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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第百二十話 刈る時、植える時

 天文十八年(一五四九年)九月。


 肥後の阿蘇に、人が押し寄せていた。


 大友を降し、府内を押さえ、肥前西部の戦にも決着がついた。

 その報せが九州のあちこちへ走るや、阿蘇の館には次々と使者が訪れた。


 祝いの使者。

 探りの使者。

 従属の使者。

 言い訳の使者。


 誰もが笑っていた。

 だが、その笑みの奥は同じではない。


 祝う者。

 恐れる者。

 遅れまいと膝を折る者。

 まだ腹の底で距離を測る者。


 惟豊は、そのすべてを受けた。


 上座に座り、礼を受け、文を読み、返答を与える。

 戦に勝つより、勝った後に押し寄せる人の波を捌く方が、時に骨が折れる。


 その惟豊の脇には、相良晴広が控えていた。


 もはや客ではない。

 ただの従属国人でもない。


 晴広は座の並びを見て、使者の言葉の重さを測り、どこで深く頷き、どこで曖昧に流すべきかを、惟豊の近くで静かに補っていた。


 南肥後の相良が、阿蘇の座を支えている。


 それを見た者たちは、改めて知る。


 阿蘇はただ勝ったのではない。

 勝った家を、内へ入れて使う家なのだと。


     ◇


 その日、阿蘇の館には大評定が置かれた。


 上座に阿蘇惟豊。

 その少し下に、府内より戻った惟種。

 横には甲斐宗運。


 相良晴広、名和行興、龍造寺家宗、鍋島信房、鍋島種茂、甲斐親英、北里政久、田代宗傳、その他阿蘇・龍造寺・相良・名和の家臣らが列した。


 龍造寺隆信も、座の末近くにいる。

 顔には疲れが残っていた。

 だが、その目は爛々としている。


 戦で名を上げた若者の目だった。


 鍋島信房は、その横で静かに座していた。

 隆信の勢いを押さえ、龍造寺の働きを形にした男である。


 派手ではない。

 だが、その静けさが、かえって重い。


 惟豊が座を見渡した。


「始める」


 その一声で、館の空気が締まった。


 最初に口を開いたのは、龍造寺家宗である。


「肥前西部の戦、ひとまず決着にございます」


 家宗は続けた。


「大村方の主だった城は落ちました。有馬方もまた、残る城を失い、組織だった抵抗は崩れております」


 座の奥で、小さく息が動いた。


 惟豊は表情を変えない。


「有馬は」


「晴純は先の戦にて討死。以後、家中はその名を掲げて抗いましたが、城を失い、残党は散りました」


「大村は」


「なお抗う者はおります。されど城は落ち、兵は散り、もはや家として兵をまとめる力はございませぬ」


 そこで、鍋島信房が静かに補った。


「降伏勧告は幾度も出しております」


 惟豊の視線が信房へ向く。


「幾度も、か」


「はい。城を囲む前。囲んだ後。城門を破る前。破った後。落ち延びる者にも、武を置けば命は助けると触れました」


「それでも下らなんだか」


「下りませなんだ」


 信房の声は重い。


「有馬も大村も、もはや家名より意地で動く者が多うございます。山へ散り、海辺へ逃げ、名を掲げて乱を呼ぶ気配がございます」


 惟豊はしばらく黙った。


 そして、低く言った。


「ならば、見つけ次第処刑せよ」


 座が、わずかに冷えた。


「ただし」


 惟豊は続ける。


「百姓に紛れ、武を捨て、田へ戻る者まで掘るな。刀を持ち、名を掲げ、また民を焼こうとする者を斬れ」


「はっ」


「降る道は示した。何度も示した。それを拒み、なお乱を呼ぶなら、もはや国人ではない。火種だ」


 誰も異を唱えなかった。


 降る者は残す。

 火種は刈る。


 それが阿蘇の裁きであった。


     ◇


 次に、西郷と松浦の話へ移った。


 田代宗傳が文を広げる。


「西郷より、起請文が届いております。人質の差し出し、兵糧の供出、道案内、境目の一部城砦の開城を認めております」


「遅いが、間に合ったな」


 惟豊が言うと、宗傳は頷いた。


「松浦もまた、従属を願い出ております。船数の改め、水先案内の供出、海賊働きの禁止、阿蘇水軍への協力を受け入れるとのこと」


 甲斐親英の目が、少しだけ動いた。


 海の話である。

 親英にとって、これは他人事ではない。


 惟豊は短く告げた。


「西郷、松浦は残す」


 座に、静かな重みが落ちる。


「だが、勝手は許さぬ。降る者を残すとは、好きにさせることではない。阿蘇の下で働くということだ」


 異を唱える者はいない。


「松浦の船は、親英が改めよ」


