24.入学式の日 ①
目を覚ますと、真っ白な天井が見えた。
久しぶりにぐっすりと眠れたトオルは、リフレッシュしたような気分に浸る。
耳に聞こえてくるのは、自分と呼吸音と脈音、そして空気が流れる冷房の音。清潔感のある部屋で寝かされているトオルが少し首を横に傾けると、対面の壁際のソファーで、タマ坊とコダマが休眠モードになっているのが見えた。そばにある机には、空っぽの花瓶とヘッドホン。トオルの持ってきた荷物は床に置かれている。首を反対側に向けると、六角形を半分にしたような窓がはめ込まれ、外の景色が見えた。
薄く温かい布団をかけられていることに気付き、こんな快適さはいつぶりだろうと、トオルは少し背を起こしながら思う。起き上がると、自分が白銀色の、横倒しになったカプセルに寝かされていることを知った。金属製のそのカプセルの表面には、羽根の生えた蛹の紋様が刻んであった。広く開けられたカプセルの窓を見ながら、どうやらこれは、この世界の病床なのだろうと、トオルは思った。
カプセルの中には、有機形を描く色々な構造や溝穴があり、部屋の宙空には、トオル自身の生体情報が投影されている。心脈、血圧、脳波、源気、遺伝子図などの他に、トオルにも解読できない情報がたくさん書かれている。それらを見るだけで、ここが機能の充実した医療機関であることは間違いなかった。
「ぼくは生きているのか……?」
トオルは不意に外を見て、目を丸くした。青空には二輪の月が輪郭を浮かべており、都市が広がっている。その建物の外観、道路、橋など、すべてがまるで森のような設計になっていた。線路で輪状に区分けされた街は、摘んだ花をまとめた花束のように美しい。それぞれの建物は不思議な形をしていて、木の皮のような外観だ。道路は脈打つ木の根。低い建物は石や灌木といったように、森の要素をそれぞれが形作り、その中に、本物の石や樹木、水が自然な形で息づいている。中心都市とは思われないような開放感だ。
上空を飛んでいるのは機械だけではない。二輪車に乗って、人が空を走っていた。その少し下の空では、生身の人間が魚のように群れを成して空を飛んでいる。
「ここが、イトマーラ……?」
その時、扉がノックされた。
「入るよ」と、見知らぬ女性の声が聞こえる。
「どうぞ」と、トオルは少し警戒しながら答えた。
自動ドアが開き、女性が一人で入ってきた。
女性は銀髪混じりの水色髪をミディアムショートに切りそろえている。白衣に銀色のベルトを締め、その上に白いマントを羽織っていた。
「あの、あなたは……?」
「君の主治ヒーラーの、ヘスティネです」
「ヒーラー……医師ということですか?」
トオルはヘスティネの心脈に耳を澄ませる。とても静かなその脈音は、清らかな湯が流れつづける温泉のように、人を落ち着かせるものだった。悪い人ではないと、トオルは少しだけ安堵する。
ヘスティネはまず、情報ボードに目を通し、画面を触ってトオルの身体データをチェックした。
「たしか、君の世界ではそう呼ばれるんだね」
「……そうか、病院に運ばれたのか……」
次第に頭が覚醒し始めると、疑問は次々に湧きあがってきた。
「あの、ぼく、どれくらい寝ていたんですか?テロリストは?ここがセントフェラストなら、始業式はもう終わりましたか?」
焦るような質問に対し、ヘスティネは顔をトオルの方に向け、微笑みを浮かべた。
「ばっちり回復したね。起きてすぐで質問攻めできるくらいなんだから」
「……答えては、もらえないんですか?」
「焦らないでいいよ、始業式までは、まだまだ時間があるから」
説明会の時に聞いた話では、始業式はイトマーラに到着した翌日、午前中に行われるということだった。澄んだ空と地平線に昇る日差しから、トオルはこの世界に来て、少なくとも一つ目の夜が過ぎたのだろうと推測する。
「君が言ったテロリストっていうのは、異端犯罪者のことだね?」
「はい、飛空船が襲われて……。たしか、彼らはデストロンドって言っていました」
「ごめんね、私はその事件には詳しくないけど、君が乗った飛空船は、無事にイトマーラに着いたよ。異端犯罪者たちはたぶん、学園が派遣した『尖兵』たちに退治されたんじゃないかな」
意識が朦朧とするなか、圧倒的なスキルで戦闘員たちを排除した三人の男女を思い出す。
「あの時の三人が『尖兵』か……?」
思案顔のトオルを見て、ヘスティネが眉をひそめた。
「そんなことより、君は自分の体のことを考えないと」
心脈のリズムが変わった、とトオルは気付く。落ち着いているが、少し心配するような感情が表れている。そうは分かっていても、トオルは質問をやめられなかった。
「ぼくは……異端犯罪者たちとの交戦中に倒れたんですよね?」
