鬼童、国を裁く②
天文十八年(一五四九年)六月。
豊後、府内館。
阿蘇惟豊と新納忠元が府内へ到着したことで、大友家の処遇を決める評定が開かれることになった。
府内館には、まだ戦の傷跡が残っている。
大筒によって砕かれた門脇の壁には応急の修復が施され、庭には阿蘇家と大友家、二つの旗が並んでいた。
かつて大友家が九州各地の国人を迎えてきた広間にも、今は両家の者たちが集まっている。
上座には阿蘇家当主、阿蘇惟豊。
その脇に甲斐宗運、新納忠元、甲斐親英が控え、惟豊の少し前には惟種が座っていた。
向かいには戸次鑑連、吉弘鑑理、臼杵鑑速、吉岡長増ら大友家臣が並び、その奥には大友隼人と大友晴英の姿もある。
義鎮は討たれた。
六千の軍勢も敗れ、本拠である府内館まで阿蘇へ降っている。
大友家に残された道は、もはや多くなかった。
◇
評定に先立ち、惟種は惟豊、宗運、親英へ戸次鑑連と交わした約束を伝えていた。
その時の三人の顔は、なかなか見応えのあるものだった。
まず、惟豊が深く息を吐いた。
「……惟種。そなた、父に相談もなく、そのような約束をしたのか」
「……申し訳ございませぬ、父上」
惟種は素直に頭を下げた。
宗運も、珍しく渋い表情を隠そうとしない。
「若君。府内が降伏しておらねば、五年の不可侵に加えて賠償まで約束されたと?」
「……うむ」
「その賠償を、どこから出すおつもりでしたかな」
「…………」
惟種は答えられなかった。
宗運が、もう一度深く息を吐く。
「まったく、勝ったからよかったものの……」
親英まで困ったような顔をしている。
(……うわぁ)
(やはり、こうなるよなぁ……)
今回は言い訳のしようがない。
惟種は、改めて頭を下げた。
「此度のことは、わしの独断にございます。しかし、戸次殿は約束を守り、阿蘇家へ仕えると申されました。ならば、こちらも違えるわけにはまいりませぬ」
「……大友家を残すというのだな」
「はい。ただし、これまでどおりの大友家を残すつもりはございませぬ」
惟種は顔を上げた。
「大友家には阿蘇へ臣従していただきます。府内は直轄とし、隼人殿には別に所領を与えるつもりです」
宗運が顎に手を当てる。
「……なるほど。家を残しながら、その力を阿蘇へ取り込むわけですな」
「うむ」
「府内は手放されませぬな?」
「無論だ」
宗運は少し考え、やがてうなずいた。
「……悪くはありませぬな。ただし、大友家へ軍を勝手に動かす権限を残すわけにはまいりませぬ」
「分かっておる」
惟豊も、息子の話を黙って聞いていた。
「……惟種」
「はい、父上」
「そなたの約束を認めることは、阿蘇家の当主として責を負うことでもある。それは分かっておるな」
「はい」
「ならば、此度は認めよう。ただし、今後このような大事を独断で決めることは許さぬ」
「……申し訳ございませぬ」
惟種は再び深く頭を下げた。
隣では、宗運がわずかに笑っている。
(……絶対、後でまた何か言われるな)
ともあれ、父の承認は得られた。
◇
評定が始まると、まず惟豊が口を開いた。
「此度の戦、大友家は阿蘇へ降った。されど、我らは大友家を滅ぼすつもりはない」
大友方の者たちが顔を上げる。
「義鎮は討たれたが、大友の血筋が絶えたわけではない。隼人殿を新たな当主として認め、家名の存続を許すこととする」
吉岡長増が深く頭を下げた。
「……ありがたき御裁定にございます」
「ただし」
惟豊の声が広間に響く。
「大友家は今後、阿蘇家へ臣従してもらう。以前と同じ立場での存続を認めるわけではない」
大友方の空気が変わった。
惟豊は、そのまま彼らを見渡す。
「詳しい条件については、惟種から説明させる」
「はっ」
惟種は父へ一礼し、大友方へ向き直った。
