第十二話 若君、玻璃を生む
水飴は、もう惟種が毎日鍋を覗かなくても作られるようになっていた。
志乃が台所の者たちをまとめ、決められた量の米と麦を使って仕込みを行う。光永惟清が書き残した手順もあるため、惟種が口を出さなくても味は大きく変わらない。
売る方も同じだった。
門前へ持っていけば買い手がつき、一度買った者がまた来る。
最近では、
「阿蘇水飴」
と呼ぶ者だけではなく、
「若君飴」
などと呼ぶ者まで現れたらしい。
(何だ、若君飴って)
そんな名を付けた覚えはない。
光永へ聞いても、
「門前の者が勝手に呼び始めました」
としか返ってこなかった。
止めるほどのことでもなく、売れているのだからそれでいい。
何より重要なのは、水飴がすでに惟種の手を離れ始めていることだった。
志乃たちが作り、光永が材料と出来高を記し、北里政久が麦の値と量を見る。売れ行きは宗傳を通じて宗運へ上がる。
まだ小さな商いにすぎないが、それでも一つの仕組みとして回り始めていた。
(なら、次だ)
惟種は机の上に広げた紙を見る。
そこには簡単な炉の形から、空気を入れる位置、燃料や原料を置く場所、人が作業する位置まで、頭の中にあるものを順番に描いてあった。
水飴で得た利から、次の試みに使う銭を父から預けられた。
使い道は、初めから決まっている。
玻璃だった。
◇
「これでございますか」
宗運が紙を見下ろした。
「うむ」
「炉にございますな」
「玻璃を作る炉だ」
前回の話で許しは得ている。
だから今回は、玻璃を作ってよいか相談するために宗運を呼んだのではない。決めるのは、どう作り、誰を使い、預けられた銭をどこへ使うかだった。
宗運は紙を眺めながら尋ねる。
「普通の鍛冶場ではなりませぬか」
「使えるところはある。だが、同じ火を長く保てる炉が欲しい」
「焼物の窯とも違う」
「似ているところはある。だから陶工を呼びたい」
「鍛冶も?」
「欲しい。火を扱うことに慣れている者なら話が早い」
宗運は頷いた。
「何人ほど」
「最初は多くなくていい。炉を作れる者と、火を見る者。あとは、玻璃を形にできる者を育てる」
「育てる?」
「最初から玻璃職人など阿蘇にはおらぬだろう」
「おりませぬな」
「なら作る」
宗運が惟種を見る。
「人を、でございますか」
「そうだ」
技術が自分の頭にあるだけでは仕方がない。惟種一人が作れても産業にはならず、自分が教え、職人が覚え、その職人がさらに別の者へ教えていく必要がある。
自分が炉の前へ立たなくても玻璃が作られ続けるようになって初めて、惟種の知識ではなく阿蘇の技術になる。
「北里には材料を探させる」
「どのようなものを」
惟種は必要な条件を説明した。
なるべく不純物の少ない砂、灰に使う木、大量の燃料、そのほか手に入るなら試したい材料。
宗運は黙って聞いたあと、僅かに笑った。
「北里へ場所だけ尋ねれば、また先まで見てきそうですな」
「先?」
「量と値、それに運ぶ道まで」
「余計ではない」
「承知しておりまする」
「今回は最初から頼む」
「その方が早そうにございますな」
惟種はもう一枚の紙を広げた。
「それから、光永をこちらにもつける」
「水飴はよろしいので?」
「志乃がおる。光永が毎日張り付かなくても、もう回る」
「玻璃では何をさせます」
「記録だ」
「作らせるのではなく?」
「作るのは職人だ」
惟種は即答した。
「光永には、何をどれだけ入れ、どれほど火を保ち、何個作れて、いくつ使い物にならなかったか。変えたところがあれば、それも全部残させる」
「失敗したものまで?」
「当然だ。同じ失敗を何度もする必要はない」
宗運はしばらく紙を眺めていた。
「水飴と同じでございますな」
「基本はな」
「若君だけが作れても意味がない」
「そういうことだ」
宗運が小さく頷いた。
「承知いたしました。人はこちらで選びましょう」
◇
それから数日で、人が集められた。
焼物を扱ってきた者、鍛冶場で長く火を見てきた者、石や土を扱える者。
最初に惟種の描いた炉を見せた時、皆の顔には戸惑いが浮かんだ。
「若君」
一人の陶工が恐る恐る口を開いた。
「この中で、何を焼かれるので」
「焼くのではない」
「では?」
「溶かす」
惟種は答えた。
「砂を」
「…………」
誰も、すぐには声を出さなかった。
「砂を、でございますか」
「うむ」
「砂は焼いても砂では」
「普通に焼けばな」
惟種は炉を指した。
「もっと熱くする」
「それで」
「溶ける」
何人かが顔を見合わせた。
疑うのも当然だった。彼らにとって砂はあくまで砂であり、火へ入れたところで見たこともない透明な物へ変わるなど、簡単には信じられない。
