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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第百四話 村中で持つ

 天文十八年(一五四九年)六月。


 肥前、村中城。


 大村、西郷の軍勢が村中城を囲んでから、すでに幾度か攻防が繰り返されていた。


 敵兵はおよそ五千。それに対し、城を守る龍造寺方の兵は二千である。


 数だけを見れば守る側が不利だったが、実際の戦況は違っていた。


 阿蘇家から供給された鉄砲と十分な火薬が、その差を埋めていたのである。


 敵が楯や竹束を押し立てて近づけば、城壁の上から一斉に鉄砲が放たれる。前列の兵が次々と倒れ、後続が足を止めたところへ再び銃声が響く。


 敵も何度か攻め口を変えてきたが、そのたびに損害を出して退いていた。


 城兵の士気は高く、兵糧にも余裕がある。


 戦況は、龍造寺方にとって順調だった。


 しかし、その状況に満足していない者がいた。


 龍造寺隆信である。


 隆信は城壁の上から敵陣を眺めながら、何とも言えない苛立ちを覚えていた。


 敵は攻め寄せるたびに兵を失い、こちらはほとんど損害を出していない。


 これほど有利な状況だというのに、家宗は一向に出撃を許そうとしなかった。


 もちろん、理由は分かっている。


 阿蘇惟種から、兵を温存して援軍との合流を待つよう命じられているからだ。


 しかし、隆信にはどうしても納得できなかった。


(……このままでは、龍造寺はただ城を守っていただけではないか)


 阿蘇家の援助によって、龍造寺家は再興を果たした。


 それは紛れもない事実であり、隆信もその恩を忘れているわけではない。


 だが、いつまでも阿蘇家の庇護を受け続けるつもりはなかった。


 龍造寺には龍造寺の歴史があり、誇りがある。


 いずれは阿蘇の支配から脱し、自分たちの力で家を立てられるようになりたい。そのためにも、龍造寺に十分な軍事力があることを示す必要があった。


 今回の戦は、その絶好の機会に思えた。


(敵はすでに疲弊しておる。今ならば、少数でも十分に打ち破れるはずだ)


