第百十一話 千の刃①
天文十八年(一五四九年)六月。
肥後、岩尾城へ続く街道。
阿蘇惟種は、馬を飛ばしていた。
率いるのは、常備兵一千。
有馬水軍を撃破した直後、大友軍挙兵の知らせを受けた惟種は追撃を打ち切った。宗運と親英にはそれぞれ別命を授け、自らは選抜した常備兵一千を率いて岩尾城を目指している。
「急げ! 兵は神速を貴ぶ!!」
惟種の号令が、街道に響いた。
「大友が攻めてきておるのだ! 一刻も早く本国へ戻るぞ!」
「応!!」
兵たちが声を上げ、さらに進軍を速める。
海戦を終えたばかりで、疲労がないはずはない。それでも日頃から鍛えられた常備兵は隊列を崩さず、騎馬を先頭に、徒歩の兵も足を緩めなかった。
幸い、道は整っていた。
商いのために何年もかけて整備してきた街道が、今は軍の移動を大きく助けている。沿道の拠点には水や食糧も備えてあり、補給のため長く足を止める必要もない。
(……まさか、こんな形で役立つとはな!)
惟種は馬上で歯を食いしばった。
(くそっ! 有馬を片づけたと思ったら、今度は大友か!)
後方へ目を向ける。
兵たちはよくついてきている。疲れこそ見えるものの、隊列が大きく乱れる様子はなかった。
「もう少しだ! 踏ん張れ!」
惟種が再び声を張り上げた。
「本国を守るのは我らぞ! 大友などに好き勝手させるな!」
「応!!!」
兵たちは、その声に応えて進軍を続けた。
◇
岩尾城へ近づくにつれ、街道の様子が変わり始めた。
反対方向から、大勢の領民が歩いてくる。
荷車を押す者。
牛馬を曳く者。
子供を抱え、年寄りの手を引いて歩く者。
いずれも家財を抱え、慌ただしく避難していた。
(……父上が手を打ってくださったか)
惟種は少しだけ安堵した。
避難する領民たちの列は、役人や兵によってよく整理されている。惟種たちの軍勢が近づくと、道を空けるよう指示が飛び、領民たちが脇へ寄っていった。
「……若君?」
一人の男が、驚いたように声を上げた。
「若君が戻られたぞ!」
その声に、周囲の領民たちも顔を上げる。
惟種は馬上から彼らへ声をかけた。
「皆、避難を続けよ! 荷は無理に運ばずともよい! まずは命を守るのだ!」
「は、はい!」
「町のことは、わしらに任せておけ!」
領民たちは次々と頭を下げた。
惟種はその横を通り過ぎ、さらに馬を進める。
しばらくすると、前方の空に黒い煙が見えた。
最初は一か所だけかと思った。
だが、近づくにつれて何本もの煙が立ち上っていることが分かる。
惟種の表情が変わった。
(……おい)
(まさか)
やがて、風に乗って焦げ臭い匂いまで漂ってきた。
間違いない。
町が燃えている。
「……くそっ!」
惟種は手綱を強く握った。
何年もかけて育ててきた町が、燃えている。
「全軍! 急げ!!」
声を張り上げた。
「町が襲われておる! 一刻も早く向かうぞ!!」
惟種は馬を進め、常備兵一千がその後に続いた。
◇
岩尾城の東に広がる町では、大友軍による放火が続いていた。
家々から炎が上がり、商家の蔵は破られ、残された品々が兵たちによって運び出されている。
多くの領民はすでに避難していたが、すべての家財まで運び出せたわけではない。
「阿蘇の者ども! 見ておるか!」
「惟豊に伝えよ! 町が燃えておるぞ!」
「出てこい! 阿蘇惟豊!」
挑発する声が、あちこちから上がっていた。
惟種は燃え上がる町を見渡した。
見覚えのある商家が燃えている。
ついこの間まで人々が行き交っていた道には、焼けた木片や奪い出された荷が散乱していた。
(……俺が、どれだけ銭を使ったと思っている)
(どれだけ人を集めて、ここまで育てたと思っているんだ!)
