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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第百十六話 鬼童、国を裁く

 吉弘鑑理と臼杵鑑速が府内へ戻った時、最初に見えたのは煙であった。


 港の方から、まだ黒い筋が上がっている。

 焼けた木の匂い。

 焦げた米の匂い。

 潮と火薬の匂い。


 府内は生きていた。


 だが、無傷ではなかった。


「……府内館は」


 鑑速が呟いた。


 誰も答えなかった。


 答えは、すぐに見えた。


 府内館の庭に、大友の旗が立っている。


 煤をかぶり、端は焼けていた。

 それでも、まだ下ろされてはいない。


 だが、その横に別の旗があった。


 阿蘇の旗である。


 しかも、大友の旗より、わずかに高い。


 吉弘鑑理は馬上で動きを止めた。


 府内館は、落ちていなかった。

 焼き尽くされてもいなかった。


 だが、もう大友だけの館ではなかった。


「間に合わなんだか」


 鑑理の声は掠れていた。


 臼杵鑑速は、唇を噛んだ。


「門が開いております」


 府内館の門は、壊れかけていた。

 門脇の壁は大きく抉られている。


 だが、門そのものは開いていた。


 砕かれて開いたのではない。

 内から開けられていた。


 その事実が、何より重かった。


     ◇


 彼らの背後から、さらに軍勢が迫っていた。


 阿蘇惟豊。

 新納忠元。

 阿蘇惟種。


 岩尾から大友を退け、戸次鑑連を捕らえ、なお列を崩さぬ軍勢である。


 吉弘鑑理も、臼杵鑑速も、ここでようやく悟った。


 逃げ場はない。


 前には、阿蘇の旗が立つ府内館。

 後ろには、阿蘇の本隊。

 そして、大友義鎮は討たれた。


 戸次鑑連も、すでに阿蘇の手にある。


 これ以上戦えば、府内は戦場になる。

 府内が戦場になれば、大友は残らない。


「臼杵殿」


 鑑理が言った。


「はい」


「降るぞ」


 鑑速は、すぐには答えなかった。


 その沈黙は、反対ではない。

 ただ、飲み込むための間であった。


「……それしか、ございますまい」


 やがて、鑑速は答えた。


「忠義では、ございませぬな」


 鑑理が低く言う。


「何がです」


「ここで戦うことだ」


 鑑理は府内館を見た。


「ここで戦えば、忠義ではない。大友を焼くだけだ」


 鑑速は目を伏せた。


 家名をつなぐ。


 その言葉だけが、今や敗者に残された道であった。


     ◇


 府内館の広間に、両家の者が集められた。


 大友方には、戸次鑑連、吉弘鑑理、臼杵鑑速、吉岡長増、角隈石宗。


 他にも田原、志賀、田北、佐伯の者たちが控えている。

 中には傷を負った者もいた。

 顔に怒りを浮かべる者もいた。


 だが、誰も立ち上がらない。


 立ち上がれば、ここで大友が終わると分かっているからである。


 阿蘇方には、阿蘇惟豊、甲斐宗運、新納忠元、親英。


 そして、その少し前に、阿蘇惟種がいた。


 若い。


 やはり、若かった。


 大友の者たちは、改めてその姿を見た。


 この若者が、義鎮を討った。

 大友六千を削った。

 戸次鑑連を捕らえた。

 府内に阿蘇の旗を立てた。


 信じがたい。


 だが、目の前の現実は、その若者を中心に動いていた。


 戸次鑑連は、輿の上から惟種を見ていた。

 吉弘鑑理は、膝の上で拳を握っている。

 臼杵鑑速は、顔を伏せていた。

 吉岡長増は、隼人のいる奥の方角を一度だけ見た。

 角隈石宗だけは、じっと惟種を見ていた。


 この童は、何を言う。


 石宗は、そこを見ようとしていた。


     ◇


 惟豊が口を開いた。


「大友は降った」


 広間が、わずかに揺れた。


 言葉にされると、重い。


「されど、大友を滅ぼすつもりはない」


 その言葉に、大友方の何人かが顔を上げた。


