第九十六話:鼻の下を伸ばす男たちと、燃え上がる女性陣の不満
晩餐会の会場は、一転して落ち着いた最高級のダイニングだった。
長いテーブルの付き出しには宰相バルテルが座り、俺はその隣でグラスを傾けていた。
「いやはや、三好先生。これほどの偉業、ブルグンド公爵もさぞやお喜びでしょう。ときに、今後のダンジョン管理権の運用についてですがね……我が王室としても、ぜひ協力体制を構築したいと考えておりまして」
「ええ、それについては我が領の専門チームと慎重に協議を重ねておりまして。軽率な口約束は公爵閣下に叱責されてしまいますから」
俺はニコリと微笑みながら、宰相が繰り出してくる政治的な揺さぶりをサラリとかわす。表向きは和やかな談笑だが、一言のミスも許されない頭脳戦の連続に、胃が痛くなりそうだ。
──しかし、俺が裏で必死に腹の探り合いをしているその横で、恐ろしい事態が進行していた。
(……ちょっと、何なのあいつら……!?)
テーブルの少し離れた席で、橘ほのかは手に持ったフォークをぎゅっと握り締め、隣の柊鏡花と顔を見合わせていた。
視線の先には、同じテーブルに座る男性陣──水上陽斗、不破真司、そしてカイルとジーモの姿があった。
彼らの周りには、いつの間にか「英雄たちとお近づきになりたい」と群がってきた、王都でも選りすぐりの絢爛豪華なドレスを着た高位貴族の令嬢たちが侍っていた。
「まあ、水上様! その若さで天空ダンジョンを踏破されるなんて、なんてお強いのかしら……! ぜひ、我が家の夜会にもいらしてくださいな」
「へへ、いやぁ……まあ、俺の『迅雷の刃』にかかれば、どんな魔物も一発ですからね! 夜会ですか? 予定が合えば、ぜひ!」
水上陽斗は、露出度の高いドレスを着た美女に豊満な胸元を押し付けられ、デレデレと鼻の下を伸ばしてヘラヘラと笑っていた。
さらに不破真司も、
「不破様のその厚い胸板……とっても素敵ですわ。触らせていただいても?」
「えっ、あ、はい! どうぞ! 筋トレは毎日やってますから!」
などと言われ、顔を真っ赤にしながらデレデレと腕の筋肉を強調させている。
そして、先ほどシェリーに固く釘を刺されたはずのカイルやジーモまでもが、
「カイル様、凛々しいお姿……私の父も、カイル様の実力を大層評価しておりますの」
「そ、そうですか? いやー、カイル=クロイツェルの名も、王都に響き渡ってきたかな!」
と、すっかり上機嫌で令嬢たちのお世辞を真に受け、鼻の下を伸ばして酒をあおっていた。
(……先生があんなに『ハニートラップに気をつけろ!』って、念を押しのに……!)
ほのかの額に青筋が浮かぶ。
(陽斗のやつ……私というものがありながら、ちょっと胸の大きいお姉さんに甘い声出されただけで、あんなにデレデレして……! 帰ったら絶対に許さないんだから!)
隣の鏡花も、冷ややかな、殺気すら込めた目で水上と不破を睨みつけていた。
(真司のバカ……。触らせて? じゃないわよ! なんで嬉しそうに腕曲げてんのよ! 不純な羽虫を払うのが私の役目なのに、本人が鼻の下伸ばしてちゃ世話ないじゃない!)
不満を爆発させているのは、高校生女子組だけではなかった。
「……あの馬鹿者ども」
シェリーは、優雅にお茶を飲むフリをしながら、カイルのデレデレした醜態を冷酷な目で見つめていた。
(あれほど私が『政略結婚の道具にされる』と教えてあげたのに、綺麗なおべっかを使われた途端にこれ……? カイル、あなたの頭味噌は本当に鳥並みなの……?)
胸の奥でドロドロとした激しい嫉妬と怒りが渦巻く。自分がカイルのためにどれほど心を砕いているかを知りもせず、他の女の甘言に乗っている姿が、たまらなく腹立たしかった。
ミリーナもまた、ジーモが令嬢に肉を勧められて「おう、美味いな!」とデレデレしているのを見て、ぷくっと頬を膨らませて嫉妬の炎を燃やしていた。
(ジーモ……私が淹れたお茶より、あの女の肉の方がいいの……? もう、ジーモのバカ……!)
四人の女性陣の視線が合わさる。
言葉はなくとも、彼女たちの間には完璧な「連帯感」と「激怒」が共有されていた。
(逃げてちゃ駄目。そして、あのバケモノみたいな鈍感でスケベな男たちを、このまま野放しにしておいたら、王都の女キツネたちに一瞬で骨までしゃぶられる……!)
