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コーデリア・レイス、霧の谷にて  作者: 櫻まど花


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第三十七話

「運命みたいなものだわ! 世界中を旅して、同じ街の同じ舞踏会で、同じ窓辺に立っていたのよ。運命以外に何があるというの」


 昨夜の顛末をシャーロットおばさまに話すと、瞳には星々よりも明るい輝きが宿った。悲鳴に近い声で喜んだ彼女はそれだけでは飽き足らず、翌日にはもうアレックスに話をつけていた。休日にコーデリアを連れ出してあげてほしい、と。コーデリアが止める間もなく。


「おばさま、わたしの話を聞いていた? 彼は仕事で来ているのよ」


「聞いていたわよ。仕事で来ているのなら、いつかいなくなってしまうじゃない。だから頼んだの、さあ行ってきなさい」


 ルチェナの朝は霧が出ることがあった。水路から水気が上がって、石畳の上を低く漂う。ミスト・ヴァレーの霧とは違ったけれど、霧の中に街が溶けているさまは似ている。

 コーデリアはその霧の中をアレックスと歩いた。ヴァルツのときのように案内する側とされる側ではなくて、二人とも旅人だったから、あっちへいってみよう、向こうに行ってみようと、気の向くままに。


「あの繋がれた小舟は何に見える?」


「段落の終わりに置かれた句点です。どこへも行かないけれど、次へ続く準備をしているんだ」


 進んでいくと、水路沿いの市場に出た。野菜や魚や色鮮やかな布が並んでいる。呼び込みの声が飛び交って、猫が石畳の上を横切った。


「市場は何に見えますか」


「複数形の名詞かしら。一つ一つは違うものなのに、全部まとめて同じ言葉で呼ばれる場所よ」


 昼過ぎに小さな食堂に入った。窓から水路が見えて、船頭がオールを操りながら通り過ぎていく。


「船頭は何に見えるかしら」


「栞のようだと思います。迷子にならないように、導いてくれる人です」


 コーデリアはその言葉も手帳の余白に書いた。食堂の窓から、また別の船頭が通り過ぎる。迷路のような運河の先へと、船を導いていく。


「旅が終わったら、あなたはどうするんですか」


 アレックスがグラスを両手で包みながら尋ねた。特別な意図のない、ただ知りたいという顔で。


「故郷に帰るわ。ミスト・ヴァレーという、霧の深い小さな谷よ」


 言葉にしながら、コーデリアはミスト・ヴァレーのことを思い出していた。

 朝の霧が庭の噴水を包む様子。エレンが廊下を歩く足音。ヴェスパー卿の書斎から漏れてくる灯りの色。湖畔の朽ちた桟橋。プラム農園の夏の匂い。丘の上の墓地に供えられた花。


 そしてその全ての記憶の中に、いつも同じ姿があった。

 並んで歩いていた。言い合いをしていた。黙って隣にいた。コーデリアのミスト・ヴァレーの記憶は、その人なしには語れなかった。霧の谷の思い出には、いつもあの人がいた。


 リーヴァイ。

 名前を心の中で呼んで、コーデリアは少し立ち止まった。


 今頃どうしているだろう。

 あの日、駅で汽車を見送りながら、お互いの成長を楽しみに待つことにしましょうと言った。あれからもうすぐ六年になる。コーデリアが十六でアカデミーへ入って、レイクフォールで教えて、旅に出て、その間ずっと時間は流れていた。


 リーヴァイは今年、六年間の医学の課程を終えてグレイマロウ大学から出ていく。あの大きな図書館と、薬品の匂いのする廊下と、司書に怒られながら居眠りをしていた場所から出ていく。

 それからどこへ向かうのだろう。検死官になりたいとあの湖畔で言っていた。少年と少女が朽ちた桟橋の上に並んで座っていた、あの夏の終わりの夕暮れに。それはまだ変わらないのだろうか。


 ミスト・ヴァレーに帰ってくるのだろうか。


 手紙を送っていない。あの春の湖の上からずっと、一度も送っていなかった。リーヴァイからも来なかった。でも手紙がないということは、彼が諦めたということなのか、それともただ待っているということなのか、コーデリアには分からなかった。


「どんな街ですか、その霧の谷は」


 アレックスの声で、コーデリアは我に返った。

 窓の外で船頭のオールからまた水が跳ねた。水路にしおりが挟まれてまた抜かれる。省略記号の街の、物語が続いていた。


「……灰色で、色彩のないところ。美しいものがたくさんある場所を旅してきたけれど、やっぱりあそこが一番好き。一番大切なものは全部あの霧の中にあるの。ずっとそこに」


 旅に出たのは、遠くへ行けば余計なことを考えずに済むと思ったからだった。知らない場所では初めて知ることが多すぎて、あの馬鹿げた考えのことなど忘れられると思っていた。でも結局、ミスト・ヴァレーの霧の中に置いてきたはずのものが、一番遠い場所まで追いかけてきた。


 あの日誓った成長の果てに、わたしたちは今、どこにいるのだろう。今日のわたしは立ちすくんでいるのだ。挟まれたまま、もう二度と開かれることのない物語の栞のように。

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