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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第百十七話 火種を集める

 府内の朝は、煙の匂いで始まった。


 夜のあいだに火はおおかた鎮められた。

 それでも、焼けた蔵の梁はまだ黒く湿り、港の方からは焦げた米と潮の匂いが流れてくる。町の辻には、昨日まで大友の者だけが歩いていた道を、阿蘇の兵が槍を伏せて進んでいた。


 勝った兵の歩き方ではない。


 奪いに来た足ではない。

 押さえに来た足である。


 府内館の庭には、二つの旗があった。


 大友の旗。

 阿蘇の旗。


 大友の旗は下ろされていない。

 だが、阿蘇の旗は、その横でわずかに高い。


 そのわずかさが、かえって人の腹へ重く落ちた。


 大友は滅びていない。

 だが、もう大友だけでは立てない。


 それを、誰もが見た。


     ◇


 惟豊は、庭の旗をしばらく見ていた。


 顔には、勝った者の笑みはない。

 疲れも、安堵も、ほとんど表には出ていない。ただ、長く国を見てきた者の目で、府内という場所の重さを量っていた。


 その少し後ろに、惟種が控えている。

 さらに宗運、種茂、新納忠元、親英が並んでいた。


 惟豊が、ようやく口を開いた。


「惟種」


「はっ」


「府内は、そなたに預ける」


 その一言で、庭の空気がわずかに動いた。


 惟種はすぐには返せなかった。


 府内を預ける。

 それは城を一つ預ける話ではない。

 大友の腹を預けるということだ。

 海を預けるということだ。

 旧大友家臣団の屈辱と怒りを預けるということだ。

 そして、阿蘇が大国となったあとの最初の重荷を、自分に負わせるということだった。


 惟豊は続けた。


「わしは肥後へ戻る」


「父上が」


「阿蘇の根を空けるわけにはいかぬ」


 短い言葉だった。

 だが、誰も反論しなかった。


 府内を押さえた今だからこそ、肥後が揺らいではならない。

 阿蘇の本国が締まっているからこそ、筑後も肥前も豊後も動かせる。

 惟豊が肥後に戻るのは、後ろへ退くためではない。

 根を守るためである。


「肥前筋よりも報せが来ておる」


 惟豊は視線を動かさぬまま言った。


「西郷、松浦より、降伏従属を願う使者が出た」


 種茂の目がわずかに動いた。


 肥前が、また動く。

 大友を折ったその日に、もう西の家々は膝の置き場を探し始めている。


「大村、有馬は」


 惟種が問う。


「抗う」


 惟豊の返しは短かった。


「有馬晴純は先の海で死んだ。ゆえに、なおさら退けぬであろう」


 庭に、しばし沈黙が落ちた。


 主を失った家が折れるとは限らない。

 むしろ、死んだからこそ退けなくなることがある。

 死んだ主の名は、生きた主よりも時に重い。

 その名を担ぐ者がいれば、家中は意地で固まる。


 宗運が静かに目を伏せた。


 惟豊は言った。


「それを肥後にて受ける。西郷、松浦の起請は、わしが見よう。降る者は残す。だが、道案内、兵糧、船、人質、いずれも曖昧にはせぬ」


「承知しました」


 惟種は頭を下げた。


 惟豊は、そこで初めて惟種を見た。


「そなたは府内を見よ」


「はっ」


「勝った後で国は痩せる」


 その声は、少しだけ父のものになった。


「そこを違えるな」


 惟種は、深く頭を下げた。


「違えませぬ」


「ならばよい」


 惟豊はそう言い、さらに一歩だけ近づいた。


「ただし」


「討つべき者は討て。だが、討つために民を焼くな」


「……はっ」


「阿蘇はそこを違えてはならぬ」


 惟豊はそれだけ言い、もう一度旗を見た。


「府内は任せる」


 今度こそ、惟種は迷わず頭を下げた。


「承りました」


     ◇


 新納忠元は、出立の支度を終えていた。


 島津の兵は多くない。

