第二十五話
卒業式まであと数日という瑞々しい朝のことだった。郵便受けに投函されていた封筒を手に取った瞬間、コーデリアの心臓は跳ね上がった。
指先が微かに震える。ペーパーナイフの鋭い感触、封の剥がれる乾いた音。視線を落とすと、そこには簡潔に『佳作入選』の文字があった。コーデリアはその二文字を、まるで魔法の呪文か何かのように、何度も、十回は繰り返して読み上げた。
──日常描写の積み重ねが多く、波瀾万丈な展開を求める読者には物足りないかもしれない。しかし水の底に町が在るという設定と、その舞台を丁寧に活かした世界観の構築は評価できる。
また日常描写が多いと言われた。でも今回は「物足りない」であって欠陥だとは書いていない。そして世界観は評価されたのだ。水底の鐘の音が、溺れた光の中の祈りが、ちゃんと審査員に届いた。
「──っ、やった……!」
喉の奥から絞り出したのは、喜びという名の悲鳴だった。彼女はそのままの勢いで、お世話になった人々に報告の嵐を巻き起こす。まずヴェスパー卿とエレンに駆け寄り、その勢いでオーロラにも「見て、水底の町が認められたわ!」と息を切らして伝えた。
汽車の揺れさえも今は祝祭の音楽のように感じられた。ベアトリスに対しては旅路のすべてを使って、どれだけ水底の生活描写にこだわったかを語り続けた。ベアトリスは呆れるどころか、その熱に当てられたように頷き続けていた。
文芸サークルに飛び込むと、パールが「言ったでしょう! 湖の底の町なんて、絶対に素敵な悪夢になるって!」と叫んでコーデリアに飛びつき、セオドアが「この作品の最初の読者でいられたことは、僕の生涯の自慢になるよ」と花束でも渡すような優雅さで彼女の手を取った。
ハーヴィーが「呼吸器官の説明がなかったのが減点対象だったかもしれない」と言い、コーデリアは「あなたまでそれを言うの」と返した。
「やっぱり誰かに言われたのか」
「グレイマロウの医学生によ!」
ハーヴィーは少し間を置いて、それから「おめでとう」と言った。たったそれだけだったけれど、コーデリアはどんなに飾り立てられた祝辞よりも、その短い言葉が彼にとってずっと大きなものだということを知っていた。
そんな賑やかさの喜びに浸る暇もなく、卒業式はやってきた。
厳粛な式だった。学長の長い祝辞があって来賓の挨拶があって、一人ずつ名前を呼ばれて壇上に上がる。証書を受け取りながら、ミスト・ヴァレーに来た日のことをなぜか思い出した。あの霧の中を馬車に揺られてやってきた、小さな女の子のことを。
謝恩会は式とは打って変わって華やかだった。コーデリアはこの日のために、ヴェスパー卿が用意してくれたイブニングドレスを着ていた。今までの人生で一番見事な仕立てで、月光色の生地が光を受けてやわらかく輝くのだ。真珠のネックレスが鎖骨の上に並んで、エレンは目を潤ませて見送ってくれた。
会場には、それぞれが掴み取った未来を瞳に宿した友人たちの姿がある。ベアトリスはすでに「待ちきれない」という顔をしていた。「おめでとう。博物館、楽しみね」と声をかけると、「楽しみというより早く始めたい。やることが山積みなのよ、もう」とそのまま返ってきた。
パールは会場の中で一番華やかなドレスを着ていて、とてもよく似合っていた。
「コーデリア、素敵だわ」
「あなたもよ、パール。大学生活を楽しんで。あなたの感性を存分に咲かせてね」
「ええ。──そうだわ、グレイマロウには知り合いがいるの」
「リーヴァイのことね」
「文学部と医学部では会う機会はないかもしれないけれど。もし顔を合わせたら、コーデリアに早く手紙の返事を書くよう伝えておくわ」
彼の返事が遅いこと、そしてそれがコーデリアにとってどれほど焦れったいものであるかは、サークルの間ではもはや公然の秘密のようなものだった。
「縁があれば会えるものよね。期待して待つことにするわ」
そう口にした途端、解剖学の教本を片手に理路整然と反論を並べるリーヴァイの顔が浮かんだ。しかしパールの容赦のない不穏な想像力と、相手を圧倒する華やかな押し付けには、さすがの彼もなすすべなく沈黙するだろう。
謝恩会の終わり近く、セオドアとハーヴィーが壇上に立って詩の朗読をした。二人の声が重なり合い、そこに織り込まれたのは、アカデミーで過ごした季節と、終わりのない空想の日々だった。
その夜、部屋に戻ったコーデリアは、ドレスを脱ぐことも忘れて真夜中の机に向かっていた。
「このドレスを、あなたに見せられたらどんなにいいか」
──今夜のためにおじ様が用意してくれたイブニングドレスを着たわ。写真が撮れたら送るのに、残念なことに言葉でしか伝えられないから、パールとセオドアの表現を借りることにするわね。
パールは白い花を手向けられるために生まれてきたような美しさだった、って。セオドアは夜の湖底に降り積もる真珠のようだと言ってくれたわ。
コーデリアはそこで一度ペンを止めた。
──でも、わたしならこう書くわ。“今夜、鏡の中のわたしは前を向いていた。影はまだそこにあったけれど、もう怖くなかった。”
リーヴァイ。あの頃から、ずいぶん遠いところまで来たのよ。
今のわたしを、わたしは誇りに思っているわ。
真珠のネックレスをそっと外し、コーデリアは封蝋を溶かして、確かな願いと共に封をした。遠いグレイマロウの空の下、冷たいメスを握る彼の手に、この手紙の温もりが無事に届くことを祈りながら。
あの日と同じ霧は、今夜も同じようにそこにある。変わったのは霧ではなく、霧の中を歩くコーデリアの方だった。
コーデリア・レイス、十八歳の夏。霧の街が育てた言葉を愛する彼女の、長い旅のまだ途中のことである。




