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31.唯一の家族 ④

「こっちこそよろしくね。セントフェラストのことも、アトランス界のことも、まだまだ分からないことがいっぱいだと思うから、何でも聞いてね」


「ありがとう。まずは寮の登記をしないと」


「それなら、書斎で庶務部のページと繋いで、今すぐ申し込めるよ」


「それは助かる」


 クロディスに案内され、一階の書斎に入った。七畳の書斎には机と椅子が二組あり、それとは別のテーブルの上には開かれた本と多数の宝石が置かれている。本の開かれているページには、『章紋術』の綴り方について説明書きが書かれていた。本棚には、どこかで採取してきたらしい様々な材料の入ったガラス瓶が並んでいる。


 早速クロディスは机の機元端を起動させた。机の上に、透明の箱が光る。前の使用者のログアウトを行ったのち、クロディスは机から一枚のプラグを外した。厚さは1ミリ、トランプよりもやや大きな水晶の札だ。赤、青、緑、白、黒からなる炎が、その札の中で動く抽象画のように揺れている。


「それは何?」


「マスタープロテタスだよ。心苗やウィルターにとっての、身分証明書みたいなものだね。買い物や施設を使う時に必要なの」


「それはどうすれば手に入る?」


「明日、クラスで配られると思うよ。今日中には他の市民と同じように、日常生活のサービス利用もできるようになると思う。機元端、使ってみる?」


 譲られた席に座り、トオルはセンサーに手を置いた。庶務部で見覚えのある画面が飛び出す。トオルは要望書に書いた寮を取り消し、仮決定のティエラルス516室に決定するためのボタンを押した。


 機元端を使い、嶺電アカシックテリュムを繋げれば、アトランス界の情報はいくらでも検索できた。新しい知識、新しい技術。トオルが夢中になっていると、クロディスが後ろから抱きついてきた。

 クロディスの両手に優しく抱かれ、背には柔らかな膨らみが感じられる。クロディスの香りが全身に密着して、トオルは手を止めた。


「ク、クロディス?どうした、急に」


「トオル、こういうの好き?」


 女性との接触にほとんど経験のないトオルは、突然の大胆な動きとからかうような言葉に思考停止した。一体何が目的かわからなかった。真っ赤になったトオルの顔を見て、彼の気持ちを汲み取ったクロディスが手を放す。トオルは振り向いたが、クロディスと目を合わせられない。


「ち、ちょっと待て、クロディス、何を言ってるか、分かってる?」


「もちろんだよ?恋人同士が、お互いに愛撫したりとか?」


 クロディスは平然とそう言うと、幼子を見るような優しい目でトオルを見て、笑顔をこぼす。トオルは耳まで真っ赤になった。


「し、知ってるなら、何で」


「私じゃダメ?トオル、地球界でよく、そういう本とか読んでたでしょ?」


 トオルはチラリとクロディスを見た。その美しい体のラインを見て、固唾を呑む。作られたものだと分かっていても、やはり美しいことに変わりなかった。心身の健全な男子にとって、こんな幸運はない。だが、トオルは地球界の倫理観を忘れず、理性を保っていた。


「君がダメだとか、そういうことじゃなくて……、だって、ぼくたち双子だろ?」


「妹なんだから、遠慮しないで良いんだよ?地球界と違って、アトランス界にはその手の娯楽はあんまりないから、いつかきっとストレスが溜まっちゃうと思う。フェイトアンファルスの法律で、ホミ以外との性愛行為は禁じられているから」


「そ、そうなのか。でもぼくは、そんなことはしないよ。クロディスは心配しすぎだ」


「一年生は制服がないから、色んな格好の人がいるよ。露出の多い服を着た女の子もたくさんいるけど、トオル、抑えられる?」


「クロディス、ぼくは野獣じゃない」


 トオルの見てきたエロ関連のものに、クロディスは相当な勘違いを起こしているらしい。


「この体はダミーだから。もし汚れても、解除してまた新しい体を生成すれば問題ないと思うよ」


 トオルはミーラティス人の倫理観を疑った。地球では妹と兄の関係で、こんな大胆な発想、発言はありえない。


「この世界では、兄妹間のそういう行為が認められているのか?」


「地球界では血が近いと危険が多いんだよね?アトランス界のタヌーモンス人は、遺伝子操作の技術が発達しているから、健康に問題はないんだって。それに、私たちピュトリティス族では、兄弟姉妹が結ばれることは普通のことだよ」


