第十四話
どんよりとした灰色の空から今にも雨が降り出しそうな午後だった。コーデリアは何度も引き返そうか迷いながら、墓地のすぐそばに建つサロウ家を訪ねた。
墓守の家はいつ訪れても夜のような佇まいをしていて、蔦が絡まる高い窓や尖った屋根が、この土地特有の少し寂しげな情緒を漂わせている。けれど決して恐ろしい場所ではなく、玄関の鉄の輪を叩くと中から明るい足音が聞こえてきた。
「あら。あらあら、コーデリアちゃん」
出迎えてくれたサロウ夫人はパッと花が咲いたような笑みを向けてくれる。リーヴァイと同じ色をした目を細めて微笑む夫人は、人を安心させることが上手な人だった。
「あの子に会いに来てくれたの? よかった。ちょうどよかったわ。心配していたのよ。あの子ったら、最近はちっとも部屋から出てこないんだから」
夫人はコーデリアを家の中へ招き入れ、足早に階段を上がっていった。上階からは「いつまで不貞腐れているの。ちゃんと顔を見て話しなさい!」という、おっとりした外見からは想像もつかないほど力強い声が響いてくる。
やがて階段の暗がりから姿を見せたリーヴァイは、ひどく決まり悪そうな顔をしていた。母親に引っ張り出されてきたというのが一目で分かる姿で、観念したように最後の一段を降りる。
「……何しに来たんだ、君は」
「……わたしも、勝手に迎えに来たのよ、リーヴァイ」
コーデリアは廊下に置かれた古い燭台の影が、足元に伸びているのを見つめた。以前彼に放った言葉をそのまま行動で返した彼女に、リーヴァイは虚を突かれたように目を見開いた。
「呆れたな。わざわざ墓場まで、僕に嫌味を言われに来たのか」
「いいえ。……これを、渡しに来たの」
コーデリアは指先に力を込めて握りしめていた一通の封筒を差し出した。それは、ミリエルのために綴ったきらびやかな手紙とは違う。良い香りも押し花も、誰かをうっとりさせる装飾の一つなく、ただ何度も書き直した跡が残る白い便箋だった。
「わたしの手紙は中身のない綺麗な箱だって、あなたは言ったわね。偽物の言葉じゃ、後で困るだけだって。……その通りかもしれない。でも、この手紙だけは違うわ」
コーデリアは一歩踏み出し、逃げようとする彼の視線を真っ直ぐに射抜く。
「きれいな言葉を探そうとするたびに、あなたの声が聞こえてきたの。だから不格好でも、わたしにしか書けない、わたしのいちばん痛いところだけを残したわ。……これでもまだ、空っぽだって言うかしら」
精一杯の言葉を叩きつけると同時に、コーデリアはほとんど押し付けるようにして手紙を渡し、返事を聞く間もなく玄関を飛び出す。
リーヴァイはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて手の中の封筒を見下ろした。
「……なんなんだよ、あれは」
苛立ったように呟きながら、封を切る。一行目を読んだ瞬間、彼の眉がぴくりと動いた。
二行、三行。読み進めるうちに、いつもの皮肉な笑みは跡形もなく消えていく。
リーヴァイは便箋を折り畳んで窓の外を見た。いつの間にか雨が降り始めている。今から追っても無駄だろう。そう思ったのに、次の瞬間にはもう扉の取っ手を掴んでいた。
「リーヴァイ?」
母親の声が背中にかかったが、彼は振り返らなかった。扉を開けると、冷たい雨が顔を打った。
コーデリアが館への道を半分も行かないうちに、堪えていた空からぽつぽつと雨が降り出した。冷たい雫が頬を叩き、ワンピースが重くなる頃には、コーデリアの頬が濡れているのが雨のせいなのかもう自分でも分からなかった。
裏口から忍び込んで、誰にも顔を見られないまま自室へ駆け込む。濡れた服も脱がずにベッドへ倒れ込み、膝を抱えてシーツに顔を埋めた。
言葉を紡ぐことなら誰よりも得意なのに、いざ自分のために使った途端、これほど無様に逃げ出すなんて。キューピッドだなんて囃し立てられて、得意になっていた自分が馬鹿らしかった。結局わたしは他人の恋の言葉は書けても、自分の気持ちひとつまともに渡せない。
雨脚はさらに強まり、窓を叩く音が寝室に響く。どれくらいそうしていたか。不意に雨音に混じって、自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。
「……コーデリア!」
