる」
「何を作らせます」
「まずは農具と工具だ」
宗傳が少し意外そうな顔をした。
「武具ではなく?」
「先にそちらだ」
惟種は指を折った。
「鍬や鎌、刃物、金具、馬具。それに工房で使う道具だ」
「はい」
「良い鍬ができれば田へ返る。良い鎌ができれば作業が早くなる。良い工具ができれば玻璃にも使えるし、荷車の金具が丈夫になれば物も運びやすくなる」
鍛冶は単独の商いではなく、農業や工房、運搬、建築、そして軍にもつながっている。
「余れば売る」
「鍛冶そのものを商いになさるので?」
「売れるものなら売る。ただ、それだけが目的ではない」
「では?」
「阿蘇で物を作る力そのものを上げたい」
宗傳は黙って聞いている。
「玻璃で炉を作った」
「はい」
「高い熱を扱う者も増えた。燃料の集め方も、空気の送り方も、炉をどう作るかも、前より分かる者がいる」
「それを鍛冶へ」
「そのまま使えるわけではない。玻璃の炉と鍛冶の炉は違う。だが、何もないところから始めるよりは早い」
惟種が玻璃づくりで得たものは、銭だけではなかった。
高い熱や炉を扱う経験、何度失敗しても記録しながら品質を上げる仕組み、そしてそれを扱える人間まで残っている。
「玻璃で得た銭を鍛冶へ入れる」
「はい」
「鍛冶が良くなれば、田も市も良くなる」
宗傳がゆっくり頷いた。
「銭が、また別のものを育てる」
「そういうことだ」
◇
「若君」
「何だ」
「そこまでして国を富ませ、その先は」
宗傳が尋ねた。
「やはり兵にございますか」
「それもある」
惟種は庭へ目を向けた。
国を強くするのは、兵の数だけではない。
兵が食う米も、武具や馬、火薬、船、給金も、すべて人と物と銭が要る。
「百姓が戦へ出れば、田から人が消える」
「はい」
「田を耕しておる者を、そのたびに呼び出していては、国そのものが痩せる」
「ですが、常に兵を置けば」
「今度は養わねばならぬ」
「はい」
「だから田を豊かにする」
惟種は宗傳を見る。
「飯を増やす」
「はい」
「市を育てる」
「銭を増やす」
「そうだ」
惟種は頷いた。
「百姓から余計に絞り取って兵を養うのではない。田で兵糧を増やし、市で銭を作る」
「その両方で」
「兵を養う」
宗傳の表情が変わった。
「いずれは」
惟種は静かに言った。
「田へ帰らずとも食える兵を置きたい」
「常に兵として働く者を?」
「うむ」
「家が養う」
「そうだ」
今すぐできる話ではなく、五百人、千人を養うだけでも簡単ではない。
それでも、そこへ進まなければ先はない。
戦になった時だけ百姓を集める家と、日頃から訓練した兵を抱える家では、同じ人数でも強さが違う。しかも百姓を田から引き剥がし続ければ、今度は国を支える飯が減る。
だから先に、飯と銭を増やす。
「……大きな話にございますな」
「だから今日作る話ではない」
惟種は笑った。
「まず鍛冶だ」
「承知いたしました」
宗傳が頭を下げる。
そこで惟種は、
「それと」
と続けた。
「鉄砲を一挺、手に入れたい」
宗傳の顔が引き締まった。
「鉄砲にございますか」
「うむ」
「南より伝わったという、あの」
「それだ」
「かなり高価と聞きまする」
「構わぬ」
「何にお使いになります」
惟種は一瞬考えた。
ここから先は、宗傳にまで話す必要はない。
宗運との約束を思い出す。
「宗運に直接話す」
宗傳は一度だけ惟種を見た。
「承知いたしました」
「手に入りそうかだけ調べてほしい」
「それならば」
「すぐでなくていい。ただ、本物が一挺欲しい」
「宗運様へお伝えいたします」
◇
その日の夕刻。
宗運が惟種のところへ来た。
宗傳はいない。
二人だけだった。
「鉄砲をお求めとか」
「うむ」
「お使いになるので?」
「壊す」
「…………」
宗運が黙った。