(今夜、ちゃんと引導を渡さなきゃ。……そして、私たちの味方になってくれる『唯一の大人』に、相談しなきゃ!)
鏡花がほのかに目配せし、シェリーとミリーナも小さく頷いた。
5.密やかな決意と、お説教の要請
長い長い夜の晩餐会が、ようやく終劇を迎えた。
腹に探り合いを抱えた貴族たちが満足そうに、あるいは不満げに退散していき、静けさが公爵邸を取り戻していく。
「ふぅ……疲れた……」
俺はネクタイを緩め、誰もいなくなった回廊の手すりに寄りかかって深呼吸をした。
宰相バルテルとの政治的討撃戦、そして国王の狸芝居への対処。今日一日で、ダンジョンボスを倒すよりも体力を消費した気がする。
そこへ、軽やかな足音が近づいてきた。
振り返ると、そこには橘ほのか、柊鏡花、そしてどこか緊張した、けれど強い決意を瞳に宿したシェリーとミリーナの姿があった。
「お疲れ様、先生。すごく大変そうだったね」
ほのかが柔らかく微笑みながら、俺の顔を覗き込んでくる。だが、その笑みの奥には、どこか冷ややかな怒りの残滓が見え隠れしていた。
「ああ、橘か。みんなもお疲れ様。ハニートラップには引っかからなかったか? 男子生徒たちも、ちゃんと無事だったか?」
俺が尋ねると、鏡花が「ふん」と鼻を鳴らした。
「ハニートラップに引っかからなかったか、ですって? 先生、甘いですよ。……あいつら、引っかかるどころか、自分から喜んで鼻の下を伸ばして飛び込んでましたからね」
「え……?」
意外な報告に、俺は首をかしげた。
「……先生」
ほのかが真剣な表情で一歩前に出た。その瞳には、今までに見たこともないほど深くて強い熱──そして、少々の怒りが宿っていた。
「このあと……晩餐が終わって、先生のお部屋の準備が整ったら、私たちの部屋に来てくれないかな」
「……え? 俺の部屋じゃなくて、女子の部屋に?」
思わぬ誘いに、俺は思わず固まった。
深夜に女子の部屋へ呼ばれるなんて、教師として非常にマズいのではないか。
「大切な相談があるの。……あいつら(陽斗、真司、カイル、ジーモ)のこと。これからのこと……ううん、私たちの『これからの関係』も含めて」
ほのかが上目遣いに、けれど逃げ場を塞ぐような真剣さで囁く。後ろに控えるシェリーやミリーナも、嫌がるどころか真剣な面持ちで小さく頷いていた。
(……大切な相談? 陽斗たちのことと……これからの関係……!?)
俺の頭の中で、良からぬ想像が駆け巡る。
(まさか……天空ダンジョンを乗り越えて、彼女たちが俺に『本当の気持ち』を告白しに来るとか……? いやいや、俺は教師だぞ!? 落ち着け三好翔!)
「……わかった。後で伺うよ」
「ありがとう。……時間を、頂戴ね。先生」
そう言い残し、彼女たちはドレスの裾を揺らしながら、足早に廊下の奥へと消えていった。
静まり返った廊下に、俺一人だけが取り残される。
「……大切な話、か」
俺は冷や汗を拭いながら、自分の胸の鼓動が急激に速くなっているのを感じていた。
王国の貴族たちとの腹の探り合いなど比ではない、真の『重大な局面(修羅場?)』が、すぐそこまで迫っていることを予感しながら──。
6.深夜の女子部屋と、意外な「大クレーム」
深夜零時。
静まり返ったブルグンド公爵邸の一角、女子生徒たちの個室。
トントン、と控えめにノックをし、ドアを開けた俺は、思わず息をのんだ。
部屋の中には、ほのか、鏡花、シェリー、ミリーナの四人が円卓を囲んで座っていた。全員、すでにドレスから可愛らしいパジャマや部屋着に着替えており、そこには華やかな宴の雰囲気はなく、独特の「秘密会議」のような緊張感が漂っていた。
「失礼するよ……。みんな、夜遅くにどうしたんだ?」
俺が恐る恐る部屋に入り、用意された椅子に腰掛ける。
(落ち着け……。もし告白されたらどう断る? いや、教師としての立場を守りつつ、彼女たちの傷つかない言い方を模索しなければ……!)
