第九十五話:渦巻く欲望と、英雄たちの晩餐
1.栄誉の陰に潜む罠
「前人未踏の『天空ダンジョン』攻略……まさか真実であったとはな」
王都に佇むブルグンド公爵邸の絢爛豪華な大広間は、狂乱とも言える熱気と眩いばかりの光に包まれていた。
かつて誰も足を踏み入れることすら叶わなかった最高峰のダンジョンを、見事に踏破した一団。その中心にいるのは、異世界から召喚された英語教師・三好翔と、その教え子である四人の高校生──水上陽斗、不破真司、橘ほのか、柊鏡花。そして彼らと共に死線を乗り越えたカイル、ジーモ、シェリー、ミリーナたち元代表候補の四人──合わせて「九人」の英雄たちだった。
九人が持ち帰った戦利品は、あまりにも膨大かつ規格外だった。
古代の知恵が詰まった失われた秘宝、未知の魔道具、そして何よりも……王国中のあらゆる権力者が喉から手が出るほど欲してやまない『天空ダンジョン管理権』。これらすべてが、いまや翔たちの手の中にあった。
それゆえに、王都の貴族たちが黙っているはずがなかった。
「……先生、あの人たち、さっきから不自然なくらいチラチラこっちを見てきますけど……」
橘ほのかが、煌びやかなドレスの裾を緊張でぎゅっと握り締めながら、俺──三好翔の背中に隠れるようにして囁いた。その隣では柊鏡花も、普段の活発さをどこか潜め、警戒心を露わにした瞳で周囲を鋭く見回している。
見渡せば、会場を埋め尽くす高位貴族たちの目は、まさに獲物を狙う肉食獣のそれだった。
彼らは自身の息子や、着飾らせた若く美しい娘たちをこれみよがしに連れ回り、機を見て俺たち九人の元へ送り込もうと伺っている。狙いは明白だ。国内最高峰の利権と栄誉を手にした俺たち九人の誰かに自分の一族を食い込ませ、婚姻や愛妾という形で縁付け、莫大な利権のおこぼれに与かろうとしているのだ。
「いいか、みんな。パーティーが始まる前に、もう一度厳重に釘をさしておく」
俺は手に持ったグラスの縁を指で撫でながら、周囲に悟られないよう低い声で生徒たちとカイルたちを集めた。
「ここにいる連中の笑みは、すべて計算づくだ。綺麗なお姉さんや格好いいお兄さんが甘い言葉で近づいてきても、絶対に一人でついていくなよ。ハニートラップの線が極めて高い。『前向きに検討します』なんて曖昧な頷き一つでも、奴らは言質を取ったと主張してくるぞ」
(特に貴族社会の『言葉の綾』は恐ろしいからな……。下手に社交辞令で『素敵な方ですね』なんて言ったら、翌朝には『婚姻の約束を交わした』と新聞や社交界で噂を流されかねない)
「げ、言質……! ホントに映画みたいなドロドロした政略の世界なんだな……」
不破真司がゴクリと唾を呑み込み、少し遠くから熱い視線を送ってくる厚化粧の公爵令嬢から慌てて目をそらした。
「特にカイルたち、お前たちもだぞ。この国の貴族の権謀術数を甘く見るな。少しでも不審に思ったり、話が怪しくなったら、すぐに俺か水上のところへ来い」
「わ、分かってるよ……! 俺だって子供じゃないんだ、そんな手に乗るかよ」
カイルは強がりを言ってみせたが、その表情には隠しきれない緊張が滲んでいた。隣のジーモも、ゴツい首筋を掻きながら居心地悪そうに身を縮めている。
主催者である王国の宰相バルテルが壇上に立ち、高らかに開会の辞を述べる。
「これより、天空ダンジョンを制覇せし偉大なる英傑たちを称える宴を始める!」
盛大な拍手とともに、祝いの宴が幕を開けた。
案の定、数々の高位貴族が怒涛の勢いで押し寄せ、社交辞令という名の探り合いが始まる。俺は『絶対障壁』と知識、そして教師としての観察眼をフル稼働させ、相手の巧みな誘いをすり抜けながら、生徒たちに悪い虫がつかないよう神経をすり減らしていた。
2.国王の称賛と、揺れる心
パーティーが中盤に差し掛かったその時、会場の空気があからさまに緊張で張り詰めた。
「──アルトリウス国王陛下、ご入場!」
重厚な歓声と演奏が響き渡る中、豪奢な王服をまとった壮年の男が姿を現した。この国のトップ、アルトリウス国王だ。
だが、その表情は祝いの場にそぐわぬほど固く、どこか苦虫を潰したような苦々しさが滲み出ていた。
当然だろう。かつて俺たちを「ハズレ」と見下して処分しようとし、挙句の果てに弟・駿の『魂の契約書』によって手足を縛られた男なのだ。本音を言えば俺たちの顔など二度と見たくないはずだ。
しかし、王としての面目と、前人未踏の偉業を成し遂げた民衆へのアピールのため、嫌々ながらここへ足を運ばざるを得なかったのだ。
「……三好翔。そして、勇猛なる者たちよ」
国王は壇上に立つと、極めて重々しく、朗々とした声を張り上げた。
「貴公らが成し遂げた『天空ダンジョン攻略』は、我が国の歴史において前人未踏の快挙であり、永遠に語り継がれるべき至高の誉れである! 王国を代表し、貴公らの英知と武勇を大いに称賛しよう!」
大喝采が会場を包み込む。
国王は次々と賞賛の言葉を重ね、俺たちを「王国の宝」「誇り高き英雄」と持ち上げた。
その圧倒的な威厳と、雲の上の存在からの惜しみない称賛に、カイルたちの表情が変わった。
(す、すげえ……。あの国王陛下が、俺たちを直々に褒めてくれてる……! 俺たち、本当に国一番の英雄になったんだ……!)