「若君」
「何だ」
「今、何と」
「壊す」
「高価な鉄砲を?」
「正しくは分解する」
「同じではございませぬか」
「元へ戻せば違う」
「戻せるのでございますか」
「戻す」
惟種は平然と答えた。
宗運はしばらく何も言わなかった。
「中を見たい」
「何のために」
「作るためだ」
宗運の目が止まった。
「……鉄砲を?」
「うむ」
「若君が?」
「最初は鍛冶に作らせる」
「作り方をご存じなのですか」
「知っておる」
宗運が完全に黙った。
惟種は気づかず続ける。
「銃身も、火を移す仕掛けも、ばねも、筒の後ろを塞ぐ螺子も、仕組みは頭に入っておる」
「…………」
「現物がなくても、それらしいものまでは作れると思う。だが――」
「若君」
「何だ」
宗運の声が変わっていた。
「今の言葉は、二度と人前で申されぬよう」
惟種は目を瞬いた。
「鉄砲を作れるという話か」
「左様にございます」
「なぜだ。いずれ作るのだぞ」
「阿蘇が鉄砲を作ることと、若君が何も見ずに鉄砲を作れることは、まったく別の話にございます」
「…………」
そこで惟種も口を閉じた。
宗運は表情を崩さない。
「鉄砲が伝わって、まだ幾年も経っておりませぬ」
「うむ」
「そのようなものを、五歳の若君が現物もなしに一から作れると知られれば、どうなります」
「……妙には思われるな」
「妙、で済めばよろしいですが」
宗運の目が鋭くなる。
「欲しがる者が出ます」
「鉄砲をか」
「若君を、にございます」
惟種は黙った。
「連れ去る者」
「…………」
「囲おうとする者」
「うむ」
「その知恵を吐かせようとする者」
宗運は淡々と言った。
「あるいは、他家へ渡る前に殺そうとする者もおるやもしれませぬ」
惟種は小さく息を吐いた。
確かに。
自分にとっては単なる知識でも、この時代では違う。
水飴なら、まだ商いの才で済む。玻璃も、職人を集めて工夫したと言えば通る。
だが、伝わって間もない鉄砲を、現物も見ずに五歳の子供が一から作れるとなれば、話が違う。
「分かった」
「本当に?」
「分かったと言っておる」
「先ほど宗傳殿には」
「鉄砲が欲しいとしか言っておらぬ」
宗運がようやく僅かに息を吐いた。
「それならば結構にございます」
「おぬし、本当に怖いな」
「若君ほどではございませぬ」
「わしは何もしておらぬぞ」
「五歳で鉄砲を一から作れると申される方が、何を」
「…………」
反論できなかった。
◇
「それで」
宗運が仕切り直した。
「作り方を知っておられるのに、なぜ実物が必要なのでございます」
「答え合わせだ」
「答え合わせ?」
「頭の中に形はある」
惟種は自分の頭を指した。
「どういう仕掛けで動くかも分かる。だが、それだけで作れば、おそらく劣る」
「劣る?」
「撃てるものまでは作れると思う」
だが、惟種が欲しいのはそこではない。
戦場で使え、何度撃っても壊れにくく、同じものを何挺も作れるところまで行かなければ意味がない。
「実物があれば、寸法や筒の厚み、部品同士がどれほど余裕を持って組まれているかまで分かる」
「そこまで見るので」
「見る」
「ばらして?」
「全部だ」
宗運は思わず鉄砲に同情したような顔をした。
「螺子も見たい」
「先ほど申されたものにございますな」
「うむ。回すことで締まり、また外せる仕掛けだ」
「それほど大事なので?」
「鉄砲だけならな」
「だけなら?」
惟種は少し考えた。
「螺子を同じ形で作れるようになれば、ほかにも使える」
「ほかにも」
「今は鉄砲だけでいい」
そこまで話を広げれば、また宗運に止められる。
宗運も何か察したのか、それ以上は聞かなかった。
「つまり」
「うむ」
「実物がなくても、似たものなら作れる」
「おそらくな」
「ですが、一挺買えば」