最初は風が枝を揺らす音か、あるいは自分が生み出した空想の残響だと思った。けれどその声はカーテンを突き抜け、確かに輪郭を持って届いてくる。
「コーデリア!」
聞き間違いであればと思うのに、コーデリアはベッドから這い出し、耳を疑いながら──あるいは何かに縋るように窓に歩み寄った。
震える手で重いカーテンを引くと、窓ガラスを激しく流れ落ちる雫のせいで、外の景色は歪んでいる。けれど庭の木立のそばに、ずぶ濡れで立つ人影が確かにあった。
「リーヴァイ! なんで……!」
手紙を読んでから走ってきたのだろうか。肩で激しく息をしながら、リーヴァイは顔を上げた。張り付いた前髪の隙間から、その瞳がコーデリアを強く射抜く。
「……君の手紙、読んだよ。全部だ!」
雨の音に負けないくらいに、彼は声を張り上げた。いつもよりずっと剥き出しの、余裕のない声だった。
「……リーヴァイ。ごめんなさい。あんな手紙、渡すべきじゃなかった。迷惑だったなら謝るから、もう帰って!」
「帰れるわけないだろ! こんな……こんなものを渡されて、黙って帰れるほど、僕は図太い人間じゃない!」
彼は雨に打たれ、余裕を失った顔で必死に言葉を繋いだ。
「君の言う通りだ、僕はひねくれてるよ。……認めればいいんだろう。嫌だったんだよ! 君の手紙が他の誰かのところに行くのが気に入らなかったんだ。ずっと前からだ!」
リーヴァイの声はもはや怒鳴り声に近かった。いつもなら理路整然と話すはずの彼が、言葉を選んでいる余裕さえないように、ひたすら必死に叫んでいる。
「頼むから、顔を見せてくれ。せめて、ちゃんと謝らせてほしいんだ。こんな雨の中で叫んでいたいわけじゃない。君にひどいことをしたって、それだけを伝えに来たんだ!」
屈辱的だと思っていた。あんな手紙、渡さなければよかったと後悔していた。
けれど、雨の中で必死に叫ぶ彼の姿を見た瞬間、コーデリアを縛っていた意地が、音を立てて崩れ去った。みじめなのは自分だけじゃなかった。彼もまたあの不格好な手紙を受け取った瞬間から、同じように、あるいはそれ以上に、自分のしてしまったことに打ちのめされていたのだ。
コーデリアはクローゼットから手近なバスタオルをひっつかんで部屋を飛び出した。裸足のまま冷えた廊下を駆け抜ける。胸の鼓動がうるさくて、雨音さえ遠くに感じた。
裏口の扉を勢いよく開けると、そこには雨の檻の中に閉じ込められたような、ずぶ濡れのリーヴァイが立っていた。
「……馬鹿ね、本当に!」
言いながら、持ってきたタオルを彼の頭から手当たり次第に被せる。リーヴァイは反論もせず、ただタオルの下から情けないほど濡れそぼった顔でコーデリアを見つめた。
「……ごめん。言い過ぎたよ。本当に、言い過ぎたんだ。君の手紙を読んで、僕がどれだけ君を……蔑ろにしていたか、ようやく分かった」
直球すぎるその謝罪に、コーデリアは鼻の奥がツンとした。
「分かってるわよ。もういいわ、中に入って」
二人が泥のついた足で館に入ったところで、待ち構えていたのはエレンだった。落雷のような叱責が飛んで、二人は並んで小さくなる。
着替えを済ませて暖炉の前に落ち着くと、エレンがカップを二つテーブルに置いた。湯気の立つ濃いめのココアだった。
「仲直りしたなら結構です。でも次からは雨の中を走り回るのはやめてくださいね、二人とも」
エレンはそれだけ言って、ぷいと台所へ戻っていった。
リーヴァイは髪を拭きながら、暖炉の火をぼんやりと眺めている。コーデリアはその隣で、ひと口ずつゆっくりとココアを飲んだ。甘くて少しだけ苦くて、体の芯からじわじわと温まってくる。
「……あの手紙、すぐに捨ててね」
「嫌だ。……あんなに支離滅裂で、でも僕の名前しか書いていない手紙、一生捨てずに持っておくよ」
「何よそれ。やっぱり性格悪いわ」
「君に言われたくないね。あんな手紙を渡して返事も聞かずに逃げるなんて、嫌がらせ以外の何物でもないだろ」
コーデリアはココアから立ち上る湯気の向こうで唇を尖らせた。カップの熱が、雨で冷え切った指先をゆっくりと解きほぐしていく。
「……うるさいわね。必死だったのよ」
少しの間があって、リーヴァイが静かに言った。
「僕もだよ」
かつて雪解けの泥道で意地をぶつけ合った二人。けれど窓の外で降りしきる激しい雨は、冬を終わらせるための春の嵐だ。花が咲く前には、必ず一度嵐が来る。そしてその雨が上がった後にしか、見えない景色がある。