 惟豊は続ける。


「大友隼人を、大友家の主として認める」


 吉岡長増が、深く頭を下げた。


「ありがたき御裁定にございます」


「ただし」


 惟豊の声が低くなる。


「これまでの大友には戻さぬ」


 広間が静まった。


 ここから先が、本当の裁きであった。


 惟豊は、惟種へ目を向けた。


「惟種」


「はっ」


「申せ」


 惟種は一礼し、前へ出た。


 大友の者たちの視線が、一斉に集まる。


 鬼童。


 誰かが、心の中でそう呼んだ。


     ◇


「戦は終わった」


 惟種は言った。


 声は大きくない。

 だが、広間の端まで届いた。


「これ以上、誰を殺す。誰を飢えさせる。誰の子を泣かせる」


 誰も答えなかった。


「主の一念で、臣は死ぬ。民も死ぬ。子も死ぬ。国も痩せる」


 惟種は、大友の者たちを見渡した。


「わしは、そんなことはせぬ」


 吉弘鑑理の眉が動いた。


 若造が。


 そう思った者は、一人ではない。


 だが、惟種は構わず続けた。


「阿蘇では、飢えを減らす。田を直し、水を引き、米を蓄え、病を防ぐ。道を通し、商いを巡らせる。無法を抑え、盗みを減らし、夜の町にも灯をともす」


 一拍。


「阿蘇には、夜にも灯の絶えぬ所がある」


 その言葉に、大友方の何人かが目を細めた。


 信じられぬ。

 そんな顔である。


 だが、阿蘇方の者たちは違った。


 宗運は、目を伏せて笑いを殺している。

 親英は、また始まった、という顔で息を吐いた。

 新納忠元だけが、愉快そうに肩を揺らしていた。


 惟豊は、黙っている。


 出過ぎている。


 そう思っている顔だった。


 だが、止めない。


「それに比べ、大友はどうだ」


 惟種の声が変わった。


 荒くはない。

 だが、鋭い。


「むやみに戦を起こし、村を焼き、民を追い、子を泣かせた。強き家のすることか。ただ大きいだけの家のすることか」


 大友の者たちの顔が強張る。


 怒りではない。

 痛みである。


 村を焼いた。

 民を追った。


 それは事実だった。


 戸次鑑連の目が細くなる。

 吉弘鑑理は歯を噛んだ。

 臼杵鑑速は、何も言わない。

 吉岡長増は、ただ頭を下げていた。


「大友を滅ぼしはせぬ」


 惟種は言った。


「隼人も殺さぬ。御母堂にも無礼はさせぬ。大友の名も残す」


 長増の肩が、わずかに震えた。


「だが、政は阿蘇が執る。兵も阿蘇が預かる。府内とその周辺の要地は、阿蘇の直轄とする」


 広間に緊張が走った。


「大友隼人には、豊後の一部を与える。働き次第では、領地を返すことも考えよう」


 大友方の視線が鋭くなる。


 減封。


 それは、大友が大友でなくなるということだった。


「旧大友家臣団は、いったん阿蘇の預かりとする」


 今度こそ、ざわめきが起きた。


「我らを、大友より切り離すと申されるか」


 吉弘鑑理が、低く言った。


 惟種は、まっすぐに答えた。


「そうだ」


 広間の空気が、さらに冷えた。


「大友を残したいなら、そうするほかない」


「なぜだ」


 鑑理の声に怒りが混じる。


「隼人に、旧大友家臣団をそのまま付ければどうなる。隼人を旗に、誰かが兵を集める。義鎮の仇と叫び、阿蘇を討てと叫ぶ。そうなれば、また戦だ」


 惟種は続けた。


「その戦で死ぬのは誰だ。そなたらか。わしか。いや、まず死ぬのは民だ」


 鑑理は言葉を失った。


「大友に忠があることは認める。戸次鑑連殿の忠も、吉弘殿、臼杵殿、吉岡殿の忠も認める。だが、その忠でまた国を焼くなら、わしは許さぬ」


 戸次鑑連が口を開いた。


「阿蘇惟種殿」


「はい」


「我らに、大友を捨てよと申すか」


「いいえ」


 惟種は即答した。


「忠は捨てずともよい」


 鑑連の目が動く。


「されど、兵を動かす権は阿蘇が握る。政を動かす権も阿蘇が握る。そなたらが大友を想うなら、その忠で大友を残せ。阿蘇の下でな」


 重い沈黙が落ちた。