「それを冷ませば、光を通すものになる」
沈黙が落ちた。
鍛冶をしていた男が眉を寄せる。
「鉄のように、でございますか」
「似ているところはあるが、違う。叩いて形を作るものではない」
「では、どうやって」
「それも教える」
惟種は職人たちを見回した。
「まず炉を作る。話はそこからだ」
半信半疑の顔は消えなかった。
それでいい。
言葉だけで信じさせる必要はない。出来上がったものを見せれば済む。
◇
炉造りには、玻璃そのものを作るより時間が掛かった。
惟種が形を示しても、実際に石や土を積み、火に耐える形へ仕上げるのは職人たちである。
「そこは厚くしてくれ」
「ここでございますか」
「うむ。熱を逃がしたくない」
「この穴は?」
「空気を送る」
「鍛冶場のように?」
「そうだ。ただし、長く安定して送りたい」
職人たちは自分たちの経験と照らし合わせながら、惟種の注文を形にしていった。
惟種も、何もかも自分の言う通りにしろとは言わなかった。土の癖や石の組み方、この土地で手に入る材料については、職人たちの方が詳しい。
「若君。この積み方より、こちらの方が崩れにくいかと」
「熱は漏れぬか」
「こちらを厚くいたします」
「なら、それでやれ」
職人が一瞬黙った。
「よろしいので?」
「わしが欲しいのは炉だ。わしの描いた絵そのものではない」
「…………」
「おぬしらの方が良いと思うところは言え。理由を聞いて、使えるなら変える」
職人は深く頭を下げた。
「承知いたしました」
そんなやり取りを重ねながら、炉は少しずつ形になった。
一方、北里も動いていた。
「若君」
「見つかったか」
「ご指定のものに近い砂はございます。近いところで一か所、少し離れたところでもう一か所」
「量は」
「最初の炉なら、近い方だけで十分でしょう」
「増やした場合は」
「遠い方も使うことになります。ただ、そちらは荷を運ぶ道が細うございます」
「また道か」
「物を作れば、最後は道にございます」
北里は真顔だった。
「荷が通らねば、どれほど良いものがあっても館まで来ませぬ。出来上がった品を外へ運ぶこともできませぬ」
「……その通りだな」
惟種は苦笑した。
北里に何かを探させると、最後には必ず道の話になる。
だが、それでいい。
惟種が見ているのは玻璃の作り方だが、北里はそれを作り続け、売り続けるために必要な土地と人の動きを見ている。
役割が違うからこそ使える。
「灰の方は?」
「何種類か用意させております。若君が申された木を中心に」
「分かった。全部、光永に記録させろ」
「すでにしておりまする」
「早いな」
「若君が言いそうでしたので」
「…………」
北里まで慣れてきたらしい。
◇
炉が完成すると、ようやく試作が始まった。
朝から火を入れ、ゆっくりと炉を温める。急げばよいわけではなく、炉そのものを壊してしまえば何にもならない。
職人たちが交代で火を見守り、送風を続けた。
「まだ上げる」
「これ以上にございますか」
「うむ」
「かなりの熱にございます」
「まだ足りぬ」
鍛冶をしてきた男が炉の中を見て、驚いたように息を吐いた。
「これほどまでにするとは」
「玻璃には要る」
やがて、砂や灰、そのほか惟種が指定して用意させた材料を入れていく。
職人たちが固唾を呑んで見守る中、それらは熱の中へ消えていった。
時間が過ぎ、炎が唸る。
炉の前へ近づくだけで、顔が焼けるように熱い。
「若君」
やがて職人の声が変わった。
「……溶けております」
「うむ」
「砂が」
「だから言っただろう」
惟種にとっては予定通りだった。
だが、周囲にとっては違う。
見慣れた砂が、もう砂ではない。熱を帯び、粘りのあるものへ変わっている。
ただし、最初から全てがうまくいったわけではなかった。
一度目は濁りが強く、二度目は形にしたものの冷ます途中で割れ、三度目には溶け残りが出た。
「若君。前の仕込みでは、この砂と灰で濁りが強うございました」
光永が記録を読み上げる。
「なら、次は砂を変える」
「火をもう少し長く保ちたいと、職人が申しております」
「やってみろ」
「冷ます時間も変えますか」
「割れたものより長く取る」
「承知いたしました」
作れることそのものに、惟種は疑いを持っていない。
だが、阿蘇にある材料と、この炉、この職人たちで、どの組み合わせなら最も良いものになるのかは、実際に試さなければ分からない。
だから条件を一つずつ変え、何を変えた結果、何が起き、何が駄目だったのかを全て残す。それが分かれば、同じ失敗を繰り返さずに済む。
職人たちも、次第に光永の記録を見るようになった。
「前より火は強かったか」