「まず、大友家の存続については、わしから改めて申し上げよう」
広間の視線が集まる。
「戸次殿との約束がある。わしは、府内が阿蘇へ降っておれば戸次殿に仕えていただく代わり、大友家を残すと約した」
惟種は戸次鑑連を見る。
「戸次殿は、すでにその約束を守ってくださった。ならば、わしも違えるつもりはない」
「かたじけなく存じます」
鑑連が深く頭を下げた。
惟種は、大友隼人へ目を移す。
「隼人殿には、大友家の家督を継いでいただく。そして、父上へ臣従していただきたい」
隼人は緊張した面持ちで惟豊を見つめた。
少しの沈黙の後、頭を下げる。
「……大友家の存続をお認めいただけるのであれば、阿蘇家へお仕えいたします」
惟豊がうなずいた。
「よかろう。大友家を阿蘇家中の一家として迎える。与えた所領を守り、阿蘇の命に従う限り、我らも大友家を守ろう」
「ありがたく存じます」
隼人が深く頭を下げた。
◇
「さて、次は領地についてだ」
惟種が言うと、吉弘鑑理と臼杵鑑速の表情が引き締まった。
惟種は、あらかじめ用意させていた地図を広げる。
「府内とその港、周辺の要地は阿蘇が直接治める。ここは譲れぬ」
大友方の者たちは黙った。
惟種は、そのまま別の場所を指す。
「さらに、豊前の宇佐と中津についても、大友家が持つ所領や権益を阿蘇へ移していただく。現地の国人たちとの話には、大友家にも協力してもらうぞ」
臼杵鑑速が口を開いた。
「……それほどの土地を、阿蘇家へ譲るのでございますか」
「うむ。今後、豊後を治めるうえで必要だからな」
「……されど、それでは以前の大友家とは比べものになりませぬ」
吉弘鑑理が苦い表情を浮かべる。
惟種は、あっさりとうなずいた。
「当然であろう。戦に敗れたのだぞ」
鑑理は言葉に詰まった。
「大友家の名を残すことと、以前の領地をそのまま認めることは別だ。そなたらは阿蘇へ攻め込み、我らの町を焼いた。その結果として領地を失うことまで、なかったことにはできぬ」
惟種の声は落ち着いていた。
「ただし、今後の働き次第では、領地を増やすことも考えよう」
鑑理が顔を上げた。
「……領地を、でございますか」
「うむ。府内のように阿蘇にとって必要な土地は別だがな」
惟種は、地図へ手を置いた。
「阿蘇のために働き、民を豊かにできるのであれば、その働きに応じた所領を与える。旧領を返すこともあろうし、別の土地を任せることもあろう」
鑑理と鑑速は顔を見合わせた。
◇
「次に、家臣団についてだ」
惟種は戸次鑑連へ目を向けた。
「戸次殿には、約束どおりわしの直属の家臣となっていただく」
「承知しております」
鑑連は迷わず答えた。
惟種は続いて、吉弘鑑理、臼杵鑑速、吉岡長増を見る。
「そなたらにも、当面は阿蘇のもとで働いてもらいたい」
「……我らも、でございますか」
鑑理が尋ねる。
「うむ。ただし、そなたらには阿蘇の統治を学んでもらう」
「……統治を?」
今度は長増が問い返した。
「そうだ。阿蘇がこれまで進めてきた治め方を、実際に見て学んでもらう」
惟種は三人を見渡した。
「今のまま大友家を残しても、民は豊かな土地を求めて阿蘇へ移り続けるであろう」
そして、当然のように続けた。
「ならば、そなたらの領地も豊かにすればよい」
「……我らの領地を、でございますか」
「うむ。田を増やし、道を整え、商いを盛んにする。民が故郷を離れずとも暮らしていける土地にすればよいのだ」
吉岡長増が考え込むように目を伏せた。
臼杵鑑速が、慎重に口を開く。
「……惟種殿。阿蘇の治め方を学べば、我らにも同じことができるとお考えですか」
「すぐには無理であろうな」
惟種は、あっさり答えた。
鑑速が少し驚いた顔をした。
「阿蘇とて、一日で今の姿になったわけではない。人も銭も時間も要る」
惟種は少し笑う。
