30.唯一の家族 ③
扉がひとりでに開き、案内聖霊がひらひらと中へ入っていった。トオルはその後をついていく。主棟宿のロビーを通り過ぎ、宿の中が明らかになる。思いのほか開放感のあるラウンジに図書館があり、壁際を見ると、旧式の炉棚に謎の結晶石が燃えている。天井からは盆栽が7つ吊り下げられ、底が黄色く光っている。光の周囲を紋章の輪が回転していた。壁や炉棚には、かつてここに住んでいたらしい、先輩たちの砂絵が記念に飾られている。
ラウンジを通過すると、左が食堂、右の廊下を進むと、接待室、娯楽室、自習室と続いている。
二階には50人ほどが収容できる食堂があった。トオルは一階から食堂をちらりと覗いてから、小屋へ向かう廊下を進んでいく。左右の扉に番号が付いており、ようやく寝室までやってきたようだ。
「一階につき、左右三軒ずつか。516はまだ先だな」
トオルは宿の裏口を出た。
下には5階層の階段式庭園と小屋が並び、円形の踊り場から遠くを眺めると、湖が見える。左右に伸びるアーチに沿って、小屋はいずれも湖に向いて建っている。庭の下を見ると、一番下の階、中央に、巨木が聳えていた。その幹には大きな青い宝石が取り込まれている。周辺には洋風の望楼が5つ点在しており、そのドーム屋根には苔が生え、蔦が絡まっている。そして、5メートルほどの高さの中空には紋章が光り、そこからしとしとと流れ落ちる流水が巨木を抱くように流れ、一周回ってから湖へと落ちていく。
トオルは機元妖精に従って3階下まで降りる。518、517に続いて、516の小屋に到着した。
「ここに……いるのか」
聖霊はトオルの前でくるくると円を描くように舞い始めた。トオルが無言で頷くと、役目を終えた聖霊はするりと離れていった。
小屋に着くまでの間、寮の外観、内装、空間、庭の美しさに次々と目を奪われていたトオルは、ついに兄妹に会うのだということを急に実感した。手をどこに置けばいいのかもわからないほどの緊張が、トオルを一気に襲う。
先ほどから通り過ぎてきた小屋には、庭に置かれた動物の人形や、屋根の下を鮮やかな糸で縫い上げた円形紋様、羽を結った飾り、水晶石の付いた扉、配達箱など、そこに住む人の趣味が分かるようなものがどこかにあった。だが、この516室には一切の装飾はなく、庭には自然と草花が生え、木々に菌類が生えそろっている。
「ぼくの兄妹は、一体……」
二階建てのその小屋を、トオルはしばらく見上げていた。石板の小道を通ってささやかな庭を過ぎ、少しずつ小屋に近付いていく。すると、ふわりと優しい匂いが漂ってきた。この匂い、どこかで嗅いだことがある、とトオルは思う。やけに落ち着く匂いだ。
さらに近付いていくと、女性の歌声がわずかに漏れ聞こえてきて、その時トオルは、雷に打たれたような衝撃を受けた。その歌声が思い出させる記憶、掘り起こされる人物の思い出が、トオルの不安を一気に和らげ、興奮と、強い困惑が湧き出してくる。
「嘘だ……彼女が、ぼくの、兄妹なんて……。どうして……」
トオルは玄関まで来ると、性急にその扉を開いた。
扉は開いていた。
トオルはそのまま足を踏み入れる。リビングを覗き込むと、天井から吊り下げたカウチに、少女が座っていた。少女は一人、空白に向かって歌っている。
整った小顔、鋭く長い耳、薄青の肌、太ももまで伸びた青い髪。豊かな膨らみは絹の白いドレスを纏って、石膏像のようだった。細い腰は、紺地に金の細工が施された太めのベルトで引き締められている。
歌詞のない唄を歌いながら、少女の体は温かな源気に包まれ、光っている。微風が彼女にささやきかけるように、もしくは遊ぶように、髪を揺らした。日差しを浴びて、少女はまるで神や、森の聖霊に寵愛された歌姫のように見える。
物音に気付いた少女は、歌いながらくるりとトオルを振り向いた。
その仕草の愛くるしさ、その美貌、美声に、トオルは声も出なかった。
長かった。トオルはこみあげてくるものを抑えきれず、感極まったように、少女に声をかける。
