第三十二話
それからの春、コーデリアはリーヴァイから逃げ続けた。
何もかもリーヴァイのせいだった。あの馬鹿げた考えを撤回しないかぎり、もう二度とあの瞳を見るつもりはない。顔を合わせれば何か言ってしまいそうで、何か言えばまた胸の奥の崩れたものが溢れてしまいそうで、だから会わなければいいという結論に達した。
十日間の休暇の間、コーデリアはほとんど一日中ペンを走らせた。
描くのはミスト・ヴァレーのことだ。鬱蒼と茂る森の奥に、苔むした石畳の小道があることを今年初めて知った。湖畔の葦の群れが風に揺れると、葦と葦が触れ合って、雨音に似た細かい音を立てることも。
当たり前すぎて見えなかったものは、少し遠ざかると初めてはっきりと見える。そしてその形を見つけるたびに、書かずにいられない。
庭の噴水の縁に腰掛けていると、水の流れ落ちる音が思考の隙間を埋めてくれた。噴水の飛沫がときおり原稿の端を湿らせて、コーデリアはそれを手の甲で拭いながらページを繰り続ける。庭の奥では木々が新しい葉を広げ始めて、こういう若い緑だけは霧の中でもはっきりと見えた。
「まあ。庭に作家が一人落ちているわ」
声に顔を上げると、日傘をさした一人の女性が立っていた。あでやかなドレスが霧の中で輝いていて、帽子の角度が少し遊んでいる。どこかで会ったことがある輪郭を、コーデリアは記憶の中で探した。
「……シャーロットおばさま?」
「あら、覚えていてくれたの。何年ぶりかしら。あなた、随分大きくなったわね」
幼い頃に一度だけ会った、ヴェスパー卿の妹だった。未亡人だと聞いていたけれど喪に服しているような気配はなくて、真面目な場には似合わなさそうな自由な佇まいが、この人にはとても似合っていた。
シャーロットは噴水の縁に近づいて、コーデリアの原稿をそっと覗き込む。
「読んでもいい?」
「どうぞ」
原稿を受け取って、立ったまま一枚一枚を慈しむようにゆっくりと読んでいく。コーデリアは手元のペンを弄び、次の言葉を探すふりをしながら、その横顔をそっと見ていた。
「いいわ、これ」
顔を上げた彼女の瞳には、微かに潤んだような輝きが宿っていた。
「霧の書き方が好きよ。霧というのはよく、不吉なものや得体の知れないものとして書かれるけれど、あなたの霧は違う。まるであなた自身が霧に愛されているみたい。コーデリアには、ミスト・ヴァレーがこんなにも幻想的に見えているのね」
コーデリアは何か答えようとしたのに、言葉が見つからなかった。ハーヴィーの批評にも、セオドアの詩的な賛辞にも、パールの劇的な感嘆にもそれぞれ慣れていたつもりだったけれど、今日のシャーロットの言葉は少し違う。
しかし感動に浸る間もなく、彼女は突然目を見開いた。
「あら、いけない。兄さんに用があったのに!」
言うが早いか、彼女はドレスの裾を翻して駆けていった。前に会った時も、彼女は去り際にすべてを掻き乱していくような人だった。でも、面白い。こんな人が小説に登場したら、物語は一気に予測不能な色彩を帯びるだろう……。
考えながらペンを走らせているうちに、リーヴァイのことを考えずに済む時間がまた少し増える。どれくらい経っただろうか。噴水の影が少し傾いた頃、またしても風を切り裂くような足音が聞こえてきた。
「兄さんと話をつけてきたわ。コーデリア、私の旅行について来る気はない?」
息一つ乱さず、シャーロットは弾んだ声でとんでもない提案を投げかけた。
「一年以上かけて大陸のあちこちを巡るつもりなの。もっと伸びるかもしれないけれど。北の雪の城から、南の青い海まで。旅先の景色を文章にして残してほしいのよ。あなたの書くものを読んで、あなたにしかできないと思ったから」
あまりに急であまりに壮大な誘いに、コーデリアは言葉を失った。
レイクフォールでの仕事がある。子どもたちのことがあって、セオドアに迷惑をかけることになる。断る理由はいくつも思い浮かんだのに、それと同じくらいの速さで別のものが広がっていった。
見たことのない花を、見たことのない空の色を、言葉にして残す。ミスト・ヴァレーを離れてミスト・ヴァレーの美しさが見えたように、もっと遠くへ行けば、もっと多くのものが見えるかもしれない。
「急なことで、まだ何も考えられないわ……」
「返事はすぐじゃなくてもいいのよ。出発は秋の予定だから、ゆっくり考えて。でもね、国々を回る間、各地の文学サロンにも連れていってあげる。あなたがまだ知らない、広い世界の言葉に触れてほしいの」
噴水の水音が続いていて、飛沫が光の中で白く散った。シャーロットはそれ以上急かさず、コーデリアが言葉を見つけるのを待っていた。
旅の間、ただ目の前の景色だけを相手に、好きなだけ言葉を尽くすことができる。それに知らない場所では、初めて知ることが多すぎて、余計な考えに浸る暇などないだろう。
聞いたことのない言葉の響きに耳を傾けて、食べたことのない果物の名前を覚えて、そういうことで頭が満たされている間は、あの突飛な告白さえ霧の向こうへ押しやってしまえる。
「……文学サロンというのは、どんなところ?」
「作家や詩人や、言葉に関わって生きている人たちが集まるの。お互いの書いたものを批評し合って、ときには口論になって、でも最後にはみんなで同じ机を囲むような場所よ。あなたが今まで会ったことのない種類の人たちがたくさんいるわ」
「たとえば?」
「たとえば、六十年かけて一冊の詩集を書き続けている老詩人がいるわ。まだ完成していないらしいけれど、本人は全然焦っていないの。それから、旅の記録だけを書き続けている夫人もいる。十冊以上出しているのに、まだ旅をやめていないわ」
シャーロットは異国のサロンを目の前に描き出すように一気に語り終えると、「今度こそ本当に行かなくちゃ!」と空を仰ぐ。「じっくり考えておいてね」と言い残し、彼女はまたしても嵐が通り過ぎるように去っていった。
でもあとに残るのは不思議と清々しい空気で、嵐にも種類があるのだと思った。荒れ狂って全部をなぎ倒していくのではなく、澱んだ空気を入れ替えて、気がつけば空が高くなっているような嵐だ。
コーデリアは再びペンを取った。今日の庭の噴水のことを、シャーロットという人のことを言葉にしておきたかった。書いておかなければ、またどこかへ行ってしまいそうだったから。




