第十五話
ミスト・ヴァレーでは湖が最初に季節の変わり目を感じ取って、夏の間だけ宿していた緑や青を少しずつ手放していく。十五歳になったコーデリアは朽ちかけた桟橋に腰を下ろし、その湖畔の揺れる水面を見つめていた。
隣にはリーヴァイがいる。また一層、顔つきが変わった。少年というより、もう青年と呼ぶ方がしっくりくる顔をしていた。
「……ベアトリスは歴史の勉強をするためにアカデミーを目指すんですって。あの子らしいわよね。ミリエルはもう農園の帳簿を手伝い始めているし、ロザリーはお母さんに勧められて花嫁学校に行くって話していたわ」
コーデリアは手元の枯れ葉を一枚、湖へと落とした。友人たちがそれぞれの未来という名の岸辺に向かって漕ぎ出そうとしている中、自分だけが深い霧の立ち込める湖の真ん中で立ち止まっているような気がしていた。
「みんな自分の行く先が決まっているの。……あんなに一緒に、空想のお茶会をしていたのにね」
「いつまでも子供のままじゃいられないからな」
リーヴァイは膝を立て、遠くの対岸を見据えたまま言った。コーデリアは手持ち無沙汰になり、足元に生えていた細長い草を無造作にちぎり取った。昔エレンに教わった草笛を吹こうとしたのだ。
けれどそれを口に咥えた瞬間、切り口から強烈に苦い汁がじわりと滲み出した。
「……っ、ぺっ、ぺっ」
「何をやってるんだ」
「草笛よ。やろうとしたの」
「なんでもかんでも口に入れるなよ。毒草もあるんだぞ。子供じゃないって言ったそばから」
コーデリアは口の中に残った苦味をなんとかしようと、上着の袖で唇を拭いた。リーヴァイがますます嫌そうな顔をする。
「……ねえ!」
コーデリアは誤魔化すように、視線を草原の向こうへ投げた。
「あなたはアカデミーを卒業したらどうするの? まだ勉強を続ける? それとも、お父さんみたいに墓守になるのかしら」
リーヴァイは湖を渡る風に目を細めた。その視線は、ずっと先にある墓地の方向を向いている。
「……僕は医学を学びたい。それも、検死官になりたいんだ」
「検死官……?」
「僕は幼い頃から見てきたんだよ。墓地に運ばれてくる、説明のつかない痣や、不自然な顔色の遺体たちをね。でもここでは、原因不明の死は悪魔の仕業として片付けられる。……あれらすべてを呪いの一言で終わらせるのは、その人が生きてきた時間への侮辱だと思わないか」
呪いという言葉の重みは、誰よりもコーデリア自身が知っていた。幼い頃から自分の病気を不吉な影の呪いだと囁かれ、得体の知れない恐怖として扱われてきた。
でもリーヴァイはいつだって、それを単なる病による現象として、冷徹なまでに現実的な目で見つめてくれた。
「どんな死にも必ず物理的な原因がある。熱だろうと、毒だろうと、臓器の不具合だろうと──どこかに答えがあるのに思考を止めることが、僕にはどうしても我慢ならないんだ」
「……すごいわ、リーヴァイ。あなたならきっとなれる。応援するわ、心から!」
コーデリアは身を乗り出して声を弾ませた。呪いや悪魔といった曖昧な言葉で、誰かの生きた証を塗り潰させない。それは彼女にとって何よりも気高く、救いのある戦いに思えたからだ。
「うん。でもまずは働くよ」
けれどリーヴァイはそんな彼女の熱に浮かされることもなく、淡々と明日の天気を口にするような調子で言葉を継いだ。
「墓守の家に六年間の学費を払う余裕なんてないからな。卒業したらどこかで働き口を見つける。金を貯めてから目指したって、別に遅くはないだろ」
彼は湖に視線を戻し、何でもないことのように言い切った。悲観しているわけでも自分を憐れんでいるわけでもない。ただ目の前にある壁を正しく見定め、最短の登り道を選び取っただけ。
その迷いのなさが、コーデリアには驚くべきことだった。自分なら「お金がないから夢を諦めるしかないのね!」と悲劇のヒロインのように嘆くか、あるいは空想の世界へ逃げ込んでしまうだろう。なのに彼は泥臭い労働という年月すらも、己の人生の必然として淡々と受け入れている。
「……そう。そうなのね」
さっきまで隣で草笛に顔を顰めていたはずなのに。彼はもう自分の足で冷たい地面を踏みしめ、独りで遥か先の景色を計算している。夢を掴み取るために、あえて一度その夢を脇に置く。
その凛とした強さが、コーデリアにはあまりに大人びて、眩しすぎて、ひどく遠い場所へ行ってしまったように思えた。
「ねえ、夢の途中でわたしを置いていったりしないでね。あなたが働いて、そのあともっと遠くへ行って、とんでもなく立派な検死官になったとき、わたしがただの思い出になっていたら嫌よ」
「何をごちゃごちゃ言ってるんだ。置いていくも何も、僕はまだここに座ってるだろ。ほら、その変な草、まだ口についてるぞ」
ぶっきらぼうに指差され、コーデリアは慌てて口元を拭った。
友人たちは学舎へ、家業へ、結婚へ。そしてリーヴァイは自らの手で未来を購うという確かな現実へ。誰もが自分の力で、運命の扉を叩き始めている。
けれどコーデリアは未だ立ち止まったまま。十五歳という年齢は少女が空想のドレスを脱ぎ捨て、否応なしに現実という名の質素な外套を羽織らされる季節なのかもしれない。