「だが、阿蘇にはすでに手本がある。そなたらは、それを学べばよい。必要な人材も、できる限りこちらから出そう」
「……そこまでしていただけるのでございますか」
長増の声には驚きが混じっていた。
「大友家を残すと決めたのだ。ただ生かしておくだけでは意味があるまい」
「…………」
「いずれ、自ら領地を治めてもらわねば困る。阿蘇のやり方を学び、それを大友の領地へ持ち帰ってくれればよい」
吉弘鑑理は、しばらく惟種を見つめていた。
敗者から奪うだけではなく、再び立てるように治め方まで教えるという。
この少年が何を目指しているのか、まだ掴みきれなかった。
◇
惟種は、改めて大友の家臣たちを見渡した。
「ただし、大友家を残すからといって、何もかも以前のままでよいとは思っておらぬ」
何人かが顔を上げる。
「そなたらは、これまで豊後が栄えてきたと思っておろう。わしも、それを否定するつもりはない。大友家が長年かけて築いてきたものもあろう」
惟種は少し間を置いた。
「だが、わしはその先を見せてやる」
吉弘鑑理の眉がわずかに動く。
「今までの豊後など比べものにならぬほど、豊かな国にしてみせよう」
広間が静まり返った。
大友の家臣たちの中には、不快そうな顔をする者もいた。
豊後は大友家が長年治めてきた国であり、府内は九州でも有数の町である。
それを九つの惟種が、さらに豊かにすると言い切ったのだ。
「無論、今は信じられぬであろう」
惟種は構わず続ける。
「ならば、これから見ておればよい。田も、道も、市も、人々の暮らしも変わっていく。その時になって、わしの言葉が大言であったかどうか判断すればよい」
臼杵鑑速が顔を上げた。
「……それほどの自信がおありなのですか」
「ある」
惟種は迷わず答えた。
「阿蘇でやってきたことを、さらに広げるだけだからな。もちろん、豊後には豊後の事情がある。そのために、そなたらの力も借りたい」
吉弘、臼杵、吉岡へ目を向ける。
「そなたらは長く大友家を支えてきた。豊後のことは、わしよりもよく知っておろう。その知恵を、今度は民を豊かにするために使ってもらいたい」
三人は黙っていた。
惟種は、そこで少し笑った。
「それでも、わしが君主として不適格だと思うなら、歯向かっても構わぬぞ」
広間の空気が変わった。
「……歯向かっても、よろしいのでございますか」
鑑理が思わず尋ねる。
「うむ。わしより民を豊かにできる道があるというなら、遠慮なく示してみよ。わしの政が間違っていると思うなら、堂々と申せばよい」
惟種は笑みを消した。
「ただし、一つだけ忘れるな」
自然と、大友の家臣たちの姿勢が正される。
「民を見よ」
静かな声だった。
「そなたらが守るべきは、大友という家の面目なのか。それとも、その土地で暮らす民なのか」
誰も答えない。
「家名を守りたいという気持ちは分かる。失った領地を取り戻したいという思いもあろう。わしとて阿蘇家の人間だ。家を大切に思う気持ちまで否定するつもりはない」
惟種は吉弘鑑理へ目を向けた。
「だが、そのために民を苦しめるのであれば、話は別だ」
鑑理の表情がわずかに強張る。
「民がどう思っているか。何を望み、何に苦しんでいるか。それを見ず、家の面目だけを守ろうとする者に、国を治める資格などあるまい」
惟種は広間を見渡した。
「民あっての君主だ。私は、そう考えている」
沈黙が続く。
「ゆえに、より良い政があるならば、わしに示せ。そなたらの方が正しいのであれば、考えを改めることもあろう」
惟種の表情が引き締まった。
「だが、家の面目や己の矜持のために、再び民を戦へ巻き込むというなら、俺は容赦なく叩き潰す」
広間の空気が張り詰めた。