 屈辱である。


 だが、筋は通っていた。


 大友を残す。

 その代わり、大友から牙を抜く。


 それが、阿蘇の裁きだった。


     ◇


 角隈石宗は、惟種を見ていた。


 この童は、城を奪ったのではない。


 人の暮らしを理由に、国を奪おうとしている。


 恐ろしい。


 武で奪われた国は、武で奪い返せる。

 だが、飢えぬ暮らしを見せられた民は、元の主へ戻らぬ。


 惟種は、まだ続けた。


「阿蘇の神秘を見せてやろう」


 その言葉に、大友方の何人かが顔を上げた。


 神秘。


 若い童の大言に聞こえたかもしれない。


 だが、阿蘇方の者たちは知っている。


 それは、ただの大言ではない。

 阿蘇の谷で、すでに起きていることだった。


 田が変わった。

 道が変わった。

 兵が変わった。

 船が変わった。

 夜が変わった。


 神の業のように見えて、その実、人の手で積み上げた仕組み。


 それこそが、阿蘇惟種の恐ろしさであった。


「ついてこい」


 惟種は言った。


「阿蘇に仕えよ。飢えることのない国を見せてやる。子が無駄に死なぬ国を作ってやる。民が富み、道に灯がともり、商いが海を越える国を見せてやる」


 そして、少しだけ笑った。


「天下の果てを見せてやろう」


 広間は静まり返った。


 大友の者たちは、声を失っていた。


 これが阿蘇の鬼童か。


 誰かが、そう思った。


 義鎮を討った武の童ではない。

 大筒を運んだ異国の童でもない。


 国の形そのものを変えようとする童であった。


     ◇


「言い過ぎだ」


 惟豊が、ようやく口を開いた。


 広間の空気が少しだけ緩んだ。


 惟種は肩をすくめる。


「申し訳ございませぬ」


「まったく思っておらぬ顔だ」


「少しは思っております」


 新納忠元が小さく笑った。

 親英は、目を逸らして咳払いをした。

 宗運は、とうとう口元を袖で隠した。


 惟豊は息を吐いた。


「だが、間違ってはおらぬ」


 その一言で、裁定は決まった。


 惟豊は大友方を見た。


「大友隼人は生かす。家名も残す。ただし、大友家は阿蘇の下に置く。府内と周辺要地は阿蘇直轄。旧大友家臣は阿蘇の預かりとし、所領は働きに応じて改めて定める」


 誰も動かない。


「無断の軍勢催促を禁ずる。独自の外交を禁ずる。勝手な帰領を禁ずる。従う者は用いる。逆らう者は討つ」


 惟豊の声は淡々としていた。


「不服ある者は、今ここで申せ」


 沈黙。


 最初に頭を下げたのは、吉岡長増だった。


「大友家の存続、ありがたく存じます」


 続いて、臼杵鑑速が頭を下げた。


「承ります」


 吉弘鑑理は、しばらく動かなかった。


 だが、やがて深く頭を下げる。


「大友を残すため、従いましょう」


 最後に、戸次鑑連が輿の上で頭を下げた。


「某は、大友の臣にございます」


 惟種は鑑連を見た。


「知っております」


「されど、大友が阿蘇の下に残るならば、その大友を守るため、阿蘇の命にも従いましょう」


 その言葉に、広間の空気が変わった。


 戸次鑑連が認めた。


 それは、大友家臣団にとって大きかった。


 惟種は、静かに頭を下げ返した。


「ありがたい」


 嘲りではない。

 勝者の余裕でもない。


 本心であった。


     ◇


 だが、すべての者が納得したわけではない。


 座の端で、大友義武は頭を下げていた。


 深く。

 礼に適うほど深く。


 だが、その目は畳を見ていない。


 阿蘇の旗。

 大友の旗。

 そして、若すぎる鬼童。


 そのすべてを、胸の奥へ刻みつけていた。


 田原親宏もまた、黙っていた。


 顔には出さぬ。

 声にも出さぬ。


 だが、腹の底では別の算盤が動いている。


 大友は残る。

 だが、阿蘇の下に残る。


 それを受け入れられぬ者は、必ず出る。


 隼人は幼い。

 戸次は義に縛られる。

 吉弘と臼杵は現実を見すぎる。

