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「何言ってるの?」

 私はあえてとぼけた表情をした。素でもなく、ぶりっ子でもない演技。大丈夫、演技には自信がある。何も不自然さはないはず。

「……何でもない」

 そう言って、ニースはサーディーの部屋の扉を軽く叩いた。

 バレているのかな? それとも適当に言ったのか? いや、でもニースは馬鹿じゃない。もしかしたらまだ私を疑っている段階なのかもしれない。とりあえず、気を付けないと。

「どちら様?」

「私、と主」

「リル? 今、開けるわ」

 扉が開いたのと同時にサーディーは目を見開いた。

「え、主って……、ニース様?」

「うん」

「公爵令嬢の主が騎士?」

「色々あってね」

「そりゃ色々ないとこんな状況ありえないわよ」

「とりあえず、今は逃げることだけ考えて。ニースと私が助けるから」

「……分かった」

 何故か弱々しい声だった。

 今になって怖くなっているのかな。まぁ、確かに家を捨てて男と逃げるって相当な覚悟だからね。

「本当にいいの?」

「私は決心しているんだけど……。その、七年前の約束だから……、彼がもし来なかったらどうしようなんて考えてしまって」

 つまり、彼と会っていない七年間の壁を乗り越えられるかってことに怯えているってこと? 確かにどんな風に変わっているのか分からないし。もしかしたら彼にはもう家族がいるかもしれない。お互いを知らない七年間という時間がサーディーに恐怖を与えている。

「そんなやつだったのか?」

 ニースが低い声でサーディーにそう聞いた。

「え?」

「そいつは約束を破るような軽薄な奴だったのか?」

「違うわ。バーナードは誠実な男性よ!」

 バーナードって言うんだ。どこかで聞いたような……、バーナード=ショーだ! アイルランドの劇作家で社会主義者のバーナード。1884年にウェブ夫妻らと知識人を中心とした改良主義的な社会主義団体、フェビアン協会を結成した。彼の功績は凄い。やっぱり歴史に名を遺す人達というのは格が違う。私は彼の『有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする』っていう言葉がとても好きだ。

「じゃあ、そいつを信じてやれ」

 ニースは穏やかな口調でそう言った。

「それともやっぱり安全な道を歩みたいか?」

「いいえ。私は彼と生きることを選ぶわ。朧げな口約束を信じ続けた馬鹿な女になるわ」

 サーディーの言った言葉は自信に満ち溢れていてキラキラと輝いていた。

「いいね、私そういう馬鹿な女好きだよ」

「私も、貴女のこと嫌いじゃないわよ。……それにしても貴女達二人とも物好きね。わざわざ危険なことに首突っ込むなんて」

「私は主に従っただけだよ」

 サーディーはちらりとニースの方を見る。

「……ニース様がねぇ。私には誰かの為に何か少しづつ前例を作っていく一環のように見えるわ」

 疑うような目をニースに向けながらそう言った。ニースは何も言わない。

 つまり、ニースは何か改革を起こすつもりってこと? 何のために? ……あ、ソフィア? ソフィアと結婚出来るようになるために? けど、ニースってウィクリフに忠実だったはず。よく分からない。いつか私に話してくれるかな。

「リル、人気のない場所に馬を、いや、馬車を用意しといてくれるか?」

 話を逸らすようにニースがそう言った。

「なんで馬じゃないの?」

「女二人を俺の馬には乗せれないだろう」

「私、馬一人で乗るよ」

「は!?」

 わお、ニースでもそんな表情するんだ。

「落ちたらどうするんだ? ……全員に迷惑がかかるんだ」

 一瞬、私のことを心配してくれているのかと思った。まぁ、ニースだ。効率の方を優先的に考えるだろう。私が落ちたら一瞬で計画は失敗に終わる。けど、もし落ちなくて無事に行けたらそっちの方が効率は断然良い。

 ……前世で月に一度乗馬していたんだよな。それを応用すれば馬に乗って速く走れる気がする。

「大丈夫。絶対に落ちない」

 私はニースの目を見据えながらそう言った。

「はぁ、分かった。何を言っても無駄そうだし。馬で行こう」

「折れてくれて有難う御座います、主」

 私は右手を左胸に添えながら軽くお辞儀した。そして、そのまま部屋を出ようとしたらサーディーに呼び止められた。

「ねぇ、リル! 本当にどうして貴女がここまでしてくれるの? 貴女を見ている限り、主に従っているだけとは思えないのよ」

 私は扉の前で彼女の方へ振り向いた。サーディーは真剣な瞳を私に向けている。

「真の愛の兆候は男においては臆病さに女においては大胆さにある」

「何、それ?」

 かの有名なレ・ミゼラブルを書いたフランスのロマン主義詩人のヴィクトル・ユーゴーの言葉をお借りいたしました。これを言ってもこの世界じゃ通じないだろうから口には出さないけど。

「純粋にサーディーの大胆さでこの世界は変わるのか気になっただけかな」

「それだけ? 私のしていることって貴女達にとても迷惑のかかることでしょ? 私の恋は祝福されるものじゃない。それなのにどうして助けてくれるの? 私は貴女に何も返せないのよ? ……ただの慈悲でここまでしてくれるとは思わないのよ」

 なんだかんだ言って彼女が一番色々なことを気にしていたのか。あんまり顔にも言葉にも出さなかったけど、物凄く悩み苦しんだはずだ。サーディーは気の強い身勝手なお嬢様なんかじゃない。希望が見えたら希望に怯え、無償で手を差し伸べてくれる人を疑う、それぐらい彼女は沢山の感情の渦の中で溺れている。どうしたら信用してもらえるのだろう。彼女はあまりにも複雑に考え過ぎなんだ。

「もっと単純に考えたら?」

「単純に考えたら、私の恋愛は間違っているのかもしれないって思ったのよ。多大なる迷惑を色々な方にかけてしまうわ。たたが私の恋一つで」

「安心しなよ。恋一つで世界は滅びないって。そんなにやわじゃないよ、約60垓トンのこの地球という惑星は」

 サーディーもニースも瞠目させて固まっている。まさかこんな返答が戻ってくるなんて想像もしていなかったのだろう。

 私は一呼吸置いて、もう一度口を開いた。

「この窮屈な世界の中で一つくらい立場を考えずに自由に恋愛を育むのもいいんじゃない?」

 私は軽く笑いながらそう言って、そのまま部屋を出た。


「貴方の従者って面白いわね」

「俺の従者は期待以上のことをするので評判なんだ」 

 サーディーはニースの方を見た。彼の表情にサーディーは目を疑い、思わず見惚れた。

 ニースは誰も見たことのないような柔らかい顔で微笑んでいたのだ。

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