市場には商人が集まり、工房では職人たちが働いていた。
ようやく軌道に乗り始めた町だった。
それを、大友軍が焼いている。
「……くそっ!!」
惟種は歯を食いしばった。
その時、煙の向こうに一際大きな馬印が見えた。
「……あれは?」
近くの兵が答える。
「大友の馬印にございます!」
「……義鎮か?」
「おそらくは!」
惟種は、その旗を睨みつけた。
六千もの軍勢を率いる総大将が、なぜか町の中まで出てきている。
しかも周囲の兵は、放火や略奪のため各所へ散らばり、まともな隊列を組んでいなかった。
(……あいつか)
惟種は腰の刀を抜いた。
「全軍!!」
常備兵たちが一斉に顔を上げる。
「狙うは、あの大友の馬印だ!!」
兵たちが進む方向を変えた。
惟種は、燃え上がる町を一度だけ振り返った。
「俺の、私の、わしの町に手を出すなあああああ!!!」
惟種の怒号が、戦場に響き渡った。
「突撃ぃぃぃ!!!」
「応!!!」
常備兵一千が、大友義鎮の馬印を目指して一斉に動き出した。
◇
最初に異変へ気づいたのは、町の外れで略奪を続けていた大友兵だった。
背後から、激しい馬蹄の音が近づいてくる。
振り返ると、阿蘇の旗が見えた。
しかも、その後ろには整然と進んでくる兵がいる。
「な、何だ!?」
「阿蘇の兵だ!」
「どこから来た!」
兵たちが慌てて武器を取る。
しかし、すでに遅かった。
先頭の騎馬が迫り、続く兵がまとまった隊列のまま押し寄せる。
「ぐあっ!」
「退け! 退けぇ!」
「何をしておる! 敵は千ほどだぞ!」
放火と略奪で散っていた大友兵に対し、阿蘇兵は隊列を崩さない。
騎馬が敵を乱し、その隙へ槍兵が入り込む。まとまって抵抗しようとする場所には、鉄砲が撃ち込まれた。
大友兵は次々と押し崩されていく。
「押せ! そのまま進め!」
惟種の号令が飛んだ。
「義鎮の馬印を見失うな! ほかの敵に構う必要はない!」
千の常備兵が、一つの目標へ向かって突き進んでいった。
◇
その頃、戸次鑑連のもとにも急報が届いていた。
「……何だと?」
伝令の言葉に、思わず聞き返す。
「阿蘇惟種が戻ったと申すのか?」
「はっ! およそ一千の兵を率い、町へ向かっております!」
鑑連は眉を寄せた。
「……有馬が、もう敗れたのか?」
近くにいた吉弘鑑理も驚きを隠せない。
「早すぎる。海戦が始まってから、まだそれほど時も経っておらぬぞ」
臼杵鑑速も険しい表情を浮かべた。
「しかも、一千の兵を連れてここまで戻ったというのですか」
三人は地図へ目を落とした。
港から岩尾へ続く街道を見た鑑連が、ふとつぶやく。
「……道を、作っておったか」
鑑速が顔を上げた。
「道、にございますか?」
「うむ。阿蘇は以前から、街道を整えておったと聞く」
鑑連は地図を指さした。
「商いのためだと思っておったが、兵を動かすにも使える。道が整っておれば、行軍の速さも違う」
「……なるほど」
鑑理もうなずいた。
「……恐ろしいことをする」
鑑連が、思わずつぶやいた。
その時、別の伝令が駆け込んできた。
「申し上げます!」
「何だ!」
「阿蘇勢、町へ突入いたしました!」
「……町だと?」
鑑連の表情が変わった。
「どこへ向かっておる!」
「大友の馬印にございます!」
三人の顔色が変わった。
「……しまった!」
義鎮は、自ら馬印を掲げて町へ出ている。
しかも周囲の兵は放火や略奪のために散っていた。