 長増は家を残すために頭を下げた。


 ならば、別の旗がいる。


 阿蘇に膝をつかぬ大友の旗が。


 義武は、深く頭を下げたまま、静かに息を吸った。


 まだ終わっていない。


 そう思っている者が、この広間には確かにいた。


     ◇


 再編は、すぐに始まった。


 府内には阿蘇の兵が入った。

 だが、乱妨は許されなかった。


 武具は集められた。

 蔵は封じられた。

 米の数が改められた。

 港の残った船は、親英の管理に置かれた。


 親英は水軍を率い、肥後と豊後を行き来することになった。


 阿蘇の船が海を押さえる。

 海が押さえられれば、府内は孤立しない。

 肥後から兵も米も来る。

 豊後から物も人も動く。


 これまで山の家であった阿蘇が、海を持ったのである。


 旧大友家臣は、阿蘇惟種の支配下に置かれた。


 戸次鑑連。

 吉弘鑑理。

 臼杵鑑速。

 吉岡長増。

 角隈石宗。


 それぞれに思うところはある。


 屈辱もある。

 怒りもある。

 失った主への悔いもある。


 だが、大友は残った。


 隼人は生きた。

 大友の名は消えなかった。


 ならば、従うしかない。


 少なくとも、今は。


 大友隼人に残されたのは、豊後の一部のみであった。

 府内館と港は阿蘇が押さえ、返還の望みは、今後の働きに結ばれた。


 それは温情ではない。


 縄である。


 だが、斬るための縄ではなかった。

 繋ぐための縄であった。


     ◇


 日が傾くころ、府内館の庭には二つの旗が揺れていた。


 大友の旗。

 阿蘇の旗。


 大友の旗は、まだ下ろされていない。


 だが、阿蘇の旗はその横にあり、少しだけ高い。


 誰もがそれを見た。


 大友は滅びていない。

 だが、大友だけではもう立てない。


 その現実を、旗が語っていた。


 惟種は庭に立ち、しばらくその旗を見ていた。


 宗運が近づく。


「若君」


「何だ」


「また、ずいぶん大きく出られましたな」


 惟種は少し笑った。


「言わねば伝わらぬ」


「言いすぎれば、恨まれますぞ」


「もう恨まれておる」


 宗運は、軽く肩を揺らした。


「それもそうですな」


 少し離れたところで、惟豊が二人を見ていた。


 困った子だ。


 そう思う。


 だが、同時に思う。


 この子でなければ、ここまでは来られなかった。


 新納忠元は腕を組み、楽しげに笑っている。

 親英は港の方を見て、早く船を見に行きたいという顔をしていた。


 それぞれが、それぞれの役目へ動き始めている。


 勝ちは得た。


 しかし、終わりではない。


 惟種は、府内の空を見上げた。


 煙はまだ薄く残っている。

 その向こうに、海があった。


 阿蘇家は力を得た。


 肥後の山家では、もはやない。

 豊後を押さえ、海を持ち、大友を膝下に置いた。


 阿蘇は、大国になった。


 だが、国を奪うことと、国を治めることは違う。


 勝利の熱が冷めぬ府内の空に、まだ誰も見ぬ暗雲が、わずかに差し始めていた。



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『異世界エンゲージ ~毎日のパック開封でカード使いは帰還を目指す~』
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― 新着の感想 ―
私は福岡の生まれで菊池衰退後有力な武家が無く残念に思っていました。福岡の女性と熊本の男性が美形多いのは知られていますね。例えば熊本出身の俳優真宙君とか。普通に主人公宙君イメージしてみてました^_^博多…
戦国動乱期の主人公とも言えそうな、畿内・東海の勢力の物語はよく見かけますが、九州地方という渋い選択に目を引かれ一気見してしまいました。大変面白かったです。 大友を下し、九州で最大勢力になったと思われる…
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