 これ以上の話はもう、トオルにとっては神話に近かった。追いつくことのできない場所にいるクロディスを、トオルは遠い目で見る。


「そんなことが……認められているのか……」


「でも、今のトオルは身も心も未熟だから、できないと思う」


「ぼくはまだ、未熟なのか?」


まだ一人前の男とは認めてもらえていないと知り、さっきまで空を飛ぶ鳥のような気持ちだったトオルは、その体を羽ごと掴まれて、地面に叩きつけられたような気分だった。


「ダミーじゃなくて、心光体の私に触れられるのが、最低条件だね」


「それはどうやら難しそうだな」


 トオルにはクロディスの説明が半分くらいしか理解できていなかった。表情や言い方から、家族以上ではあるが、恋愛対象としてはまだ認められないということだろう。


「ま、その話はいいとして。トオルは慣れないだろうけど、私には遠慮しないでね。疲れた時、悲しい時、怒った時、どんな時でも、私が抱きしめてあげるから」


 叔父一家の元で育ったトオルは、家族とのハグなどは一度も経験してこなかった。家族愛などというものは、神話以上に実感がなかった。

 クロディスのその一言は、十数年かけて固まった感情の岩石を外側からゆっくりと溶かしていく。トオルはまた、心の深部にある冷たいものが、少しだけ温められたような気がした。


 双子の兄である自分のことを、クロディスはどれだけ深く考えてくれたのか。トオルは彼女にどれだけの心配をかけているのかと、少し情けない気持ちだった。たとえ体が何度でも作り直せるとしても、こんなにも優しく愛しい妹を、都合の良い人形のように使い捨てることはできない。それよりも、唯一の家族である妹を守れるようにならなければと、トオルは思った。


「ありがとうクロディス、その気持ちだけで十分だよ」


 二人はじっと見つめあうと、もう一度、そっと抱き合った。

 しばらくして、二人は自然と離れる。


「私、これから授業だから、アイラメディスに行ってくるね」


「間に合う?」


「うん、大丈夫。それより、私、家ではほとんど心光体状態だったから、生活用品があんまり揃ってないの。トオル、買い物に行った方がいいかも」


「ないと困るものってなんだろう」


「ポケット納屋とか、お洋服とか、歯ブラシ、歯磨き粉……ないと大変でしょ?」


「さっきの機元端を使って、通信販売で買えないのか?」


「トオルは新苗だから、環境に慣れるためにも街を歩いた方がいいと思うよ」


「なるほど。どこに行けば良いんだ?」


「ベーロコット商店街に行けば、だいたいのものは揃うかな。一緒に出るなら、先にトオルを中央学園まで連れて行ってあげられる」


「浮遊船だと逆方向にならないか?」


「転送ゲートがあるから大丈夫、時短にもなるし。あ、でも、トオルがゆっくり学園を見たいなら、浮遊船の方がいいかな」


「いや、それなら中央学園まで連れて行ってくれ」


 クロディスが頷いて、ベルトのスイッチを押した。魔導士の心苗のためのマントが現れ、さっと羽織る。黒いマントの裾は7つの尻尾のように分かれて揺れている。裾と襟には赤い紋様が縫われ、襟には金のボタンが留まっている。マントの中も、さっきまで着ていた白いドレスではなく、ルビーの付いたスカーフリングと布が覗き、ロングブーツになった。

 正装に着替えたクロディスとともに、トオルは寮を出る。

 庭の底まで降りると、トオルは巨木を仰ぎ見て驚嘆した。木には2メートル以上の大きな宝石が埋め込まれ、太陽の光を跳ね返している。


「これが転送ゲート?飛空船の中にあったものとはかなり差があるな」


 地面には飛空船のものよりも大きな、直径2メートルを超えた紋様が刻まれた円形の台があった。長い年月を経て侵蝕された痕跡のある、年代物のようだ。


「都会にあるのは、これが簡素化した物だね」


「これで学園のどこへでも行けるのか?」」


「権限さえあればね。ここの転送ゲートは、寮生しか使えないことになってる。トオルがマスタープロテタスをもらったら自分で使えるようになるよ」


 ゲートの入り口にある石柱に、センサーが付いている。クロディスがそこにマスタープロテタスを置くと、ゲートが起動し、踏み台の紋様が青く光った。


「行こう」


「ああ」


 二人がゲートに上がると、クロディスはやや上を仰ぎ見て、巨木に伝えるように言った。


「中央学園まで送ってください」


 その言葉に呼応するように足元から光が強くなり、包まれる。


 トオルが目蓋を開けると、二人は広い円柱型の転送ゲートに立っていた。ゲートホールを離れると、五階まで吹き抜けになったロビーに出た。トオルたちがいるのは二階らしい。そこから一階のロビーを眺めることができた。

 ロビーの両側の壁には、四つの学院それぞれの旗がかけてあった。聖なる空気が意識され、ふっと息が止まるような、気持ちが引き締まる感じがした。


「ここは……?」


「中央学園の行政棟―ニオングレイランだよ。ここから出れば、中央学園の一番大きな広場に出られる。まっすぐ大通りを歩いていけば、ベーロコット公園に行き着くの。その先にある坂道を降りていけばベーロコット商店街。トオルに必要なものは……1番街から5番街の辺りかな」


「分かった。クロディスは?」


「私は向こう側の転送ゲートでアイラメディスに行く。話の続きは家に帰ってからね」


「うん、また後で」


 クロディスは反対側の転送ゲートホールに行くと、くるりと振り返って手を振った。トオルは振り返り、クロディスが光に包まれて転送されるのを見送ると、大階段を降り、閑散とした広いロビーを通って行政棟の出入り口を出た。


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