「そうだよ。原因は急激な源気の消耗。君は体質的に、源の回復が追いついていない。今回のことは、生命維持のための源気が足りなった場合の自然な反応だね」
ヘスティネはちらりとソファーの上で眠るタマ坊とコダマを見た。
「状況は君の友人から聞いたけど、無理するにもほどがあるよ。あの子たち、君が作ったの?」
「はい、自分の源を動力にしたロボットです」
「まるでクレヤンドールだね」
「クレヤンドール?」
「子どもたちが源気の使い方を覚えるためのおもちゃだよ。クレヤンドールは君のロボットより、もっと機能がシンプルだけどね。アトランスの社会では、何もかもに源気が必要だから。源気がないと、電気一つ点けられない」
「子どものための知育玩具ってことか……。でも、ぼくの体は一体どうして……」
「きっとテストが不十分だったんだね」
なぜ体にエラーが起きてしまったのか、プログラミング技術には自信があったトオルはそればかりが気になっていた。
「テストは何度もやって、一度も体調不良になんてならなかった。戦闘中に体調を崩すなんて……」
安全性を確かめる試運転のテストは十二分に行ったつもりだった。本番でミスが見つかるなど、本当ならあってはならない。トオルは真剣だった。
「君、実戦のテストはしてないんでしょ?本当の戦いっていうのは、シミュレーションとは比べられないほどエネルギーを消耗するよ。あの子たちを作る時、源の消費量の制限はした?使用者の身体情報を共有するとか、安全面は考えた?」
トオルは自分の落ち度を正直に認めた。
「……たしかに、シミュレーションソフトでしかテストしてない……」
「それに、君はまだアトランス界に来たばかりで、ここの環境に慣れてない。体が疲れやすいから、源気の流失も早いはず。正直言うとね、初心者なのに源気を分散させて三箇所で使い分けるなんて、あり得ない技だよ。スキルの質の低下より、命に関わるリスクがある」
「あの時、グラムナイフが使えなくなったのはそういうことか……」
「それに、今の君は戦士に向いていないかも」
「え……」
「今回は飛空船の医療室ですぐに源の輸送ができた。でもそれは、運が良かっただけ。戦中は源気の補充手段が限られていて、対して君は身体の回復に優れていない。しかも、源は二つ以上の特性を持ってる」
「そう、ですか……」とトオルは少し切ない気持ちになった。
元より運動は苦手で、無駄な争いは控えたいと思っているトオルだ。自分から進んで誰かと戦うのは向いていないと分かってはいる。だが、アトランス界のヒーラーからはっきりと戦いに不向きであると言われると、気落ちした。あなたは希少な血液型だから、激しい運動は避けなさいと診断されたような気分だった。
「どうせぼくは、体育のテストでも再テストの常連ですから。ぼくなんて、戦士には向いてないですよね」
小さく溜め息をつくトオルにヘスティネが「諦めるのはまだ早いよ」と言った。
「でも、さっきあなたが……」
「いや、さっきのはあくまで、私がこれまでに見てきたデータを基に導いた推論に過ぎない。ま、君が単独で戦うのはおすすめしないけどね。でも、君はまだ若いし、これからセントフェラストで学べば、きっとまだ伸びると思う。君が将来、戦士になれるかどうかは、君次第だよ」
「だけど、ぼくはもうじき18になるし……」
「それは地球界の時間概念で生きた記録データに過ぎないでしょ。君の遺伝子を読ませてもらったけど、全然若いよ。生まれて18ヶ月の赤ん坊ってところだね」
時空が歪んだような気がして、トオルは驚きの色を顔に滲ませた。
「えっ……?ぼくはまだ、この世界では赤ん坊なのか?」
「そんなに驚かなくても。君はミーラティス人の遺伝子を受け継いでいるから、普通の人間よりも長生きなんだよ」
トオルはさらに衝撃を受けた。幼い頃から耳の形や優れた聴力のために、周囲にいる人間たちと自分は何かが違うと思ってきたが、その理由は分からなかった。機関のエージェントたちに相談しても黙秘を貫かれてきた。
写真で見た父の耳には特徴はない。だとすると、母親がミーラティス人という可能性はある。だが、もしも母親がミーラティス人なら、なぜ自分は叔父の元で育ったのか。どうしようもなく心がざわついて仕方がなかった。トオルは目を伏せる。
「ぼくは、どうして地球界で育ったんだろう……」
「良い質問ね。それは私も知りたいわ。そうそう、君にあるファイルを確認してもらいたいの」
ヘスティネは情報ボードを操作し、一つのファイルをトオルの目の前に投影した。
「これは?」
「入籍登記手続きの最終チェックが済んでいなかったの。内容が確認できたら、指でサインしておいて」