 だが、来た時と同じく、去る時も列は乱れていなかった。

 馬の鞍には、阿蘇からの礼物が積まれている。文もある。米もある。道中の替え馬も整えられていた。


 惟豊が、忠元の前に進み出た。


「此度は、まことに世話になった」


 忠元は深く頭を下げた。


「お役目にて」


「役目で済ませるには、働きが過ぎる」


 惟豊の言葉は、以前と同じだった。

 忠元は顔を上げない。


「島津より五百。数だけならば大きくはない。だが、あの二百が背にあったからこそ、こちらは前を押せた」


 惟種も一歩前に出た。


「新納殿」


「は」


「此度、阿蘇は島津に借りを作った」


 忠元は顔を上げた。


「若君」


「忘れぬ」


 惟種は短く言った。


「阿蘇と島津、どちらか一つだけが太ればよい縁ではない。両家ともに太ってこそ、この盟は生きる」


 忠元は、しばらく惟種を見ていた。


 若い。


 だが、その目はすでに一城一郡を見ている目ではなかった。


 筑後。

 肥前。

 豊後。

 海。

 島津。

 その向こう。


 この童は、どこまで見ているのか。


 忠元は深く頭を下げた。


「そのお言葉、日新斎様、貴久様へ必ずお伝えいたします」


「頼む」


「されど」


 忠元は少しだけ口元を緩めた。


「島津へ持ち帰るべきは、勝ちの報せだけではなさそうにございますな」


 惟種も、わずかに笑った。


「何を持ち帰る」


「勝つ前より、勝った後の方が恐ろしい家であった、と」


 宗運が、袖で口元を隠した。


 惟豊は息を吐く。


「余計なことまで持ち帰らずともよい」


「恐れながら」


 忠元は静かに返した。


「見たものを見なかったことにはできませぬ」


 それで、場の空気が少しだけ緩んだ。


 だが、忠元の目は笑っていない。


 府内を焼かずに降らせた。

 隼人を殺さずに残した。

 旧大友家臣を預かり、政と兵だけを抜いた。

 そして今、父は肥後へ戻り、子は府内に残る。


 勝った後に形を崩さぬ。

 それが何より恐ろしかった。


 忠元は最後に、惟種へ向けて言った。


「若君」


「何だ」


「どうか、ご無事に」


 惟種は少し意外そうにした。


「府内は、まだ戦場にございます」


 忠元は言う。


「槍を持つ者だけが敵ではございませぬ」


 惟種は、しばらく忠元を見た。

 それから小さく頷く。


「心得ている」


「ならば、よろしゅうございます」


 忠元は馬に乗った。


 島津の兵が動き出す。

 阿蘇の兵が見送る。


 府内の道に、馬蹄の音が響いた。

 それは勝利の音ではない。

 次の縁へ向かう音であった。


     ◇


 その日の夕刻、府内館の奥に小さな評定が置かれた。


 広間ではない。

 勝利を示すための座ではない。

 これから府内を縛るための座である。


 いるのは少ない。


 惟種。

 宗運。

 鍋島種茂。


 親英は港へ出ている。

 戸次鑑連は傷の養生を兼ね、隼人の近くへ置かれていた。

 吉岡長増は館中を鎮めるため、まだ廊を歩いている。

 角隈石宗には、後で呼ぶと伝えてある。


 板の上には、府内とその周辺の見取り図が広げられていた。

 港。

 府内館。

 蔵。

 番所。

 大友旧臣の屋敷。

 寺。

 町。

 そして、周辺の国衆の名。


 惟種は、まず一つを指した。


「常備兵二千は、そのまま府内に置く」


 宗運が頷く。


「港を押さえた兵にございますな」


「そうだ」


「すぐ肥後へ戻さず」


「戻さぬ」


 惟種の返しは早かった。


「府内は、まだこちらの国ではない。旗は立った。門も開いた。だが、それだけだ」


 種茂は黙って聞いていた。


「二千で足りますか」


 宗運が問う。


「今は」


「段階的に増やす、と」


「増やす。だが」


 惟種は地図を見た。


「先に内政だ」


 宗運の目が、わずかに細くなる。


「港、蔵、町、道、米、人足、商人」