「こちらにございます」
「この時は、どの灰を」
「二つ目のものです」
「ならば今度はこちらで」
惟種が一つ一つ指示しなくても、少しずつ職人同士で考えるようになっていく。
それを見て、惟種は何も言わなかった。
その方がいい。
◇
試作を重ねた末、ようやく一つが形になった。
「若君」
光永に呼ばれ、惟種はすぐに立ち上がった。
職人の手には、小さな布がある。
その上に、一つの玉が置かれていた。
指先ほどの大きさだった。
惟種は摘まみ上げる。
完全な無色ではなく、僅かに色があり、気泡も残っている。形も、綺麗な真円とは言い難い。
それでも。
向こう側が見えた。
惟種は窓辺へ歩き、光へかざす。
陽の光が、玻璃を通る。
「よし」
それだけ言った。
後ろでは、誰も声を出していなかった。
惟種が振り返る。
「どうした」
陶工が呆然と玻璃玉を見ている。
「……透けております」
「そうだな」
「本当に」
「うむ」
「砂が……」
「さっきからそればかりだな」
「ですが」
職人は言葉を失った。
別の男が玻璃玉を受け取り、何度も光へかざした。
「石でもない」
「違う」
「水晶とも」
「違う」
「これを……若君は最初から」
「できると言っただろう」
「…………」
今度は、誰も疑わなかった。
炉を作り、砂を溶かせば光を通すものになると惟種は言った。そして今、その通りのものが目の前にある。
それだけで十分だった。
「若君」
光永が声を掛ける。
「これは、成功ということでよろしゅうございますか」
「成功だ」
「色もございますし、気泡も残っておりますが」
「構わぬ」
惟種は玻璃玉を見た。
「これはこれで売れる」
「このままで?」
「うむ。完全に澄んだものは、これから作ればいい」
今できたものを失敗扱いする必要はない。
これでも十分に珍しく、美しい。
何より、阿蘇で玻璃を作れることは証明された。
「光永」
「は」
「全部残してあるな」
「材料の量、火を入れた時刻、炉の様子、職人の人数、失敗したものまで」
「よし」
「次も同じように?」
「次は少し変える」
「どこを」
「原料を選ぶ。もっと澄ませる。気泡も減らしたい」
光永がすぐに筆を構えた。
「書きます」
「それから」
「はい」
惟種は職人たちを見る。
「今日から、おぬしは作る側ではなく、見る側にも回れ」
光永が首を傾げた。
「見る側、でございますか」
「水飴も玻璃も、作るのはそれぞれの者に任せる」
「はい」
「おぬしは、何をどれだけ使ったかを見る。何個できたか、どれだけ使えなかったか。作り方が変わったら、それも残す」
「私が作るのでは」
「ない」
惟種はきっぱり言った。
「作る者には作らせろ。おぬしは、その作り方が消えぬようにする」
光永は黙った。
「わしがいなくても」
惟種は続ける。
「おぬしがいなくても」
「…………」
「誰かが記録を読めば、同じものを作れるようにする。それがおぬしの役目だ」
光永は、自分が抱えている紙へ目を落とした。
これまでは、若君が言ったことを書き残すだけだった。
だが、それだけではない。
工房で何が行われ、何を使い、何ができ、どこで失敗し、何を変えたら良くなったのか。それを残し、次へ渡すのが自分の役目なのだ。
しばらくして、光永は深く頭を下げた。
「承知いたしました」
「頼むぞ」
「はい」
◇
宗傳は出来上がった玻璃玉を受け取ると、何度も角度を変えて眺めていた。
「それほど珍しいか」
「珍しゅうございます」
「宗運へ持っていくか」
「よろしいので?」
「そのために呼んだ」
宗傳はもう一度、玻璃玉を光へかざした。
「何と申し上げましょう」
惟種は炉を見る。
職人たちは、もう次の仕込みについて話し始めていた。
誰が火を見て、どの砂を使い、灰や冷ます時間をどう変えるか。
最初の一つができただけで、惟種が指示していない話まで進み始めている。
それが何より嬉しかった。
「そのままでいい」
「そのまま?」
「玻璃ができた、と」
宗傳は頭を下げた。
「承知いたしました」
水飴で得た銭は炉となり、その炉に職人が集まり、惟種の知識へ彼ら自身の経験を加えた結果、ついに阿蘇で作られた玻璃が生まれた。
まだ、小さな玉一つにすぎない。
それでも惟種には、その先が見えている。
玉、小瓶、器、さらに澄んだ玻璃。その先には、いずれ光を曲げるものもある。
だが、それはまだ先だ。
今はまず、この小さな玻璃を銭へ変える。
水飴とは違い、広く安く売る必要はない。珍しいものは、珍しいうちに高く売ればいい。
惟種は陽の光を受ける玻璃玉を見ながら、僅かに笑った。
次に増やすのは、玻璃だけではない。
銭と、職人と、信用だった。




