第九十七話:早朝の特別授業と、男たちのけじめ
1.未明の鬼教官と、絶叫の中庭
夜が明ける前の薄暗い静寂が、ブルグンド公爵邸を包み込んでいた。
まだ星が瞬く午前四時半。男子生徒たちの個室の鍵が、カチャリと静かに、しかし冷酷な音を立てて開いた。
「──おい、起きろ。朝のホームルームだ」
低く、有無を言わせない圧を持った声。
ベッドで泥のように眠っていた水上陽斗と不破真司が、跳ね起きるように目を開けた。そこには、トレーニングウェアを身にまとい、眼光をギラつかせた三好翔が立っていた。
「せ、先生……? まだ四時半……」
「つべこべ言わずに服を着ろ。カイルとジーモもすでに起こした。五分後に庭園の広場へ集合だ」
「え、えぇぇ……!?」
理由も分からぬまま、半ばパニック状態で服を着替えた四人の男子──水上、不破、カイル、ジーモ。
彼らが連れて行かれたのは、女子生徒たちの個室の窓から一望できる、広々とした中央庭園だった。
「先生、いくらなんでも早すぎないか……? 朝食までまだかなり時間があるぞ」
カイルが眠そうな目を擦りながら尋ねたが、翔の表情は氷のように冷たかった。
「黙ってこれを飲め」
翔が差し出したのは、冷えたミネラルウォーターと、日本の最新のアミノ酸・マルトデキストリン(粉末糖質)を濃縮した特製ドリンクだった。
四人が言われるがままに一気に飲み干すと、翔は間髪入れずに、重厚な金属のプレートと負荷ベストを放り投げた。
「全員、その加重ベストを着ろ。今日のメニューは、これまでお前たちが経験したことのない『超高負荷限界突破訓練』だ」
「な……ッ! 先生、このベスト、前のやつの三倍くらい重いぞ!?」
不破真司がベストを抱えた瞬間、ズシリとした異常な質量に膝をガクつかせた。それは、駿が地球側で最新の重金属ウェイトを注文し、『つながる手』経由で翔へ送ってきた特別仕様のトレーニングギアだった。
さらに翔は、ポケットの中でスマートフォンを操作し、心の中で駿へと呼びかけた。
(──駿、聞こえるか。例の『回復魔法投資』を頼む)
『──おう、兄貴。バッチリ待機しとるで。お前の左手経由で、最新の「連続自動回復」のシステムスクロールをシステム課金で同期したわ。金貨二十万枚の投資や。死なん程度に、そのアホ男子どもをたっぷりとしごいてやりぃ!』
翔の身体から、不可視の回復魔法のオーラが静かに溢れ出し、四人の身体へと纏い付いた。
「よし……トレーニング開始だ。自重スクワット、ウェイト付きで五百回! 終わったら、そのまま庭園の周回ダッシュ五十周! 休むことは許さん!」
「ご、五百回ぃぃぃっ!?」
「嫌だと言ったら、いまここで神殺しの聖剣で正座させるぞ」
翔のグレーの瞳に射すくめられ、四人は悲鳴を上げる余裕すら奪われた。
「ひっ……ふんっ……! ぐぅぅぅッ!」
「う、重い……! 膝が、膝の骨が砕ける……!」
加重ベストの圧倒的な重圧が、四人の下半身を容赦なく押し潰す。筋肉が悲鳴を上げ、乳酸が限界まで溜まり、息が途切れそうになる。
だが──不思議なことに、倒れそうになった次の瞬間、身体の奥底からじんわりと温かい魔力が湧き上がり、破裂しそうだった筋肉の疲労が一瞬で麻痺・回復していくのだ。
(な、なんだこれ……!? 身体が死ぬほど重くて限界なのに、倒れることすら許されずに動き続けさせられる……!)
カイルは額から大量の汗を噴き出させながら、翔のただならぬ、鬼のような雰囲気に戦慄していた。
(先生……本気で怒ってる……!? でも、俺たち、一体何をしたってんだよ……!?)