「それに怪我人、流民、女房衆、寺」


 惟種は続けた。


「乱妨を禁じた以上、食わせねばならぬ。食わせぬ兵は奪う。奪えば府内は離れる」


「まことに」


「港を直す。焼けた蔵の米を数える。使える船を改める。逃げた商人を戻す。関銭は一時軽くする。職人には銭を出す。夜番を置く。灯も増やす」


 種茂が、思わず顔を上げた。


「灯、でございますか」


「そうだ」


 惟種は当然のように言った。


「夜が暗いと、人は悪いことを考える。悪いことを考える者は、暗い道を好む」


 宗運が低く笑った。


「若君は、夜まで治めるおつもりで」


「できるところからな」


 種茂は、少しだけ息を呑んだ。


 戦の話ではない。

 だが、戦よりも細かく、戦よりも面倒で、戦よりも深く人の暮らしへ入り込む話だった。


 阿蘇は勝った。

 だが、この人は勝った場所をすぐ田と市と灯の話へ変える。


 清房の言葉が、種茂の胸に戻った。


 若君の見ておる先を、よう見ておれ。


 その先は、遠かった。

 遠すぎて、時々足元が見えなくなるほどだった。


     ◇


「人の配置を決める」


 惟種は言った。


 宗運が筆を取る。

 種茂も姿勢を正した。


「戸次鑑連殿は、府内に残す」


「隼人様の守護、という名目にございますな」


「そうだ。戸次殿は大友の臣だ。阿蘇の家臣として扱えば、かえって面倒になる」


「では、大友を守るため阿蘇の命に従う、と」


「それでよい」


 宗運はさらりと書きつけた。


「吉岡長増は」


「隼人の側。館中の鎮め役」


「使えますな」


「使える」


 惟種は短く答えた。


「負けた時に、大友を残すため頭を下げた。ああいう者は、見ておくべきだ」


 宗運が頷く。


「角隈石宗は」


「近くに置く」


 種茂が少し顔を上げた。


「近くに、でございますか」


「うむ」


 惟種は地図から目を離さない。


「あの者は、こちらを見る目がある。遠ざければ、遠くからこちらを読む。ならば近くで読ませた方がよい」


 宗運が笑った。


「読まれることを承知で近づけるとは」


「読ませるものを選べばよい」


 種茂は、また少し引いた。


 近くへ置く。

 だが信用しきるわけではない。

 見せるものと見せぬものを分ける。

 それを当然のように言う。


 これが、若君のそばか。


 種茂は、膝の上の手に少し力を入れた。


「吉弘鑑理は肥前へ」


 惟種が続けた。


「龍造寺、鍋島の筋に合わせる。ただし主には置かぬ。軍監、交渉、見せ札だ」


「大友の重臣が阿蘇の命で肥前に動く。それ自体が、外への示しになりますな」


「府内からも離せる」


 宗運が静かに言った。


 惟種は否定しなかった。


「高橋鑑種は筑後」


「筑後の押さえに」


「筑後はまだ太らせている途中だ。旧大友筋の者を置くなら、そこがよい」


「臼杵鑑速は」


「豊後内の国衆整理。吉弘と一緒に府内へ残すには重すぎる」


「親英殿は港と船」


「当然だ」


 惟種は軽く頷いた。


「府内は海で生きる。港を押さえねば、府内を押さえたことにならぬ」


「樋口、新吉郎は」


「呼ぶ」


「役は」


「まずは、そば仕えだ」


 宗運の筆が止まった。


「そば仕えにございますか」


「樋口は、文官として近くで使ってみる」


 惟種は言った。


「頭は悪くない。現場も見る。あとは帳面の上で人を動かせるかを見たい」


「鍛えますか」


「鍛える」


「新吉郎は」


「万満丸の面倒を見させる」


 種茂が、そこで目を瞬いた。


「相良の若君にございますな」


「そうだ」


 惟種は、わずかに息を吐いた。


「相良晴広殿の嫡男。後に相良を背負う子だ。人質とは言わぬ。学びに来たことにする」


「実は」


 宗運が言う。


「誠意にございますな」


「そうだ」


「こちらから見れば、南を縛る縄」


「斬る縄ではない」


 惟種はすぐに返した。