 隆信はしばらく敵陣を見つめ、決心した。


「……家宗様にお目通りする」


 傍らにいた百武賢兼が、すぐに顔を上げた。


「出撃の件にございますか?」


「うむ。今度こそ、兵を出していただく」


 百武は嬉しそうにうなずいた。


「それがよろしいかと。私も、いつまでも城に籠もっているのは性に合いませぬ」


「はっはっは! おぬしもそうか!」


 隆信は笑った。


「ならば、ついてまいれ。家宗様に直談判するぞ!」


     ◇


 城内の一室では、龍造寺家宗が石井兼清、納富信景、福地信重らと戦況を確認していた。


 阿蘇での軍議を終えて村中へ戻った家宗は、城の守備を整えながら援軍の到着に備えていた。


 そのもとへ、隆信と百武賢兼が現れた。


「家宗様!」


「……隆信か。どうした?」


「お願いがございます。兵をお貸しください!」


 家宗は、すぐに眉を寄せた。


「兵を?」


「はい! 敵はすでに幾度も攻め寄せ、そのたびに損害を出しております。今ならば、こちらから打って出ることができます!」


 隆信は勢いよく続けた。


「敵の陣は、まだ十分に立て直せておりませぬ。ここで一撃を加えれば、大きな戦果を挙げられるはずです!」


「ならん」


 家宗は即座に答えた。


「……家宗様!」


「隆信。若君から何と命じられておるか、忘れたわけではあるまいな?」


「それは……」


「兵を温存し、援軍との合流後に迎撃の態勢を整えよ、とのご命令だ。こちらから無理に戦を仕掛ける必要はない」


 隆信は、悔しそうに口を引き結んだ。


「そもそも、今の戦況を見ておらぬのか?」


「見ております!」


「ならば分かるであろう。敵が攻め寄せるたびに、こちらの鉄砲がその兵を討ち取っておる。南から攻めても、西から寄せても同じだ」


 家宗は、机に広げた城周辺の地図を指さした。


「こちらは城を守っているだけで、敵が勝手に兵を減らしてくれる。それを、なぜわざわざ打って出る必要がある?」


「……しかし!」


「城の外へ出れば、鉄砲の利も薄れる。敵が退いたところを追えば、今度はこちらが大軍に囲まれるかもしれぬ」


 家宗は少し声を強めた。


「今の龍造寺に、無駄に兵を失う余裕などないのだぞ」


 石井兼清も静かにうなずいた。


「家宗様の仰せのとおりにございます。援軍が到着するまで城を守り切れば、我らの役目は果たせます」


 納富信景も続けた。


「敵はすでに焦っております。ここでこちらまで焦る必要はございませぬ」


 しかし、隆信は引かなかった。


「……だからこそです!」


 家宗が顔を上げた。


「何?」


「だからこそ、今が好機なのです!」


 隆信は一歩前へ出た。


「敵は疲弊し、兵も減っております。陣も乱れ始めている。ならば、ここで強烈な一撃を加え、奴らを打ち崩すべきではありませぬか!」


「隆信!」


「このまま城に籠もり、阿蘇の援軍を待つだけでは、龍造寺の名が立ちませぬ!」


 家宗は黙った。


 隆信は、そのまま言葉を続ける。


「もちろん、阿蘇家には大恩がございます。我らが今日こうして戦えているのも、若君のお力添えがあったからこそです」


「……うむ」


「ですが、いつまでも阿蘇家に頼るばかりでは、龍造寺家はどうなるのです!」


 隆信の声には、抑えきれない思いが込められていた。


「我らにも力がある! 龍造寺の兵も、決して弱くはない! それを、此度の戦で示さねばならんのです!」


 家宗は隆信の顔をじっと見つめた。


 その思いは、痛いほど分かる。


 龍造寺は一度滅びかけ、阿蘇の助けによってようやくここまで戻ってきた。だからこそ、自らの力を示したいと願う隆信の気持ちも理解できた。


「……隆信」


「はい!」


「おぬしの気持ちは分かる。だが、此度の戦は龍造寺だけのものではない。阿蘇家の方針に従い、ほかの軍勢とも歩調を合わせねばならぬ」


「承知しております!」


「ならば、兵を温存することも立派な役目だと分かるであろう」


「……それでも!」


 隆信は、なおも食い下がった。


「兵を二百……いや、百五十で構いませぬ!」


 家宗の眉が動いた。


「百五十?」


「はい! 百五十だけ、お預けください! 私が先頭に立ち、敵陣の一角を崩してまいります!」


「……」


「敵は、我らが城から出てくるとは思っておりますまい。そこへ一気に襲いかかれば、必ず崩せます!」


 百武賢兼も、そこで頭を下げた。


「家宗様。私も隆信様とともに参ります。敵の南の陣は守りが薄く、兵の動きも鈍っております。少数で打って出るなら、今が好機かと」


 石井兼清が、すぐに口を挟んだ。


「賢兼。敵が弱っているからといって、城外が安全になったわけではないぞ」


「承知しております。しかし、何もせずに機を逃すのも惜しゅうございます!」


 百武も引かなかった。


 二人とも若く、戦功を挙げたいという思いは強い。だが、それだけで動いているわけではなかった。


 そこへ、隆信が改めて口を開いた。


「家宗様」


「……何だ」


「龍造寺が龍造寺たることを、今こそ天下に示さねばならんのです!」


 家宗の表情が変わった。


「阿蘇家の援軍が来たから勝てた、では駄目なのです。我ら自身の力で敵を討ち、龍造寺の名をもう一度広めたい!」


 隆信は、まっすぐに家宗を見つめた。


「亡き家兼様のためにも!」


 家兼の名を出され、家宗は言葉を失った。


 龍造寺再興への思いは、家宗とて同じである。


 それでも、阿蘇家の命を軽んじるわけにはいかない。


