第二十一話
賞の結果を待つ日々というのは妙な時間の流れ方をした。忘れようとすると思い出して、忘れていたと思うとまた気になる。コーデリアは毎朝郵便受けをそっと確認して、そっと離れるということを繰り返していた。
そんなある朝、郵便受けにコーデリア宛の封筒が一通あった。賞の結果ではなかったけれど、封筒を見た瞬間にもう結果のことを忘れた。
リーヴァイの字だった。コーデリアは封筒を抱えて自室へ駆け上がって、それから封を切る前に少し間を置いた。
腹を立てていたのだ、ということをちゃんと思い出しておかなければならなかった。秋に一通。返事なし。冬に入って一通。返事なし。もう一通。やはり返事なし。寄稿した新聞を切り抜いて送ったときも沈黙を貫かれた。
忙しいのだろうと思った。医学部というのはそういうところなのだろう。コーデリアは寛大だからそういう理由で許すことができた。けれど、許していた、ということをリーヴァイにはきちんと知っておいてほしかった。
「ここまで待たせたんだから、最低でも便箋五枚分くらいの近況報告がないと気が済まないわ。解剖の話でも講義の愚痴でも、何でもいいから……」
強がりを言いながら開けたリーヴァイの手紙は、いつも彼がそうであるように簡潔で、五枚どころかわずか二枚の便箋だった。
「……けち!」
けれど、一行目に綴られた『なかなか返せなくてごめん』という言葉に、怒っていた時間は片付いてしまった。我ながら安上がりだと思ったけれど、それは傍に置いて手紙を読み進めた。
大学の講義のこと、解剖学の教授が厳しいこと、図書館が大きくて最初は迷子になったこと。リーヴァイにしては珍しく、いくつかのことが書いてあった。きっとまとめて書いたのだろうと分かった。
そして最後の方に、こう綴られている。
──春季休暇は大学を離れられない。帰省は夏まで待ってくれ。
今は冬の終わりで、春が来て、それが終わってようやく夏だ。別れた秋から数えれば、再会まで丸一年近くかかることになる。汽車で四時間の距離なのに、丸一年。
がっかりした。がっかりしている自分に少し驚いてから、でもがっかりするのは当然だと思い直した。
コーデリアは便箋を丁寧に折り返して窓の外を見た。庭の隅に雪の残りがまだ少しある。あれが全部溶けて、花が咲いて、夏が来るまで。
返事を書こうと思った。今度はもっと早く返してね、という一文をさりげなく、でもちゃんと分かるように、どこかに忍び込ませながら。
◆
「……ふん!」
コーデリアは待ちに待った賞の結果を勢いよく机に叩きつけ、文芸サークルの椅子の背もたれにふんぞり返った。
「なによこれ! 風景描写は丁寧だが物語としての駆動力に欠ける? 読者を引っ張る事件も葛藤も乏しい? ……わかってないわね。この審査員、さては春の陽だまりで昼寝をしながら読んでたでしょう!」
原稿には赤ペンで容赦なく書き込まれた無数の指摘と、最後に「選外」という無情な二文字が踊っている。コーデリアは腕を組み、しばらく睨みつけたあとで、突然笑い出した。
「いいわ、分かった。この人はきっと、人生で一度も霧の夜に恋をしたことがないのね」
「うんうん」
「もしくは、雨の日の午後に猫を眺めて幸せを感じたことがない、非常に可哀想な人なんだわ」
「そうだね」
セオドアは神妙な顔で頷き続けていた。パールは講評を拾い上げて、黙って読んでいた。
「パール、その……君はどう思う?」
「……読んでいるところよ」
「読まなくていいわ。ひどいことしか書いていないから」
けれどパールは講評を手放さず、しばらく沈黙があった。コーデリアはその間に紅茶を一口飲んで、でもまだ腹が立っていたので、カップを少し強めにソーサーへ戻した。
「いつまでも霧の中を漂っているような印象、か」
「それのどこがいけないのかしら」
「悪くはないと思うよ。ただ……」
「ただ?」
セオドアが少し言葉を選ぶ気配があった。パールがその横で小さく首を振るのが見える。やめて、という顔だったが、セオドアは構わず続けた。
「確かに、事件は少ないかもしれない」
「あなたまでそれを言うの?」
「落ち着いて、コーデリア」
「落ち着いてるわ。これがわたしの中で一番落ち着いた状態よ」
「でもね、コーデリア、風景描写は丁寧で文章に独自の色があるって書いてあるじゃない。それはちゃんと褒めているわよ」
「褒めてから貶すのは、貶すための前置きなの」
「そうかな、私はそこだけ読んで喜ぶけど」
パールはにこにこしていた。コーデリアはもう一度講評に目をやった。いつまでも霧の中を漂っているような印象を受ける、という一節が、やはり目に飛び込んできた。
「これって要するに、わたしの感性が理解できなかった、ということでしょう」
「……まあ、そういう解釈も」
「審査員はきっと霧を知らずに一生を終えるのよ。気の毒な話だと思わない?」
セオドアは少し天井を見上げた。何か言いたそうな顔をして、それからやめた。賢明な判断だった。
「次を書けばいいよ。一作目で受賞する人間の方が珍しい。君には確かに書く力がある。景色が言葉になる人の書き方だよ」
「……そう? そうかしら」
「ええ、ええ。あなたの書く風景は本当に素晴らしいもの。あなたなら書けるわ。あの講評を書いた審査員が、読み終えた瞬間に霧から出られなくなるような、そんな執念深い物語を」
二人の言葉を聞いていると、さっきまでの怒りが不思議と意欲に変わっていくのがわかった。部室の外で春の風が吹いて、コーデリアは講評をくるくる丸めて隅のごみ箱へ放った。きれいに入った。
「……わかったわ。今回の審査員は霧を知らない人に違いないから仕方ないけれど、少し悔しいから、次こそ霧の中にしかない物語を書くわ」
「それでこそだよ」
セオドアが少し笑う。パールが「次も絶対読ませてね」と手を挙げて、ハーヴィーが顔も上げずに言った。
「一作目の構造的欠陥についてまとめておいた。参考にするといい」
誰も頼んでいなかった。コーデリアは天井を仰いで、それから「……ありがとう」としぶしぶ伝えた。