「入籍手続きには健康検査が必要なんですよね?事前説明会で聞きました」
「ええ、寝ている間に細胞のサンプル採取や各種検査を済ませておいたから。すでに診断結果の出たものはファイルに反映させているから、よく読んで、わからないことは聞いてね」
トオルは文字を日本語に切り替えると、名前の欄から順に、指差し確認を行っていった。見終わったところから上へ上へと浮かんでいき、一定の高さまで来ると消えていく。トオルが理解できないところは、ヘスティネが一つずつ答えていった。
トオルの指が、種族の欄で止まった。
「ここ、タヌーモンス人の欄にはアース、ヒイズルとあるけど、ミーラティス人の方はどうして不明なんですか?」
「君の遺伝子には、ミーラティス人の複数種族の特徴があった。それに一部は判定不能だったり、不明なところがあって、明確な鑑定が出せなかったんだよ。だから、暫定不明と書かせてもらった」
「そうですか」と、トオルは息を吐いた。
ずっと謎のままだった自分の出自は、アトランス界に来てもなお、明らかにはならなかった。人種さえ分かれば母親を探し出せるかもしれなかったが、その一縷の望みさえも断ち切られてしまった。なぜ自分はミーラティス人の世界で育てられなかったのか、母からも、誰からも愛されない自分というものを、トオルは強く感じていた。
「ヘスティネさんにとって、ミーラティス人とはどんな種族ですか?」
ヘスティネは「そうね……」と言って少し思案すると、明るい声音で応えた。
「彼らは、個人よりも、集団、全体の利益を常に意識している種族だね。他人や社会のために、献身的である人が多い、気高い人種」
「アトランス界にはそんな高潔な種族があるんですか」
「ええ、学習能力にも優れていて、理想も高い人々だよ。だから、自己主張が大事な人にとっては理解できないし、手の届かない、高嶺の花みたいな種族かもしれない」
「……ミーラティス人には、異種族とのハーフの子どもは育てないっていう掟みたいなものは?」
「どうだろう?私は聞いたことがないけど。……君が地球界で育ったのは、親の個人的な事情じゃないかな」
憶測で考えるのは無駄だとトオルは思った。入籍登記書の続きを確認し、身体検査のリポートへと進んでいく。身長、体重、血液型、通常の源気量、源紋パターンなどが表示された。
そして、今回の治療に際し、全身の臓器の状態や細胞の異常、炎症の箇所などが細かく記されている。トオルが昏睡している間に、多くの治療処置が施されていた。
「細胞を採取するのはなぜなんですか?」
「アトランス界に来た君たちは、これからどんな怪我や病に遭うとも限らない。負傷、疾病に備えて、何かあった時に君たち自身の細胞を培養したドナーがあれば安心だからね。ま、保険みたいなものだよ」
納得したトオルは、学籍欄へと目を移す。
学籍所属:ペルシオン七組。
「所属ももう決まっているのか」
トオルはさらに視線を移していく。空白箇所があり、目が留まる。
「住所が書かれてない。新入生は到着日に寮の要望を出して、その当日に決まると聞いていましたが、ぼくはどうしたらいいんですか?」
「寮については始業式のあと、中央学園区の庶務部を訪ねてみて。きっとすぐにわかるはず。他には?」
ファイルの最後まで読み終わり、トオルは首を横に振り、指でサインを書く。
「はい、お疲れ様。これで入籍登記はおしまいね。もし他に用がないなら、もう退院していいわよ」
「え、もう?」
あれだけ重篤な症状だったのだから、数日は入院させられるものと思っていた。
「ええ、治療も検査も終わり。睡眠時間も十分確保したから、身体の機能には問題ないよ。それとも、まだ違和感がある?精神的なことやちょっとした悩み、不安でも、何でも聞いてちょうだい」
そう言われてみると、身体はすっかりリフレッシュした感覚がある。肩も頭も軽かった。体調面は何も問題ないだろう。
「大丈夫です。あの、今回の治療や診断の費用は?」
「費用?」
「普通、病院に行けばお金を払うと思うんですけど」
「ああ、なるほどね。フェイトアンファルス連邦では、すべての医療行為は無償なのよ。その代わり、自分のできることで他人や社会に貢献してちょうだい」
「えっ……そ、そうですか」
「あら、もう次の患者さんを見に行かないと。じゃ、特に問題がないなら、いつ退院してもいいからね」
「分かりました。治療していただいて、ありがとうございました」
「お構いなく、ヒーラーの責務だから。では、お元気でね」
ヘスティネは踵を返し、振り向いて右手を振ると、病室から出ていった。
トオルはカプセルから降りると、ヘッドホンを着け、タマ坊とコダマをスーツケースに入れる。そして、病室を後にした。