「君なのか、クロディス……」
少女は歌うのを止めて、笑顔の花を咲かせる。
「歓迎の祝福はいかが?」
「わ、悪くないけど……」
クロディスは微笑んだまま、ブランコカウチから飛び降り、身軽そうにトオルの前に着地した。二人の距離はもう、15センチしかない。
「ぼーっとしてるね、長旅で疲れたでしょ?こっちで休んでて。お茶とお菓子を取ってくるから」
あまりにいつも通りのクロディスに、トオルはまだ戸惑っていたが、せき止めていたダムが決壊したように、感情が流れ出していた。
「クロディス、ねえ、君が兄妹って、どういうこと?」
クロディスは笑顔を浮かべ、トオルの感情も甘えもすべて包みこむように、彼の両手をそっと握った。
「トオル、意識が乱れてるよ。ね、ここに座って。時間はたっぷりあるから、質問はゆっくり聞かせて。何でも答えるよ」
「分かった……」
トオルはクロディスに促されるまま、リビングのソファーに腰掛けた。
あの、クロディスが、目の前にいた。
それだけではない。地球界では温度のないゼリーのように、強く握ると溶けてしまったあのクロディスに、温度があり、柔らかい手に触れることすらできる。トオルはクロディスに握られた両手をじっと見つめた。
それから、室内を見回す。テーブルの水晶石がオレンジ石に光り、室内は暖かい。全て、現実だ。
クロディスは急須と湯呑み、お菓子をローテーブルに置き、トオルの隣に腰掛けた。優しい匂いに包まれ、トオルの心にあった焦りが消失していく。
「最初の質問だね。私たちは兄妹だよ、しかも、双子」
トオルは目を丸くして、自分とは似ても似つかない、美しいその兄妹を見る。
「双子?証拠はあるのか?」
「トオル、そんな硬い表現で。あのね、私たちピュトリティス族は、みんな家族なの。でも、地球は遥か遠い星だから、双子でなければ私の意識でトオルと繋がれない」
「それなら、これまで君が地球界にいるぼくと会うときはいつも、ぼくの意識と繋がっていただけで、脳が見せた幻だったのか?だから、ぼく以外の誰も、君を見ることができなかった?」
「幻なんて、寂しい言い方だね。心が繋がっている証だよ?」
「どうしてもっと早く言わなかった?」
「だって、赤ちゃんの時じゃトオルが理解できないし。成長してからも、兄妹がいるって分かったら、地球界での生活ができなくなるでしょ?」
トオルは黙って、クロディスの言ったことをしばらく考えてみた。
もしもクロディスがもっと早く、自分が兄妹であると伝えてきたなら。きっとトオルは今のトオルではいられなかった。
異世界に妹がいるとなれば、トオルの地球界に対する認識は異常なものになっただろうし、その状態で地球界に住み続けるのは困難だったかもしれない。見えない兄妹がいるなどと口走れば、どんな扱いを受けてきたかわからない。
クロディスは地球界にいるトオルを思いやり、今まで黙っていたのだ。
それだけではない。
彼女は幼い頃から何度も危険を知らせ、命を救ってくれた。叔父に叱られた時には話を聞いてくれた。クロディスが与えてくれた全てを思い出し、トオルは少しずつ、心が温まっていくのを感じる。
「君が、ずっとぼくを守ってくれたのか……」
「トオル、これからもずっと一緒にいるよ。何があっても離れない、兄妹だもの」
お茶をすすりながら、トオルはもう一つの湯呑みを見る。
「君はお茶を飲まないの?」
「私は見るだけで良いよ。この体は石で一時的に生成したダミーだから、食べると勿体ないの」
「ダミー?この君は、本当のクロディスじゃないってこと?」
クロディスはわずかに首を振る。
「えっとね、私たちピュトリティス族は、は、心光体という、実体を持たない種族なの。でも、セントフェラストアカデミーに留学に来ている間は、実体のある皆と交流するために、特別に体を作っているの。だからこの体は、服と同じだね」
「君はエネルギー体ってことか?」