そこへ、惟種率いる常備兵一千が突っ込んできたのである。
鑑連は、すぐに立ち上がった。
「若が危ない!」
二人へ向き直る。
「吉弘殿! 渡河点の兵は任せる! 不用意に動かすな!」
「承知!」
「臼杵殿! 別働を止め、若の退路を確保してくれ!」
「はっ!」
鑑連は、すぐに輿を寄せさせた。
「わしは若のもとへ向かう! 旗本へ伝えよ! 直ちに馬印を下げ、退くのだ!」
伝令たちが一斉に走り出した。
鑑理は、その背へ声をかけた。
「……間に合いますか」
鑑連は答えなかった。
◇
大友義鎮は、馬上で怒鳴っていた。
「どうなっておる!」
つい先ほどまで町を焼き、惟豊が出てくるのを待っていた。
ところが、突然、町の外れで戦が始まった。
「申し上げます!」
旗本の一人が、息を切らして駆け寄ってきた。
「阿蘇惟種が、一千の兵を率いて攻めてきております!」
「……惟種だと?」
義鎮は、思わず聞き返した。
「惟種は海におるはずであろう!」
「それが、すでにこちらへ!」
「馬鹿な!」
義鎮は煙の向こうへ目を向けた。
「有馬は何をしておる!」
「分かりませぬ! ただ、阿蘇惟種がこちらへ向かっていることは間違いございませぬ!」
その時、町の外れから悲鳴が上がった。
「阿蘇惟種だ!」
「惟種がいるぞ!」
「阿蘇の常備兵だ! 退けぇ!」
確かに、阿蘇の旗が見える。
しかも、その旗は急速に近づいていた。
馬上の惟種を先頭に、阿蘇兵がまとまって押し寄せてくる。
迎え撃とうとした大友兵は、次々と崩されていた。
「……小倅め!」
義鎮は歯を食いしばった。
そこでようやく、自分の周囲を見た。
旗本こそ残っているが、その外側にいた兵の多くは放火や略奪のため散っている。
退こうとする道には荷車や奪い出した品々が散乱し、すでに逃げ始めた兵まで入り乱れていた。
「若! お退きくだされ!」
旗本の一人が声を上げる。
「退くのか!?」
「このままでは囲まれます! 戸次様の陣までお戻りを!」
義鎮は馬を返そうとした。
だが、すでに阿蘇の騎馬が迫っている。
後方の道は乱れた兵で塞がれ、旗本をまとめて退かせる余裕もなかった。
「……くそっ!」
義鎮は顔を歪めた。
このまま背を向ければ追いつかれる。
「槍を揃えよ! 迎え撃つのだ!」
旗本たちが慌てて前へ出た。
義鎮も馬を進める。
阿蘇の常備兵一千は、最初から義鎮の馬印だけを狙っていた。
周囲の兵を押し散らし、まとまった隊列のまま迫ってくる。
先頭の騎馬が旗本の列へ突っ込み、その混乱へ槍兵が続いた。
「若をお守りせよ!」
「馬印を下げろ!」
「退け! 退けぇ!」
命令が入り乱れる。
「義鎮を逃がすな!!」
惟種の怒号が響いた。
燃え上がる町を背に、阿蘇兵が一気に踏み込む。
旗本が一人、また一人と倒れた。
押された馬が大きく暴れ、義鎮の身体が鞍から投げ出される。
「ぐっ……!」
地面へ叩きつけられた義鎮が、起き上がろうとした。
そこへ阿蘇の槍兵が迫る。
旗本の一人が前へ出たが、横から別の兵に突き崩された。
「近づくな! わしは大友の――」
その言葉は、最後まで続かなかった。
阿蘇の槍が、義鎮の胸を貫いた。
義鎮は、一瞬だけ目を見開いた。
そして、口から血を流し、その場に崩れ落ちた。
大友義鎮。
父と弟を討ち、家督を奪い取ったばかりの若き当主は、こうして命を落とした。
そして、戦場に大声が響き渡った。
「大友義鎮、討ち取ったり!!」