「承りました」


「海を知る者は要る。だが、海を知る者を野に置けば、また海が乱れる。松浦には働かせよ。働かぬなら、船を取り上げる」


「はっ」


 惟種は、そのやり取りを黙って聞いていた。


 松浦を残す。

 だが、海を握る。


 西郷を残す。

 だが、道を握る。


 父は、もうただ勝った者を処理しているのではない。

 勝った先の道と海を縛っている。


     ◇


 やがて、恩賞と仕置きの話になった。


 田代宗傳が、肥前の地図を広げる。


 有馬領。

 大村領。

 西郷。

 松浦。

 港。

 城。

 道。

 山。

 海。


 地図の上に、白い小石と黒い小石が置かれていく。


 惟豊は、まず有馬旧領を指した。


「有馬の旧領は、相良、名和、親英へ分ける」


 相良晴広は動じなかった。

 名和行興は、与えられた重さを噛みしめるように頭を垂れる。

 甲斐親英だけが、一瞬、目を見開いた。


 惟豊は続ける。


「相良には預地を与える。遠い地だ。直接治めるには難しかろう。だが、代官を置き、阿蘇の文官とともに回せ」


「承りました」


「南を守る相良が、有明の口にも手を持つ。これより先、相良はただ山に籠もる家では済まぬ」


「肝に銘じます」


 惟豊は次に名和行興を見た。


「名和」


「はっ」


「そなたにも有馬旧領の一部を預ける。名和は阿蘇の下で働くと申したな」


「はい」


「ならば、働け。名を残すとは、阿蘇の座で頭を下げることではない。阿蘇の名の下で、人を食わせ、地を太らせることだ」


 行興は、深く頭を下げた。


「必ずや、名和の名に恥じぬ働きをいたします」


 惟豊は頷き、親英へ目を向けた。


「親英」


「はっ」


「有馬旧領の港と船場の一部を預ける。松浦の船とも合わせて、海を見ろ」


 親英の目が輝く。


「ありがたく」


「喜ぶのは早い」


 惟豊の声は低い。


「海は豊かだが、乱れやすい。船を増やせば銭も増える。だが、船を野に放てば盗みも増える」


「承知しております」


「海を阿蘇のものにせよ。だが、海を殺すな」


「はっ」


 親英は深く礼を取った。


     ◇


 次に、大村旧領へ話が移った。


 惟豊は、地図の西北を指す。


「大村の旧領は、龍造寺と鍋島へ多く分ける」


 龍造寺家宗が礼を取る。

 隆信もまた、勢いよく頭を下げた。

 鍋島信房は静かだった。


「龍造寺には地を与える」


 惟豊は言った。


「肥前で戦い、肥前を知る者が治めるのが筋だ」


「ありがたきことにございます」


 家宗の声には、重さがあった。


 かつて龍造寺は失った。

 阿蘇の下で再び立った。

 そして今、肥前の地を与えられる。


 それは単なる恩賞ではない。

 龍造寺が、阿蘇の下で肥前を治める役を担うということだった。


 惟豊は、続けて信房を見た。


「鍋島には要地と監督を任せる」


「はっ」


「龍造寺が前に立ち、鍋島が締めよ。地を得た時ほど、家は膨らむ。膨らむ時ほど、割れやすい」


「心得ております」


 信房は迷わず答えた。


「隆信」


 突然名を呼ばれ、隆信が顔を上げる。


「はっ」


「此度、よく働いた」


 その言葉に、座の空気が少しだけ緩んだ。


 隆信の顔に、隠しきれない喜びが浮かぶ。


「ありがたき御言葉!」


「だが、前へ出すぎるな」


 次の一言で、隆信の背が固まった。


「槍が強いことは分かった。兵がつくことも分かった。だが、主立つ者が勢いだけで前へ出れば、家ごと突き出る」


「……はっ」


「信房の言うことを聞け」


 隆信は、一瞬だけ口を結んだ。

 それでもすぐに、深く頭を下げる。


「承知いたしました」


 信房は横で、静かに目を伏せていた。


 種茂はその姿を見て、少しだけ胸が温かくなる。


 清房が生きていれば、今の場をどう見ただろうか。


 おそらく、笑いもせず、ただ頷いただろう。


     ◇


 恩賞の話が一通り済むと、惟豊の視線は惟種へ向いた。


「惟種」


「はっ」


「此度の戦、ようやった」


 座が静まった。


 惟種は、すぐには返せなかった。


「父上」


「肥前で槍を振るったのは、龍造寺、鍋島である。城を落としたのも、血を流したのも現地の者たちだ」


「はい」


「だが」


 惟豊の声が重くなる。


「大友を折り、府内を押さえ、豊後からの背を断ったのは、そなたの働きだ」


 惟種は黙った。


「府内が落ちねば、大友はなお兵を集めた。義鎮の独断で六千しか出なかったとはいえ、本来なら一万を超える兵を集められる家だ。そこを大筒と策で折り、隼人を残し、政と兵を阿蘇が握った」


