第十四話 鍛冶を起こす
天文十四年(1545年)五月
あれから三ヶ月か、と 阿蘇 惟種 は思った。
高熱にうなされ、目を覚ました時には何もかもが手探りだった。
だが今は違う。
庭へ出て歩ける。
木太刀も振れる。
飯も食える。
そして何より、手を打てば形になると分かってきた。
門前では水飴がもう珍しさだけではなく、きちんと売り物として回っていた。
女や子どもが買い、病人への見舞いにも使われ、土産として持たれていく。
軽くした役の効き目も少しずつ出てきており、門前に立つ荷と人は前より目に見えて増えていた。
さらに、玻璃も効いた。
まだ数は少ない。
だが京筋の末端と商人へ試しに流した品が、思った以上の値を持って返ってきた。
館の中でも、あれはもう若君の手慰みではない、という空気が生まれつつある。
だから惟種は、次を考えていた。
その日も朝から、庭で身体を動かしていた。
「若君、足が止まっております」
木太刀を手にした 高森 惟房 が言う。
「分かっておる」
「分かっておられても、止まっております」
惟種は少しだけ顔をしかめ、もう一歩踏み込んだ。
高森は容赦がない。だが、それでいい。
いまの身体は病弱なわけではない。
ただ、五つの子どもの身体だ。将として使うには、今から作っておく必要がある。
数合打ち合ったところで、惟種は木太刀を下ろした。
「もうよい」
「は」
高森が下がる。
すぐに 北里 政久 が水を持ってきて、少し離れたところでは 光永 惟清 が何かを書き留めていた。
あれも近頃の癖だった。
光永は何でも書く。歩いた距離、振った数、火の強さ、水飴の仕込み、玻璃の手順。
若君の言葉を、そのまま逃がさぬための手だ。
悪くない。
「光永」
「は」
「宗傳を呼べ」
「承知いたしました」
光永が走っていく。
惟種はその背を見送りながら、頭の中で順を並べた。
水飴で門前に人が増えた。
玻璃で外から銭を吸えると分かった。
ならば、その金は次へ回さねばならない。
(鉄砲を買いたい)
それは本音だった。
火を噴く武器が、これからの戦を変えてゆくことを惟種は知っている。
だが、本当に欲しいのは鉄砲そのものではない。
(鍛冶だ)
打てる手。
直せる場。
真似て作れる目。
鉄砲を一度買ったところで、それだけでは残らない。
壊れれば終わる。
売る相手が渋れば終わる。
金が尽きれば終わる。
だが鍛冶場は残る。
農具も作れる。
金具も打てる。
馬具も直せる。
玻璃の道具にも使える。
そのうえで、火縄銃にも手が届く。
(買うだけでは、いずれ首を締める)
(残すなら鍛冶場だ)
やがて、田代 宗傳 が現れた。
「若君」
「来たか」
宗傳は一礼し、惟種の前へ進む。
宗運へ上げる前の話は、まずこの男だ。もうそれが形になっている。
「次をやる」
「は」
「金の使い道を決めた」
宗傳の目が少しだけ細くなった。
「何にございますか」
「鍛冶場だ」
宗傳は、すぐには返さなかった。
「……鍛冶場、にございますか」
「そうだ」
「農具や馬具のために」
「それもある」
惟種は宗傳をまっすぐ見た。
「だが、それだけではない」
「と、申されますと」
「いずれ火縄の銃が要る」
宗傳の顔つきが変わる。
「火縄」
「そうだ。火を噴く筒だ」
「若君は、それも夢で」
「見た」
惟種は続けた。
「だが、今すぐ数を揃えたいわけではない」
「数ではなく」
「見本だ」
宗傳は少しだけ考え込んだ。
「見本があれば、分かる」
惟種は言う。
「形も、中も、部品も」
「……なるほど」
「最初は外から買えばよい。
だが本当に欲しいのは、買った鉄砲ではない」
「鍛冶場、にございますな」
「うむ」
惟種は声を落とした。
「鍛冶場があれば、直せる。
真似られる。
農具も打てる。
金具も打てる。
それに、先に作らせたいものがある」
「何にございますか」
「ばねだ」
宗傳の眉が動く。
「鉄の、にございますか」
「そうだ。しなる鉄だ」
惟種は前世の知識を、今の言葉へ落としていく。
「火縄の仕掛けには、弾く力が要る。
ならば先に、ばねを打てるようにしておく」
宗傳は黙って聞いていたが、やがて静かに言った。
「若君」
「何だ」
「宗運様は、これを切りませぬ」
「なぜだ」
「鉄砲を買いたい、だけなら浪費に見えましょう。
ですが若君のお話は、鍛冶場を一つの工房として起こす話です」
惟種はうなずく。
「その通りだ」
「農具、金具、馬具、修理、皆に使える。
そのうえで、いずれ火縄へ伸びる。
ならば、理が立ちます」
やはり宗傳は使える。
惟種はそこで、もう一つだけ話した。
「兵も、少しずつ分けたい」
宗傳の表情がわずかに引き締まる。
「分ける、とは」
「皆を百姓のままにしておけば田は守れる。
だが、いざという時に遅い」
「はい」
「皆を兵にすれば、田が荒れる」
「はい」
「ならば、少しずつ分ける。
田へ戻る者と、常に動ける者を」
宗傳は、今度は長く黙った。
惟種もそれ以上急がない。
この話は、水飴や玻璃よりずっと大きい。
「今すぐ全部ではない」
惟種は言った。
「まずは鍛冶だ。
道具がなくては、兵を分けても意味がない」
宗傳は、そこでようやく息を吐いた。
「若君」
「何だ」
「兵を分ける話は、まだ軽く触れる程度がよろしいかと」
「うむ」
「ですが鍛冶場は上げられます」
「それでよい」
宗傳は一礼した。
「宗運様へは、なんと」
惟種は少しだけ考え、それから言った。
「こう言え」
宗傳は顔を上げる。
「若君、飴と玻璃で得た銭を、蔵へ寝かせるつもりはございませぬ」
「はい」
「鍛冶場を整え、国の道具を打つ場を作りたいと」
「はい」
「農具、金具、馬具、修理、皆に使える。
そのうえで、いずれ火縄も見たいと」
「はい」
「ばねは先に始めたいとも」
「承知いたしました」
惟種はそこで、ふと空を見た。
五月の空は高く、火の山の煙は薄い。
遠くから、門前の賑わいが風に乗って届いてくる。
少し前までとは違う音だ。
人が増え、荷が増え、声が増えた。
だが、それで終わってはならない。
(富ませて、強くする)
心の中で、静かにそう置く。
田を整える。
市を育てる。
飴と玻璃で銭を作る。
その銭で、鍛冶場を起こす。
順は見えている。
「宗傳」
「は」
「急ぐぞ」
「若君はいつも、そう仰せにございます」
「時間がないからな」
宗傳は、その言葉には何も返さなかった。
惟種も、それ以上は言わなかった。
やがて宗傳は一礼し、宗運のもとへ向かってゆく。
惟種はその背を見送りながら、木太刀を握り直した。
「高森」
「は」
「もう一度だ」
高森惟房が、すぐに前へ出る。
金も、技も、兵も要る。
だがその前に、自分の身体もまた、将のものへ近づけねばならない。
阿蘇の若君は、甘味と玻璃で銭を生み、今度は火と鉄を欲し始めていた。