「繋ぐ縄だ」


 宗運は、少しだけ笑った。


「若君は、その言い方がお好きですな」


「便利だからな」


 種茂は、そこで口元を引き結んだ。


 人質ではない。

 学び。

 そば仕え。

 繋ぐ縄。


 言葉は柔らかい。

 だが、やっていることは柔らかくない。


 相良の次代を、阿蘇の近くで育てる。

 大友の幼主を、府内に置いたまま阿蘇の下で育てる。

 鍋島の自分もまた、清房の遺命で若君の近くにいる。


 気づけば、次代が集められている。


 それが偶然であるはずがなかった。


     ◇


 夜が深くなったころ、話はさらに奥へ入った。


 宗運が別の文を広げる。


「秋月より、従属の意を示す文が来ております」


「文は」


「丁寧にございます」


「人質は」


「送らず」


「兵糧は」


「出すとは申しております。期日は曖昧」


 惟種は鼻で息を吐いた。


「頭は下げるが、膝は折らぬか」


「左様にございます」


 種茂は、そこで少しだけ身を固くした。


 秋月。

 筑前の要。

 大友に従ってきたが、家としての腹は深い。

 大友が揺れた今、阿蘇へすぐ膝を折るとは限らない。


 宗運は、淡々と続けた。


「大友義武も、静かではありませぬ」


「だろうな」


 惟種の返しは、あまりに早かった。


「田原親宏も、同じく」


「それもだ」


「止めますか」


 宗運が問うた。


 惟種は、すぐには答えなかった。


 灯明の火が揺れる。

 遠くで、夜番の声がした。

 府内の夜は、まだ阿蘇の夜ほど整っていない。

 暗がりが多い。

 声の届かぬ道がある。

 何かを隠すには、まだ十分すぎるほどの夜だった。


「よい、潜らせろ」


 惟種は言った。


「はい」


「潜られれば、長引く」


「はい」


「長引けば、村が焼ける。道が荒れる。蔵が減る。民が逃げるだろう」


「はい」


 宗運は、ただ頷いた。


 惟種の声が低くなる。


「だが、こちらは大友を残した」


「はい」


「府内を完全には焼かなかった」


「はい」


「隼人を殺さなかった。御母堂にも無礼はさせぬ。旧臣の忠も認めた。降る道も置いた」


「すべて、その通りにございます」


「それでも刀を取るなら」


 惟種は、そこで初めて宗運を見た。


「義は、こちらにある」


 種茂の背筋に、冷たいものが走った。


 その言葉は、正しい。

 正しいからこそ、怖かった。


 宗運は静かに言った。


「では、火種を集めますか」


「そうだ」


「こちらから火をつけてはなりませぬ」


「分かっている」


「火のある場所に、風の通り道を作るだけにございます」


 惟種は少し笑った。


「さらに火は燃え上がるか、悪いな」


「若君ほどでは」


 種茂は思わず二人を見た。


 二人とも、笑っている。

 笑っているが、目は少しも笑っていない。


「義武は動く」


 惟種は言った。


「動かねば、誰かに担がれる。阿蘇に膝をつかぬ大友の旗が欲しい者はいる」


「秋月は、その旗を見ましょうな」


「見ればよい」


「田原も」


「そうだな」


「小さな国衆も」


 惟種は、地図の上に指を置いた。


「一つずつ火を消すのは面倒だ。逃げた火が村を焼く。ならば、火元をまとめる」


「まとめて」


「潰す」


 短い言葉だった。


 種茂は、喉が乾くのを感じた。


 惟種は、怒っていない。

 血に酔っているわけでもない。

 ただ、国を太らせるために、邪魔な火をどう消すかを考えている。

 もはや惟種には天下が見え始めていた。

 だから義を得、そして確実に勝てる道を考えるようになった。


 それが一番怖かった。


「若君」


 種茂は、気づけば口を開いていた。


 惟種が目を向ける。


「何だ」


「……その、よろしいのでございますか」


「何がだ」


「わざと、動かせるようにするのは」


 口にしてから、種茂は少し後悔した。