 惟豊は、座を見渡す。


「それがあればこそ、肥前は崩れた」


 龍造寺家宗が応じた。


「御屋形様のお言葉、まことにその通りにございます」


 鍋島信房も続く。


「背より大友が来ぬと知れたからこそ、我らは大村、有馬へ押し込めました」


 隆信もまた、少し照れたように、しかし力強く言った。


「若君の働きあってこそにございます」


 惟種は、少し困った顔をした。


「現地で働いた者たちの功でございます」


「それも正しい」


 惟豊は言う。


「だが、働ける形を作った者の功もまた、功だ」


 惟種は、深く頭を下げた。


「ありがたき御言葉にございます」


 惟豊は頷いた。


「よって、改めて命じる」


 座の空気が変わる。


「旧大友領の仕置は、惟種に任せる」


 ざわめきが、低く広がった。


 旧大友領。

 豊後府内。

 港。

 旧大友家臣団。

 大友隼人。

 周辺国衆。

 秋月や田原、義武の火種。


 あまりに重い。


 惟種はまだ若い。

 だが、すでに府内を動かし始めている。


 阿蘇の財と文官を入れ、港を直し、米を巡らせ、市を戻している。


 惟豊は続けた。


「宗運」


「はっ」


「そなたは補佐せよ」


「承りました」


 宗運は迷わず受けた。


「府内、港、旧大友家臣、大友隼人の扱い、すべて惟種が見る。阿蘇の兵も文官も、必要な分は回す」


 惟豊の視線が惟種に戻る。


「大友の名を残した以上、痩せさせるな」


「承りました」


「大友を残すことは、情けではない」


「はい」


「縄だ。だが、斬るための縄ではない」


「繋ぐための縄にございます」


 惟豊は、わずかに頷いた。


「ならば、繋いでみせよ」


「はっ」


     ◇


 最後に、惟豊は座全体へ向けて言った。


「これにて、ひとまず戦乱は終わった」


 誰も息を抜かなかった。


 ひとまず。


 その言葉の重さを、座の誰もが知っている。


 有馬、大村は敗れた。

 西郷、松浦は従属した。

 大友は阿蘇の下に置かれた。

 筑後も、肥前も、豊後も、形は定まりつつある。


 だが、火種はある。

 残党もいる。

 腹の底で阿蘇を測る者もいる。


 それでも、今は戦を止めねばならなかった。


「これより先、しばらくは内政に励め」


 惟豊の声は、広間に低く響いた。


「取った国をすぐ食うな。まず食わせよ。田を戻せ。水を通せ。蔵を整えよ。道を直せ。市を戻せ。逃げた民を呼び戻せ」


 誰もが、その言葉を胸に刻んだ。


「刈る時は終わった」


 惟豊は言った。


「次は、植える時だ」


「はっ」


 座の声が揃った。


 大評定は、それで閉じられた。


     ◇


 人々が順に退出していく。


 龍造寺家宗は信房と低く言葉を交わし、隆信はなお興奮を抑えきれぬ顔で廊を歩いていた。


 名和行興は、与えられた預地の重さを噛みしめている。

 相良晴広は、惟豊へ一礼し、静かに下がった。

 親英はすでに、松浦の船と有馬の港を頭の中で並べている顔だった。


 惟種もまた、宗運とともに座を下がろうとした。


 その時である。


「惟種」


 惟豊の声がした。


 惟種は足を止める。


「はっ」


「宗運も残れ」


 宗運の目が、わずかに細くなった。


「承知いたしました」


 広間から人が消えていく。

 襖が閉じられ、足音が遠ざかる。


 残ったのは、惟豊、惟種、宗運。


 少し離れて、相良晴広だけが控えようとした。

 だが、惟豊が目で下がらせる。


 晴広は何かを察し、静かに頭を下げて出ていった。


 静けさが落ちた。


 惟種は、父を見る。


「父上」


「うむ」


 惟豊は、しばらく何も言わなかった。


 先ほどまで大評定を裁いていた顔とは違う。

 戦勝の後始末でも、恩賞でも、残党処理でもない。


 もっと別のものを見ている顔だった。


 宗運が静かに口を開く。


「何か、ございましたか」


 惟豊は頷いた。


「南より、客が来ておる」


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