カイルの瞳がポカポカと興興に揺れていた。ミリーナやジーモもまた、幼い頃から叩き込まれてきた「王家への畏怖」と、そこから得られた絶対的な承認に、胸を熱くし、すっかり毒気を抜かれたようになびきかけていた。
(……やれやれ。完璧に『呑まれ』かけているな)
俺は冷ややかな目で国王の狸芝居を見つめていた。表向きは英雄扱いだが、あの目の奥にあるのは、利権を奪われた憎悪と、どうにかして俺たちを再び自分のコントロール下に置こうとする執念だけだ。
3.回廊での釘さし
祝いの一次会が終わり、場所を変えて行われる次なる豪華な晩餐会へと移動する際のことだった。
絢爛たる装飾が施された長い回廊を歩きながら、カイルはまだフワフワとした足取りで興奮冷めやらぬ様子で呟いた。
「なあ……凄かったな。国王陛下、俺たちのことを本気で認めてくれてたんだ。これなら、王家に直接協力するのも悪くないんじゃないか……? 国の代表として、もっと地位ももらえるかもしれないし……」
その瞬間、前を歩いていた水上陽斗がピタリと足を止め、くるりと振り返ってカイルの前に立ち塞がった。
「おい、カイル。頭冷やせ」
水上の声は、先ほどまでのパーティーの浮かれた空気とは対照的に、氷のように冷たかった。
「……あ? なんだよ水上、せっかくの目出たい席でそんな冷めた顔すんなよ! 国王陛下があそこまで折れてくれたんだぞ?」
「お前、さっきの言葉を真に受けて国王について行ったらどうなるか、本気で分かってないのか? 闘技大会が終わった後、俺たち9人……いや、お前たち4人は真っ先に『離れ離れ』にされるぞ」
「はぁ!? なんでだよ! 国王陛下はあんなに俺たちを絶賛して──」
カイルが食ってかかろうとした、その時だった。
「……水上の言う通りよ、カイル」
静かな、だがハッキリとした声が差し挟まれた。それまで黙って歩いていたシェリーだった。
彼女の瞳からは、先ほどまでの熱っぽさが綺麗さっぱり消え去り、極めて冷静な、悲壮感すら漂う光が宿っていた。
「シェリー……? お前まで何言散らして──」
「いい加減にしなさい、カイル!」
シェリーはカイルの胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
「国王陛下の狙いが分からないの!? 私たちが王家の軍門に下れば、次に待っているのは『上位貴族との政略結婚』よ! あなたも、私も、ミリーナもジーモも……それぞれ別の高位貴族の家に引き裂かれて嫁がされ、あるいは婿に取られて、天空ダンジョンの利権と『天啓の石』の力を絞り取るための道具にされるの!」
「ッ……! 婚、姻……!?」
カイルが息をのんだ。シェリーの言葉は、熱に浮かされていた彼の脳味噌を叩き割るのに十分すぎるほど強烈だった。
「先生と水上たちが私たちを守ってくれているから、あいつらは手出しができないの。国王の甘い言葉に乗るということは、先生の手を振り払って、自分から蜘蛛の巣に飛び込むのと同じよ……!」
「……っそく、そういうことかよ……! 俺はまた、都合のいい夢を見てたのか……!」
カイルは自分の浅はかさに顔を真っ赤にし、悔しそうに拳を握りしめた。ジーモとミリーナも青ざめた顔で小さく頷いている。
「分かればいい。先生に余計な気苦労をかけるなよ」
水上はそう言い捨てると、再び前方へと歩き出した。