クロディスの言葉を信じて合理的に考えてみたが、やはり違和感がある。
「待てよ、君に実体がないなら、どうして双子のぼくには実体があるんだ?」
「トオルはお母さんの実体から生まれたからね」
「お母さんは、ぼくだけを実体のある状態で産んだのか?何のために?」
深く踏み込んだ質問を聞くと、クロディスの笑顔が初めて曇った。
「これ以上の話をすると、お父さんの罪と関わるけど、聞きたい……?」
トオルはクロディスの表情が変わったことに気付く。
「そうか……お父さんの話なら、やめておこう」
気にならないわけではなかった。自分の種族欄を見た時、不明と書かれていたことを思い出す。だけど、クロディスを傷つけたくない気持ちも強かった。
「お母さんは元気?会えるなら、会ってみたいな」
話題を変えたつもりだったが、クロディスは突然、トオルを抱きしめた。
いきなりのことで、トオルは反応できない。クロディスの頭が、トオルの肩に寄せられる。クロディスは、トオルを傷つけないように、慎重に、か細い声で告げた。
「お母さんはもう…いないの……」
トオルはその言葉に驚愕した。自分の心臓が半分、もがれたような気がした。
「いないって……亡くなったのか?」
クロディスはしばらく無言になった。肩に寄せられた頭がわずかに動く。その仕草から、トオルにはクロディスの味わった悲しみが伝わった。
だが、クロディスはすぐに気持ちを切り替えたように、左手をトオルの背に回し、右手で頭をなでる。そして、優しく囁いた。
「でもね、お母さんの知識や一部の記憶は、私が受け継いだから……。お母さんの代わりに、トオルを守るからね」
トオルは気付いた。クロディスは、二人の父がどんな罪を犯したのか知っていること。そして、母の死をずっと一人で抱えていたこと。クロディスの深い孤独を知り、トオルは彼女を強く抱きしめた。
「ずっとそれを隠して、一人で背負ってたなんて、ずるいよ、クロディス……。寂しかっただろ……」
トオルの感情が激しく揺さぶられているのに気付いても、クロディスは同じ調子で頭を撫でている。
「トオルとずっと一緒にいたから、寂しくないよ。トオルの気持ちが聞けて、嬉しい。優しいところはお母さん譲りだね」
数分間、二人は抱擁し、それからようやく体を離した。顔を見合わせ、トオルはさらに質問を続ける。
「そういえば、クロディスは姉と妹、どっちなんだ?」
「私たちは同時刻に生まれたから、どっちでも良いけど、トオルは妹の方が欲しい?」
「ずいぶん逞しい妹だな」
「時々、お姉さんのようにお説教するかもね?」
「それは、お手柔らかに……」
学園でも先輩になるクロディスだ。きっと自分よりも強いのだろう。こんなにも美人で可愛らしい妹に、勝ちたいとも思わない。喧嘩になるよりも前に、トオルは素直に負けを認めるだろう。
ずっと問いかけを聞くばかりだったクロディスが、初めてトオルに訊ねる。
「ねえ、トオル。寮はここでいい?」
「クロディスは、他にルームメイトはいないのか?ぼくは、ロボットの研究を続けたいんだけど」
「いるけど、彼女はほとんど『ホミ』のところに泊まっているから。『章紋術』の勉強のために、たまに遊びに来るくらいだよ。だからほとんど一人暮らしだね。空いている部屋もあるし、ロボット作りの研究をしても構わないよ」
ここに来るまでは、話を聞くだけで別の寮を探すつもりだったトオルだが、兄妹の正体が分かった今、トオルの考えは変わっていた。わざわざクロディスがここを仮決定させていたのは、自分と一緒に住みたかったからだ。長い間、世話ばかりかけてきた双子の妹をこれ以上一人でいさせるのは残酷だと思ったトオルに、もう迷いはなかった。
「分かった。それなら、これからもよろしくね」
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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