一人で勝手に緊張し、胃を痛めそうになっていた俺に対し、ほのかが切り出した。
「先生。単刀直入に言うね」
「あ、ああ……何かな、橘」
ほのかは深呼吸をし、それからテーブルをバンッ! と叩いた。
「──あいつら(陽斗、真司、カイル、ジーモ)を、今すぐ正座させて、思いっきりお説教してください!!」
「……は?」
想定していた「先生、私……」という甘い告白とは180度違う叫びに、俺はポカンと口を開けた。
「橘……? お説教って、一体何のことだ?」
「何のことだ、じゃないですよ先生!」
続いて鏡花が身を乗り出し、プンプンと怒りを露わにして叫んだ。
「先生、パーティーが始まる前に『ハニートラップに気をつけろ、絶対に甘い顔をするな』って、あんなに厳しく言いましたよね!?」
「あ、ああ。確かに言ったが……」
「あいつら、全然聞いてませんでしたからね! 水上なんて、胸の大きいお姉さんに『迅雷の刃が〜』とか言って自慢してデレデレしてましたし! 真司なんて『筋肉触らせてください』って言われて、嬉しそうに腕曲げてましたからね! 馬鹿じゃないの!?」
「カイルとジーモもよ!」
シェリーが腕を組み、冷酷極まりない表情で吐き捨てた。
「私が回廊で『政略結婚の道具にされる』とあんなに厳しく教えたのに、晩餐会では綺麗なおべっかを使われた途端に鼻の下を伸ばして、高級な肉と酒を勧められてニヤニヤしていましたわ! あいつらの頭の中身は、どうなっておりますの!? 呆れ果てて開いた口が塞がりませんわ!」
「ジーモなんて、私の淹れたお茶より、あの女の人がくれたお肉の方が美味しそうにしてたんだから……!」
ミリーナも涙目になりながら、抱きしめたクッションをぽかぽかと叩いている。
「「「「ねえ、先生!!」」」」
四人の女性陣の視線が、同時に俺へと突き刺さった。
「「あいつら、一回痛い目見せないと反省しません!! 先生の口から、雷を落としてやってください!!」」
「……」
俺は、開いた口が塞がらなかった。
(な、なるほど……。女性陣が俺を呼び出した『本当の理由』は……告白でも政略交渉でもなく、自分の思い人(陽斗、真司、カイル、ジーモ)が晩餐会で他の女に鼻の下を伸ばしていたことに対する、嫉妬と怒りの大クレームだったのか……!)
自分の早とちりと勘違いが恥ずかしくなり、顔が熱くなるのを感じながら、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「……なるほどな。よく分かった。あいつらがそんな醜態を晒していたとは……教師として、見過ごすわけにはいかないな」
俺がそう言うと、四人の表情がぱっと明るくなった。
「本当!? 先生、お説教してくれる!?」
「ああ。明日の朝一番の特訓で、みっちり『ハニートラップ対策』と『誠実さ』についての特別授業(地獄の筋トレ)をしてやるよ。ついでに全員正座だ」
「やったー! さすが翔先生!」
鏡花とほのかが嬉しそうに手を叩く。シェリーも「ふふ、明日が楽しみですわね」と不敵な笑みを浮かべ、ミリーナも満足そうに頷いていた。
「よし、それじゃあ用件も済んだことだし、俺は部屋に戻るよ。みんなも夜遅いから、早く寝るんだぞ」
俺が席を立ち、ドアへ向かおうとした時──。
「……あ、先生」
ほのかが、そっと俺の袖を引いた。
振り返ると、ほのかは先ほどまでの怒り顔から一転して、ほんのりと頬を赤らめ、上目遣いに俺を見つめていた。
「あいつらのお説教も大事だけど……。先生が、いつも私たちを守ってくれてること、本当に感謝してるからね」
「……私もです、先生」
鏡花も少し照れくさそうに視線を逸らしながら呟いた。「他の男たちが鼻の下伸ばしてバカばっかりやってるから……先生の格好よさが、余計に引き立っちゃうんだから。あんまり無理しないでね」
シェリーとミリーナも、深く一礼して俺を見送ってくれた。
「……ああ。ありがとう、みんな。おやすみ」
俺は温かい胸の深鳴りを感じながら、今度こそ女子部屋を後にした。
静まり返った廊下を歩きながら、俺は一人、苦笑いを漏らす。
(やれやれ……異世界の政略も大変だが、年思頃の少女たちの嫉妬と愛のエネルギーも、なかなか恐ろしいものだな)
明日朝の、男子生徒たちへの「地獄の特別授業」に思いを馳せながら、俺は自分の部屋へと戻っていくのだった。




