第二十二話
夏季休暇の初日、コーデリアは駅で針の曲がった時計を確認していた。セオドアとパールを乗せた汽車は十一時着のはずで、まだ少し時間があった。
定刻通りに汽車が滑り込んできて、コーデリアは降りてくる人の流れを目で追い始める。見慣れた街の人たちに混じって友人を探していると、ふと流れとは少し違うところに黒い鞄を手にした背の高い人影が見えた。
「……リーヴァイ?」
彼はホームに降り立ってから一度周囲を見回すと、何かに気づいたような顔を一瞬だけしてこちらへ歩いてきた。秋に別れてから初めて見る顔は、また少しだけ変わっていた。同じ顔なのに、会うたびに少しずつ遠い場所の人間になっていくような、そういう変わり方をする幼馴染だった。
「……なんで駅にいるんだ?」
「おかえり、リーヴァイ。奇遇ね」
「奇遇、じゃなくて。……着く時間、別に伝えていなかったのに」
リーヴァイの喉が小さく鳴った。彼は少しだけ前のめりになり、呼吸を一瞬止める。
「……もしかして、待っていてくれたのか」
コーデリアは笑いを堪えるのに必死だった。その無防備な勘違いが可愛らしくて、いっそ真実を隠しておきたい。
「待ち合わせをしていたのよ。アカデミーのお友達がミスト・ヴァレーに遊びに来るの。だからお迎えに来たのよ」
気のせいでなければ、リーヴァイの少し期待の滲んだ表情が、すっと元の涼しい顔に戻った。
「ごめんなさい、あなたを待っていたわけじゃなかったわ」
「分かってるよ。そんなことは思ってない」
「そう? でも今──」
「思ってないって言ってるだろ」
そこへ、背後から弾んだ声がした。
「コーデリア、着いたわ!」
パールが小さな旅行鞄を揺らしながら飛び出してきた。その後ろからセオドアが涼やかな風のような足取りで続く。
「夏なのに霧がこんなに出ているなんて想像以上だわ。全部あなたの小説から出てきたみたいで、もう着いた瞬間から好きかもしれない」
「でしょう。ここはいつもこうなの」
パールは目を輝かせ、すぐ隣にいたリーヴァイの存在に気づくと首を傾げた。
「あら、この人は?」
「リーヴァイよ。幼馴染で、今日たまたまグレイマロウから帰ってきたの。リーヴァイ、セオドアとパール。アカデミーで一緒の友人よ」
パールが帽子をとって会釈をして、セオドアが「コーデリアからよく聞いてるよ」と明るく続けた。生来人付き合いが得意な方ではないリーヴァイはコーデリアを横目で射抜いたが、コーデリアは澄ました顔をしてみせた。
「……どうも。じゃあ僕は──」
「ちょっと待って」
もう行くよ、と続けようとしたリーヴァイの言葉にかぶせるように、セオドアが明るく声を上げた。
「せっかくだし、少し一緒に歩かない?」
「歩く?」
「うん。僕たち今からコーデリアにミスト・ヴァレーを案内してもらう予定なんだ。初めて来た場所だから、地元の人がもう一人いると心強いし」
セオドアは夏の霧さえも爽やかに透かすような屈託のない笑顔で右手を差し出した。直球すぎるほどの好意と頼られ方に、リーヴァイは出かかっていた拒絶の言葉を喉の奥に詰まらせる。
「そうだわ、リーヴァイ。わたしの知らないところも、あなたなら知っているもの。墓地の抜け道とか、霧が一番濃く残る場所とか」
「墓地の抜け道? なあに、その魅力的な響きは。苔むした石とか錆びた鉄扉とか、そういうのはある? 夜になると人ならざるものが這い出てきたりする?」
「……ただの管理が行き届いていない私有地だよ。なんでそんなに詳しく知りたいんだ」
「小説に使えそうで」
リーヴァイはパールを見て、それからコーデリアを見た。コーデリアは「そういう子なの」という顔をして、セオドアは特に驚いた様子もなく「いつもこんな感じです」と補足する。
リーヴァイは少しの間、黙って考えた。ここで断るのも感じが悪い。初めて来た街で目を輝かせている相手に、取り付く島もない返事をするほど不愛想ではなかった。そこそこの社交性は持ち合わせている。
それに何より──コーデリアをこの二人と一緒に野放しにしておくのが、一番まずい気がした。彼女なら案内の途中で空想にふけって崖から落ちるか、あるいは見当違いの方向に友人たちを連れて行くに決まっている。
「……少しだけなら。抜け道は外から場所だけ教える。中には入らないよ」
「それだけで十分だわ。ありがとう! 医学生って聞いてたから、夜中の実験室で死体に話しかけているような人かと思っていたけど、親切なのね」
リーヴァイは何か言いかけて、やめた。医学部ではお目にかかれない人種が三人、目の前に揃っていた。
ミスト・ヴァレーの夏はどこを歩いても絵になった。古い建物が霧に半分溶けて、石畳の隙間から苔が顔を出して、街全体が物語の中のような顔をしている。
パールは五歩に一度立ち止まって「ここも素敵」と言い、セオドアは手帳に何かを書き込み続けた。リーヴァイは三人の少し後ろを、荷物を持ったまま黙ってついてきた。
コーデリアのお気に入りの湖畔へ向かう道の途中、牧草地のそばを通った。柵の向こうに灰色の羊たちが群れていて、霧の中でぼんやりと白く浮かんでいる。
「羊まで霧みたいな色だ。ねえ、どうしてこんなに霧が出るのかな?」
「何か秘密があるはずよ」
コーデリアが間髪入れずに答えた。
「この街には昔から霧を呼ぶものがいるって、わたしにはそう思えるの。湖の底か、古い館の地下か──誰も入れない場所で何かが眠っていて、それが呼吸をするたびに霧になるのよ」
「素敵だわ、コーデリア! でも、私は呪われた恋人たちの魂だと思うわ。引き裂かれたまま成仏できなくて、霧になって街を漂っているの」
「谷地形で冷気が溜まるからだよ。風が抜けにくくて、湖からの水蒸気が冷えた空気と混ざって霧になる。特別珍しい現象じゃない」
三者三様の回答。しかし、リーヴァイの答えにパールが瞬きを繰り返し、セオドアは驚きで目を丸くしたまま固まった。羊が一匹、のんきに鳴いた。
「医学部ってそんなことも習うの?」
「……いや、普通の理科だけど……」
文芸サークルではどれほど荒唐無稽な空想を話しても「いいわね!」と肯定されるのが常だ。こんなにも即物的で、殺風景な答えが返ってくることを、彼らは想定していなかったのだ。
「あのね、リーヴァイ。もう少しだけ文学的な湿度を保てないものかしら。せっかく詩的な雰囲気だったのに」
コーデリアが呆れ果ててため息をつくと、リーヴァイは心底不思議そうに彼女を見返した。
「文学的な湿度? ……意味が分からない。霧の原因を聞かれたから答えただけだよ」
「答えなくていいこともあるの」
「そうか? 知りたそうだったけど。事実を述べることに、どうしてそこまで腹を立てる必要があるんだ」
パールがおかしそうに肩を震わせながらメモを取る。「悪役・情緒をホルマリン漬けにする狂科学者」という不名誉な構想がそこに踊っているのも知らず、リーヴァイは「湖はあっちだ」と、誰よりも効率的で情緒のない足取りで霧の奥へと消えていくのだった。