 家宗は深く息を吐いた。


「……まったく。おぬしという奴は」


「家宗様!」


「わしが何を言っても、引くつもりはないのであろう?」


「ございませぬ!」


 隆信は即答した。


 家宗は思わず苦笑する。


「……少しは考えてから答えよ」


「考えたうえで申し上げております!」


「そうか……」


 家宗は、もう一度地図へ目を落とした。


 敵の南側の陣は、確かに幾度かの攻撃で損害を出している。兵の動きも鈍く、まだ陣を立て直している最中らしい。


 今ならば、少数で一角を突くことも不可能ではない。


「……百五十までだ」


 やがて、そう言った。


 隆信が顔を上げた。


「家宗様!」


「ただし、条件がある」


「はい!」


「敵陣の一角を崩したら、すぐに戻れ。深入りは許さぬ。敵が退いても追うな」


「承知いたしました!」


「それと、必ず百武を連れていけ。小河信安にも道の案内をさせる。おぬし一人の判断で、勝手に兵を動かすことは許さぬぞ」


「はっ!」


 家宗は、さらに念を押した。


「敵の動きが変わり、出撃が危ういと判断した場合は、直ちに取りやめる。それも約束せよ」


「承知しております!」


「……よい」


 家宗は、ようやくうなずいた。


「兵百五十を預ける。ただし、これは若君のご指示から外れる判断だ。その責は、わしが負う」


 隆信の表情が、わずかに変わった。


「……家宗様」


「だからこそ、無駄に兵を失うことは許さぬ。必ず戻ってまいれ」


「はっ!」


 隆信は深く頭を下げた。


「この隆信、必ずや戦功を挙げて戻ってまいります!」


 家宗は、それ以上何も言わなかった。


 ただ、若き隆信の背を見送りながら、小さく息を吐いた。


(……家兼様。この若者が、いずれ龍造寺を背負うことになるのでしょうな)


     ◇


 出撃の許しを得た隆信は、すぐに兵を集め始めた。


 百武賢兼と小河信安が中心となり、槍や刀の扱いに慣れた者から百五十を選び出す。


 敵の五千に比べれば、わずかな数だ。


 だが、相手はすでに城攻めで疲弊している。不意を突いて一角を崩せば、十分な戦功になる。


(……見ておれ)


(阿蘇の援軍が来る前に、龍造寺の力を見せてやる)


 隆信は腰の刀へ手を添えた。


「隆信様!」


 百武賢兼が勢いよく駆け寄ってくる。


「兵百五十、揃いました!」


「うむ!」


「小河殿も、南の陣へ通じる道を確認しております。敵の様子を見て、いつでも動けるとのことです」


「よいぞ!」


 隆信は満足そうにうなずいた。


「敵は、まだ陣を立て直しておるのか?」


「はい。先ほどから楯や竹束を前へ運ばせておりますが、まだ攻め寄せる気配はございませぬ」


「ならば好都合だ!」


 隆信は集まった兵を見渡した。


「皆の者! 此度は、我ら龍造寺の力を示す戦ぞ!」


 兵たちが一斉に顔を上げる。


「敵は数こそ多いが、すでに幾度も我らの鉄砲に打ち負かされておる! 今こそ城から打って出て、その陣を崩してやろうではないか!」


「応!」


 兵たちの声が上がった。


 隆信は満足そうに笑った。


「よし! 参るぞ!」


 百武賢兼も勢いよく槍を掲げる。


「はっ! この賢兼、必ずや敵将の首を挙げてご覧に入れます!」


「はっはっは! 頼もしいことよ!」


 城門の内側では、すでに兵たちが出撃の支度を整えていた。


 門番も家宗からの命令を受け、合図があり次第、門を開けられるようにしている。


 小河信安が最後に外の様子を確かめるため、城壁へ上がった。


 隆信は、その報告を待ちながら兵たちへ声をかける。


「敵陣の一角を崩したら、すぐに戻るぞ。家宗様からの厳命だ。深追いは許さぬ!」


「はっ!」


「だが、戻る時には十分な戦功を挙げておくのだ!」


 百武が力強くうなずいた。


「承知しております!」


 隆信は改めて城門へ目を向けた。


(……家兼様。どうか、ご覧くだされ)


(龍造寺は、まだ終わっておりませぬ。この隆信が、必ずやその名を再び世に知らしめてみせます!)


 そう胸の内で誓い、いよいよ出撃を命じようとした時だった。


「……隆信様!」


 城壁の上から、小河信安の声が響いた。


 隆信が顔を上げる。


「何だ、信安!」


「敵の様子が……!」


「敵がどうした!」


 返事を待ちきれず、隆信は城壁へ駆け上がった。


 百武賢兼も、その後を追う。


 城壁の上からは、大村、西郷の陣が見渡せた。


 先ほどまで敵兵たちは楯や竹束を運び、城へ攻め寄せる支度を進めていた。


 ところが、その動きが止まっている。


「……何だ?」


 隆信は目を細めた。


 敵陣の中で、何やら騒ぎが起こっていた。


 陣太鼓が乱れ、旗持ちたちが慌ただしく動いている。前へ進もうとしていた兵も足を止め、互いに何かを言い合っていた。


 百武が怪訝そうに言った。


「……敵の様子がおかしゅうございますな」


「うむ……」


 隆信は、さらに目を凝らした。


 すると、敵陣の後方から一騎の馬が駆け込んでくるのが見えた。


 その者が何かを叫んだらしく、周囲の兵たちが一斉に騒ぎ始める。


 やがて、その騒ぎは前列の兵にまで広がっていった。


「……何が起きておる?」


 つい先ほどまで城へ攻め寄せようとしていた敵兵たちが、次々と後ろを振り返り始めていた。

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