理由も分からず、ただ翔が放つ圧倒的な威圧感と「怒りのオーラ」に唸り声を上げながら、四人は日の出直前まで、まさに地獄の筋肉痛と回復の無限ループに耐え続けるのだった。
2.朝日の正座と、突きつけられた失態
東の空が白み始め、鳥たちのさえずりが公爵邸に響き始める頃。
朝食の時間が刻一刻と近づいてきた。
「──そこまでだ。防具と加重ベストを外せ」
翔の低い声が響いた。
全身汗だくで、ゾンビのように息を荒くしていた四人は、ガタガタと震える手でベストを脱ぎ捨てた。重圧から解放された瞬間に崩れ落ちそうになったが、翔の一言がそれを阻んだ。
「──そこに、正座しろ。石畳の上にだ」
「せ、正座……!?」
冷たい石畳の上に、一直線に並んで膝を突く四人の男たち。
翔は彼らの前に立ち、腕を組んで、上から見下ろすように冷徹な眼差しを向けた。
「……さて。なぜお前たちが、早朝からこのような目に遭っているか、分かる者はいるか?」
静寂が降り積もる。
四人はお互いに顔を見合わせ、首をかしげた。
「あの……先生。俺たちのフォームが崩れてたから、指導の一環として……」
水上が恐る恐る口を開いたが、翔の鋭い一瞥に一瞬で言葉を詰まらせた。
「違う。……誰も理解していないようだな。では、昨日のおさらいだ」
翔は、諭すような、しかし突き放すようなトーンで言葉を重ねた。
「宴が始まる前、晩餐への移動中。俺が何を言ったか。そして、シェリーが何と言ったか……覚えているか?」
その言葉が出た瞬間、水上陽斗と不破真司の表情が一変した。
「ッ……!」
水上は、ハッとしたように目を見開き、それからガックリと肩を落として項垂れた。隣の不破真司も、顔を真っ青にして「あ……」と声を漏らし、自分の膝を見つめて沈黙した。
「……水上と不破は、気がついたようだな」
翔は満足そうに小さく頷くと、今度はまだ状況を飲み込めていないカイルとジーモへ視線を移した。
「カイル、ジーモ。……昨日の貴族の女の子たちは、可愛かったか?」
「え……? いや、綺麗だったけど……それが何か──」
カイルが言いかけた瞬間、ジーモもまた「おう、肉も奢ってくれて、愛想のいいお嬢さんたちだったぞ?」と答えた。
翔は、二人を殺気すら込めた目で睨みつけた。
「二人とも、まだ分からんのか。……お前たち、自分の胸に手を当ててよく思い出してみろ」
「で、でも先生! 俺たち、婚姻とか、次に会う約束とか、そんな言質を取られるようなことは一切言ってないぞ!? 『前向きに検討します』なんて言葉も使ってない!」
カイルが必死に弁明しようと身を乗り出した。
「そうだ。言質は取られていない『つもり』だろうな」
翔は鼻で笑った。
「だが、シェリーとミリーナから聞いたぞ。……カイル、お前、公爵令嬢から『我が家の夜会にいらして』と言われた時、何と答えた?」
「え……? 『予、予定が合えば、参加する』って……」
「それが命取りなんだよ!」
翔の声が厳しく響いた。
「相手は王都の上位貴族だ! 『予定が合えば行く』という頷きは、奴らにとっては『招待を受諾した』と同義なんだよ! 明日には『カイル様が我が家の夜会へお越しになる』と噂を流され、囲い込まれる口実にされる! ジーモ、お前もだ! 『その際はご一緒に参加しましょう』と乗せられて、ニヤニヤしながら酒を飲んでいただろ!」
「「ッ……!!!!」」
カイルとジーモは、頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受け、呆然と固まった。
昨夜の記憶が、アルコールの交じったフワフワとした興奮とともに蘇ってくる。お世辞と綺麗なおべっかに鼻の下を伸ばし、まんまと相手のペースに巻き込まれていた自分の醜態。
「そういうことだ。お前たちが浮かれている間、女性陣がなぜあえて貴族の子息たちと距離を置き、警戒していたか……お前たちも見ていただろ」
四人は完全に言葉を失い、冷たい石畳の上で深く深く頭を下げた。自分の浅はかさと、先生の教えを一切守れていなかった不甲斐なさに、恥ずかしさで顔が火を吹くように熱かった。