「無駄な失敗を減らせる」
「なるほど」
「一挺は高い」
「はい」
「だが、鍛冶が十度、二十度と間違えるより安い」
宗運が静かに頷いた。
「分かりました」
「探してくれるか」
「探させます」
「頼む」
「ただし」
「まだあるのか」
「ございます」
宗運は少し前へ身を乗り出した。
「鉄砲が手に入りましたら、外向きの話は私にお任せくだされ」
「外向き?」
「若君が鉄砲を欲しがった」
「うむ」
「一挺を買った」
「うむ」
「鍛冶どもがそれを分解した」
「うむ」
「そして、苦労の末に真似た」
「…………」
惟種は宗運を見る。
「わしの知識は?」
「ございませぬ」
「いや、あるぞ」
「外には、ございませぬ」
「…………」
「よろしいですな」
惟種はしばらく宗運を見つめたあと、諦めた。
「分かった」
「結構にございます」
「だが、職人には教えねば作れぬぞ」
「必要なことだけ、お教えくだされ」
「どこから知ったかは」
「言わせませぬ」
「徹底してるな」
「若君を守るためにございます」
宗運は当然のように答えた。
◇
「それと」
宗運が尋ねる。
「何挺お作りになるおつもりです」
「最初は一挺」
「一挺?」
「買うのも一挺。真似るのも、まず一挺だ」
「その後は」
「同じものを二挺」
「はい」
「次は十挺」
「……はい」
「それを同じ出来で作れるようになったら、その先を考える」
宗運がじっと惟種を見る。
「百挺ほど?」
「いずれは、それどころではない」
「…………」
「だが今は言わぬ」
「それがよろしいでしょう」
「おぬしが聞いたのだろう」
「答えなくて結構と申し上げております」
「勝手な奴だな」
「若君にだけは申されたくありませぬ」
惟種は笑った。
だが、狙いは最初から変わらない。
欲しいのは鉄砲一挺ではなく、鉄砲を作れる鍛冶と、同じような銃身や仕掛けを同じ品質で何挺も作れる工房だった。
「宗運」
「は」
「鉄砲が欲しいわけではないぞ」
「先ほど欲しいと申されたような」
「欲しい。だが、一挺持っていても国は強くならぬ」
「では」
「鉄砲を作れる者が欲しい」
宗運はしばらく黙った。
そして、ゆっくり頷いた。
「ならば鍛冶を集める話も通りまする」
「うむ」
「農具を作る」
「うむ」
「工具を作る」
「うむ」
「工房を育てる」
「そうだ」
「その先に、鉄砲がある」
「そういうことだ」
「理はございますな」
宗運が立ち上がった。
「御屋形様には、私から話しましょう」
「鉄砲を一から作れる話は」
「しばらく私だけで結構にございます」
「父上にも?」
宗運は一瞬考えた。
「必要になれば、私から申し上げます」
惟種もそれ以上は言わなかった。
秘密は、知る者が少ない方がいい。
それは宗運から何度も教えられたことだった。
◇
宗運が去ったあと、惟種は再び庭へ出た。
水飴で作った銭を玻璃へ投じ、その玻璃がさらに大きな銭を生んだ。
今度はそれを鍛冶へ入れ、良い鍬や鎌、工具を作ることで田と工房を強くし、その先で鉄砲へ進む。
田を豊かにし、市を育てて飯と銭を増やせば、やがて田へ戻る必要のない兵を養える。
戦のたびに百姓を集めるのではなく、国そのものが兵を抱える形へ変えていく。
(そこまで持っていく)
惟種は置いてあった木太刀を拾った。
「高森」
「は」
「もう一度だ」
「先ほど今日は終わりと」
「気が変わった」
「左様で」
高森も、もう反論しなかった。
木太刀を構える。
惟種も構えた。
水飴から始まった小さな銭は、玻璃で六十三貫を動かし、今度は火と鉄へ向かおうとしている。
銭を貯めるためではない。
銭を使って人と技術を育て、その技術でさらに大きな銭と力を生むためだ。
その先にあるものを、まだ阿蘇の誰も知らない。
未来を知る五歳の若君を除いて。




