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第十一話 若君、その夢は誰のものだ

 呼び出しを受けた時、**阿蘇あそ 惟種これたね**は、とうとう来たかと思った。


 水飴が当たった。

 門前で思った以上に売れた。

 台所遊びでは済まなくなった。


 そうなれば、**阿蘇あそ 惟豊これとよ**も、**甲斐かい 宗運そううん**も、本気でこちらを見る。

 それは当然だった。


(まあ、来るよな)


 惟種は、廊下を歩きながら息を整えた。


 まだ五つの身体だ。

 それでも、この一か月でだいぶ足はついた。

 高森と庭を歩き、北里が持ってくる肉や魚や卵を食い、志乃に飯の量を増やさせ、寝る。

 熱で寝込んでいた頃とはもう違う。


 ただし、相手が惟豊と宗運なら、身体より頭の方がよほど気を使う。


 全部を話せば危うい。

 かといって何も見せなければ、逆に信用されない。


(見せるのは、必要な分だけだ)


 宗傳が、半歩前を歩いている。

 若君を呼びに来た時も、余計なことは何も言わなかった。

 ただ、

「御屋形様がお待ちにございます」

と言っただけだ。


 それがかえってありがたい。


 部屋の前で宗傳が止まり、静かに告げる。


「若君、こちらに」


 惟種は小さくうなずいた。


 襖が開く。


 部屋の中には、惟豊と宗運がいた。


 惟豊はいつものように座していた。

 ただ座っているだけで、場の空気が引き締まる。**阿蘇神社あそじんじゃ大宮司だいぐうじ**であり、阿蘇家当主であり、長い内紛を越えてこの家を立て直した男。父である以前に、この家そのもののような人だ。


 宗運は、その少し脇に控えている。

 法体の姿でありながら、祈る僧には見えない。

 国を動かす男の顔をしている。


 ふたりとも、こちらを見ていた。


「惟種」


 惟豊が、まずそう呼んだ。


 惟種は、そこで少しだけ安心する。

 若君ではなく、惟種。

 父として呼んでいる。


「父上」


「参れ」


 惟種は進み、定められた位置に座った。

 宗傳はそのまま一礼して下がる。

 部屋には、惟豊、宗運、惟種だけが残った。


 少しの静けさののち、惟豊が言う。


「水飴を食うた」


 まっすぐな言い方だった。


 惟種は表情を崩さず答える。


「いかがにございましたか」


「甘かった」


 惟豊の口元が、ほんの少しだけ動いた。


「門前でも売れておるそうだな」


「左様にございます」


「おぬしが考えたのか」


 来た。


 惟種は、息を浅く整えた。


「はい」


「夢で見た、と申すか」


「はい」


 惟豊は、そこで視線を外さなかった。


「田も、市も、飴も、皆そうか」


「はい」


 宗運が口を開く。


「若君」


「何だ、宗運」


「夢の中で、何をご覧になったのです」


 その問いは静かだった。

 だが鋭かった。


 惟種は、すぐには答えない。

 答え方が大事だ。


「国の形、にございます」


 宗運の目が、わずかに細くなる。


「国の形」


「飯があり、銭があり、人が動き、物が流れておりました」


 惟豊も黙って聞いている。


「戦の夢でもございました。飢える夢でもございました。焼ける夢でもございました」


「そして飴も、にございますか」


 宗運が問う。


「はい」


 惟種は、そこで少しだけ言葉を選んだ。


「甘いものひとつで、人は笑います。病人は薬を飲みやすくなり、子どもは喜び、女は買い、門前は賑わいます」


 宗運は何も言わなかった。

 だが、その無言は「続けろ」だった。


「飯だけでは足りませぬ。銭だけでも足りませぬ。どちらも要るのです」


 惟豊が、そこで初めて口を挟んだ。


「おぬしは、阿蘇をどうしたい」


 まっすぐな問いだった。


 ここで言うべきは、天下でも島津でも龍造寺でもない。


 惟種は惟豊を見た。


「守りとうございます」


「何を」


「阿蘇を」


 惟豊の目が、かすかに揺れた。

 ほんのわずかだったが、父の顔が見えた気がした。


「この家を、か?」


「父上の家を、にございます」


 惟豊は、しばらく何も言わなかった。


 宗運もまた黙っている。


 惟種は、その沈黙の重さを感じていた。

 ここで飾れば終わる。

 だから飾らない。


惟将兄上これまさあにうえはもうおられませぬ」


 惟種は、静かに言った。


「わたしまで倒れれば、この家はまた揺れます」


 惟豊の指が、膝の上でわずかに動いた。


「ようやく静まりかけた家に、また傷が入る」


「……うむ」


 惟豊の返事は低かった。


「それが嫌にございます」


 そこまで言って、惟種はほんの少しだけ目を伏せた。


「夢のことが本当かどうか、わたしにも分かりませぬ。

 されど、見て以来、阿蘇を守るには飯と銭が先だと分かりました」


 宗運が、そこで問う。


「それゆえ、田と市と飴にございますか」


「そうだ」


「兵ではなく」


「兵を持つにも、まず飯が必要だ」


 宗運の目が少しだけ和らぐ。


 ここは通じる。

 惟種にはそれが分かった。


 惟豊は、ふと低く言った。


「家中では、妙な噂も出ておる」


 惟種は顔を上げた。


「狐が憑いた、妖に触れた、火の山の気を持ち帰った――とな」


 惟種は、そこで黙った。


(まあ、そうなるよな)