「今度は阿蘇の町ではなく、豊後の町が焼かれるやもしれぬ。民が家を失い、田が荒れ、子が親を失うことになる。それを承知で、それでもなお戦いたいというのであれば……」
惟種は、ゆっくりと大友の家臣たちを見渡した。
「最後に華々しく散りたいのであれば、好きにせよ。わしが受けて立つ」
誰も口を開かなかった。
戸次鑑連は、岩尾で向けられた惟種の怒りを思い出していた。
あの時は噛み合わなかった言葉の意味が、今なら分かる。
この少年は、家の面目のために人を死なせることを心底嫌っている。
鑑連は静かに息を吐き、頭を下げた。
「……若君のお考え、承りました」
その声は落ち着いていた。
「某も、大友家を残すために阿蘇へ仕えると決めた身にございます。これよりは若君の家臣として、力を尽くしましょう」
「うむ。頼りにしておるぞ、戸次殿」
◇
しばらくして、吉弘鑑理が口を開いた。
「……一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何だ?」
「我らが阿蘇の統治を学び、豊後を豊かにできたとして……その時、大友家は本当に領地を取り戻せるのでございますか」
「無論だ。父上にも、そのことはお認めいただいておる」
鑑理の視線が惟豊へ向いた。
惟豊は静かに口を開く。
「惟種の申したとおりだ。ただし、領地を返すかどうかは、その働きを見て決める。阿蘇に従い、民をよく治めるのであれば、相応の所領を与えることに異存はない」
鑑理は深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
臼杵鑑速も続く。
「我らも、阿蘇の治め方を学ばせていただきます」
吉岡長増も、しばらくして頭を下げた。
「……大友家のため、そして豊後の民のため、微力を尽くしたく存じます」
「うむ。よろしく頼むぞ」
惟種がうなずく。
それを見届けた惟豊は、改めて大友家臣団へ目を向けた。
「これより大友家は、阿蘇家中の一家として存続する。隼人殿を当主とし、与えた所領を治めてもらう。ただし、軍を勝手に動かすことも、他国と戦を約することも許さぬ」
少し間を置く。
「阿蘇に従う限り、我らも大友家を守る。この約束は、当主であるわしが認めよう」
大友隼人が深く頭を下げた。
「……ありがたく存じます。これより大友家は、阿蘇家にお仕えいたします」
吉弘鑑理、臼杵鑑速、吉岡長増も続いた。
やがて、大友の家臣たちも次々と頭を下げていった。
◇
評定が終わると、新納忠元が惟種へ声をかけた。
「若君、なかなか思い切ったことを申されましたな」
「……そうか?」
「ええ。領地を取り上げながら、今度は豊かにする方法まで教えてやると申される。某には、なかなか考えつかぬことでございます」
忠元は愉快そうに笑った。
その隣で、宗運も小さく笑っている。
「若君。あれほど大きなことを申された以上、豊後の統治でも結果を出していただかねば困りますぞ」
「……分かっておる」
「大友の者たちへ阿蘇の治め方を教えるのであれば、こちらも相応の準備が必要になりますな」
「うむ。人材も銭も必要だ。だが、それだけの価値はあると思うぞ」
「ならば、早速取りかかりましょう」
惟種は思わず笑った。
(……本当に仕事の早い爺だな)
◇
その頃、評定を終えた大友家臣団の中に、一人、ほとんど言葉を発さぬまま歩く男がいた。
大友晴英である。
隼人が新たな当主として認められ、大友家が阿蘇へ臣従することになった時も、晴英はほかの家臣たちと同じように頭を下げていた。
府内を失い、有力家臣の一部も阿蘇へ移る。
大友家は残った。
だが、以前と同じ家ではない。
晴英は、ゆっくりと顔を上げた。
その視線の先に、阿蘇惟種がいる。
晴英は、しばらく惟種を見つめていた。
そして、誰にも気づかれぬまま、静かに目を細めた。