 だが、惟種は怒らなかった。


「種茂」


「は」


「大友の名を残せば、必ずそれを使う者が出る」


「はい」


「使わせぬように縛れば、地下で腐る。木と同じように腐れば、いつかこちらの足元で毒になる」


 惟種は地図を見た。


「ならば、見えるところへ出す」


「出して、討つ」


「討つべき者ならな」


 種茂は顔を上げた。


「降る者は残す」


 惟種は言った。


「それは変えぬ。秋月であれ、田原であれ、義武であれ、降って働くなら使う。だが、民を焼き、隼人を担ぎ、大友の名で国を乱すなら」


 声が冷える。


「今度こそ、壊滅させる。それで初めて豊前・豊後は安定する」


 種茂は、何も言えなかった。


 宗運が静かに言葉を添える。


「若君は、乱を望んでおられるわけではない」


「分かっております」


「ただ、乱が避けられぬなら、こちらが場所と時を選ぶ」


 それは戦の言葉だった。

 だが、今は政の言葉でもあった。


 種茂は、深く息を吸った。


「……学びます」


 惟種が少し眉を上げる。


「何をだ」


「若君の見ておられる先を」


 清房の言葉そのものだった。


 惟種は、少しだけ表情を緩めた。


「無理に真似るな」


「はい」


「宗運の真似を先にすると、性格が悪くなる」


 宗運が咳払いをした。


「若君」


「何だ」


「そこは否定していただきたいところにございます」


「事実だろう」


 種茂は、思わず小さく笑いかけた。

 だが、すぐに口元を引き締める。


 怖い。

 だが、面白い。


 若君のそばにいるとは、こういうことか。


 種茂は、心の中でそう呟いた。


     ◇


 評定が終わるころには、夜はさらに深くなっていた。


 府内館の庭には、まだ二つの旗が揺れている。

 その下で、阿蘇の兵が番に立つ。

 数は二千。

 多くはない。

 だが、今この府内を押さえる芯としては足りる。


 これから増やす。

 だが、まずは兵ではない。


 米。

 道。

 港。

 蔵。

 人。

 灯。

 文。


 国を治めるものは、槍よりも多い。


 惟種は廊へ出た。


 遠くの奥で、大友隼人の御座所に灯がともっている。

 その近くに、戸次鑑連の者が静かに控えている。

 大友の幼い主は生きている。

 大友の名も残っている。


 だからこそ、火種も残っている。


 宗運が横に並んだ。


「若君」


「何だ」


「天下の果てが、少し見えましたかな」


 惟種は答えなかった。


 代わりに、府内の暗い町を見た。


 焼けた蔵。

 砕けた港。

 怯える町人。

 腹に刀を隠す旧臣。

 降る家。

 抗う家。

 死んだ有馬晴純。

 荒れる大村。

 降伏を願う西郷。

 海を見て膝を折った松浦。

 そして、まだ阿蘇に膝をつかぬ者たち。


 どれも遠い話ではなかった。

 すべてが、今この夜の先につながっている。


「天下など、まだ遠い」


 惟種は言った。


「されど」


 宗運が続きを促す。


「遠いものは、見えてから歩いても遅い」


 宗運は、静かに笑った。


「では、歩きますか」


「歩く」


「火種を踏みながら」


「違う」


 惟種は、府内の闇を見たまま言った。


「火種を集めて、道を作る。通った跡は、火は無いようにする」


 宗運は、しばらく黙っていた。

 それから深く頭を下げる。


「承りました」


 その夜、府内にはまだ灯が少なかった。


 だが、阿蘇の者たちは知っている。

 灯は増やせる。

 道も作れる。

 蔵も戻せる。

 人も戻せる。


 ただし、その前に消さねばならぬ火がある。


 府内の夜風が、二つの旗を揺らした。

 大友の旗。

 阿蘇の旗。


 阿蘇の旗は、わずかに高い。


 その下で、鬼童は初めて、勝った国の闇を見据えていた。


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