 自分でもそう思う。

 五歳の子どもが、熱のあとに田と市と飴の話をし始めれば、普通はそう考える。


「父上は、そうお思いにございますか」


 惟種は、あえてそう返した。


 惟豊は即答しなかった。


「分からぬ」


 やがて、そう言った。


「分からぬが、惟種でないものがこの身に居るのなら、見過ごすわけにはいかぬ」


 その言葉は鋭かった。

 だが、冷たすぎはしない。


 惟種は息を整えた。


「わたしは、わたしにございます」


 それは本音だった。


 前世の記憶はある。

 だがそれだけではない。

 いまここにいるのは、たしかに阿蘇惟種だ。


「夢を見ました。

 妙な知恵も浮かびます。

 されど、父上を父上と思い、阿蘇を阿蘇と思う心は変わっておりませぬ」


 惟豊は、その言葉をじっと受け止めた。


 宗運が、今度は別の角度から問う。


「若君」


「何だ」


「今後も、夢から何かを得ることがございますか」


 惟種は少しだけ考える。


「あるやもしれませぬ」


「田や市や飴のように」


「うむ」


「では、それをどうなさるおつもりで」


 ここだ。


 惟種は、この場で全部を話さないと決めている。

 だが、勝手に動くつもりもないと示さねばならない。


「まず、申します」


「誰に」


 宗運の声は変わらない。

 だが、この問いには意味がある。


 惟種は一瞬だけ宗運を見、それから惟豊へ視線を移した。


「父上と宗運に、にございます」


 惟豊が、すぐに口を開いた。


「それでは重い」


 惟種は内心で、来たな、と思った。


 たしかにそうだ。

 惟豊も宗運も、いちいち若君の思いつきを直に受けていては回らない。


 宗運が、そこで静かに言った。


「若君」


「うむ」


「まずは 田代たしろ 宗傳そうでん へ申されませ」


 惟種は、表情を変えずに聞く。


「宗傳へ」


「はい。宗傳が私へ上げます」


「宗運が量る、か」


「左様にございます」


 宗運は、そこで一段低く言葉を続けた。


「若君のお考えは、使えるものが多うございます。

 されど、一度に広げれば家中がついて参りませぬ。

 ゆえに、まずは宗傳。

 宗傳が整理し、私が量り、通すべきものだけ通しましょう」


 惟豊が、うなずいた。


「それがよい」


 そして惟種へ向かって言う。


「惟種」


「はい」


「そなたの夢が神か妖か、今は決めぬ」


 惟種は黙って聞いた。


「だが、阿蘇のためになるなら使う」


 惟豊の声には迷いがなかった。


「ただし、勝手に広げるな」


「……はい」


「思いついたなら、まず宗傳へ申せ」


「はい」


「宗運が見る。

 必要なら、わしのところへ上げる」


 惟種は、そこでようやく深く頭を下げた。


「承知いたしました」


 これは悪くない。

 むしろかなりいい。


 勝手はできない。

 だが、道はできた。


 思いついたことを、まず宗傳へ話す。

 宗傳が宗運へ上げ、宗運が量る。

 通るものだけが実行に移る。


 管理された信任。

 いまの自分には、それで十分だった。


 宗運が、最後に釘を刺すように言う。


「若君」


「何だ」


「一度に大きな話はなさるな」


 惟種は、内心で少しだけ苦笑した。


(バレてるな)


「心得ております」


「少しずつ、にございます」


「うむ。少しずつだ」


 惟豊は、そのやり取りを見ていたが、やがて小さく息を吐いた。


「では、今日はここまでだ」


 そう言いながらも、惟豊は最後にひとつだけ問うた。


「惟種」


「はい」


「そなたは今後も、阿蘇を守るためにその知恵を使うか」


 惟種は、顔を上げた。


 答えは決まっていた。


「はい」


「飯も、銭も、人も、阿蘇を守るためにございます」


 惟豊は、ほんのわずかに目を細めた。


「よい」


 その一言は短かった。

 だが、重かった。


 惟種は、もう一度深く頭を下げる。


 これで終わりではない。

 むしろ始まりだ。


 だが少なくとも、今日のところは切られなかった。

 妖とも神とも決めつけられず、若君として残された。

 しかも、次へ進むための筋道までできた。


 部屋を辞して廊下へ出ると、宗傳が静かに待っていた。


 惟種が顔を上げると、宗傳は小さく一礼した。


「若君」


「うむ」


「今後は、まず私へ」


 惟種は、そこで少しだけ笑った。


「分かっておる」


「お聞きします」


「量れるか」


「量れるようにいたします」


 悪くない返しだった。


 惟種は廊下の先を見た。


 阿蘇の館。

 火の山の下。

 寝台の上の夢は、ようやく家の中で扱われる形になった。


(よし)


 心の中で、小さくそう呟く。


(次からは、宗傳だ)


 田も、市も、水飴も通った。

 次はいずれ、玻璃。

 その先に、まだいくつもある。


 だが、一度に全部は出さない。


 宗運の言う通りだ。

 少しずつ。

 通る形で。

 使えるものだけを。


 惟種は、軽く拳を握った。


 阿蘇を守るための道は、まだ細い。

 だが、その道の最初の石は、たしかに今置かれた。

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