第九十四話:証明(デモンストレーション)と、ハックされた『つながる手』
「……東方の異邦人よ。我が一族が五百年、高野の神々に捧げし『霊木の滴』……その眼に刻むがよい」
耳元のインカムから流れる蓮の指示通り、源三郎が地鳴りのような重厚な声で言い放ち、神代杉の幹に突き立てられた竹筒から、とろりとした透明な樹液をガラス容器へと受け止めた。
「ミスター・ドナルド。これが『HASEL』の究極の原液──神代杉が特定の地脈と日照、そして極めて稀な菌類との共生によってのみ産出する『未観測のテルペン代謝物(細胞修復液)』です」
蓮が、タブレット上で複雑きわまる分子構造式と、捏造された超精密な生化学データをドナルドと研究者たちに提示した。
「この成分は、空気中の酸素や金属に触れると一瞬で分子結合が崩壊(変性)します。そのため、当社が開発した『特定の触媒抽出プロセス(特殊な温度加熱と鉱石ろ過)』を経なければ、ただの樹液と変わりません。……今から、あなたの目の前で抽出のデモンストレーションを行います」
ヴァルケン社の筆頭研究者が、持参した最新のポータブル質量分析計をセットし、眉をひそめて樹液をスキャンした。
「副社長……現時点での検出成分は、水、サポニン、そして一般的なテルペン類のみです。これではただの杉の樹液だ……!」
「フッ、だから言ったでしょう。『正しい手順』を踏まなければ、奇跡は起きないと」
駿はポケットの中で、右手のスマホ(つながる手)の画面を密かに操作した。
(──兄貴、聞こえるか。今から偽の抽出パフォーマンスを始める。合図を出したら、例の『極小ポーション原液』を『つながる手』経由でガラス容器の中に0.1ミリリットルだけ転送(注入)しろ!)
『──了解した、駿。こちらの準備は万全だ。いつでもいけるぞ!』
異世界の公爵邸から、翔の確固たる声が脳内念話で返ってくる。
「では、抽出を始めます」
源三郎が、恭しくガラス容器に特定の鉱石パウダー(ただの麦飯石の粉)を投入し、小型の魔導加熱器(見た目は最新の科学加熱装置)で78.5度に加熱していく。
「──今だ、三・二・一……発動!」
駿が心の中で叫んだ瞬間。
『つながる手』の不可視の空間転送が作動。ガラス容器の内部へ、異世界の「高位回復ポーション原液」が、微量かつ完全に分子レベルで融合するように注入された!
シュワァァァァッ……!!
容器の中の濁った樹液が、一瞬にして幻想的な「琥珀色」へと変化し、周囲に甘く清涼な、神秘的なアロマが立ち込めた。
「な……なんだと!?」
研究者が目を見張り、慌てて分析計のセンサーを琥珀色の液体へと浸した。
次の瞬間、分析計の液晶モニターが狂ったように数値を弾き出し、警告音が鳴り響いた。
『──警告:既知のデータベースに存在しない有機高分子化合物を検出。細胞活性化率……計測不能(3000%オーバー)!』
「そんな馬鹿な!!」研究者が叫んだ。「分子結合が組み換わり、未知の構造体へ変化した!? 既存の生化学の常識を完全に破壊している!」
さらに、駿は不敵に笑い、ドナルドへと歩み寄った。
「ミスター・ドナルド。失礼ですが……あなたのその右手首の痛々しい火傷痕、昔の事故の代物ですね? ……一滴、試してみますか?」
ドナルドはゴクリと息を呑み、震える手で右手首の袖を捲り上げた。そこには、過去のヘリ事故で負った、皮膚が引きつれた痛々しい第三度火傷の痕が広がっていた。
源三郎が、スポイトで琥珀色の液体を落とす。
ぽとり。
一滴の液体がドナルドの皮膚に触れた、次の瞬間──。
シュゥゥゥゥ……ッ。
ドナルドの火傷痕が、まるでビデオを逆再生するように、一瞬でピンク色の瑞々しい新芽のような皮膚へと巻き戻り、わずか数秒で、痕跡一つない滑らかな肌へと完治したのだ!
「Oh……Oh my GOD……!!!!」
ドナルドは己の右手首を貪るように見つめ、全身を激しい歓喜と恐怖の震えでガタガタと戦栗させた。
「あ、あり得ない……! 現代医学の全ての奇跡を超えている! これだ……これこそが、我がヴァルケン社が、いや、人類が求め続けた『不老長寿の聖杯』だ!!」
ドナルドの瞳から冷徹なビジネスマンの光が消え、完全に「神の奇跡」に魅了された狂信者の光へと変わっていた。
「ミスター・ミヨシ! 二〇〇億ドルだね!? 飲む! 本社の全役員をクビにしてでも、今すぐ承認させる! この樹齢五百年の神木、抽出特許、山林の所有権、そしてHASELの全てを我が社に売却してくれ!!」
ドナルドは駿の手を握りしめ、必死の形相で叫んだ。
4.三兆円の金塊と、冷酷なる置き土産
翌日。
ヴァルケン社本社の緊急最高経営会議は、ドナルドが送信した「奇跡の動画」と「未観測化合物の生のデータ」、そしてドナルド自身の完治した手首の映像により、紛糾の末に全会一致で買収案を承認した。
そして、大阪港の極秘保税倉庫。
厳重な武装警備員たちが見守る中、アメリカ軍の大型輸送機で運ばれてきた巨額の対価──【二〇〇億ドル(約三兆円)相当の純金インゴット(金の延べ棒)】が、重厚な木箱数千箱に詰められて整然と並べられていた。
黄金の光輝が、倉庫の天井を眩しく照らし出している。
「……検収、完了しましたわ、先輩。純度99.99%、正真正銘の金塊です」
蓮がタブレットで重量とシリアルナンバーをチェックし、駿に囁いた。
契約書へのサインが完了し、ドナルドは晴れやかな、勝利を確信した笑みで駿と握手を交わした。
「ミスター・ミヨシ。素晴らしい取引だった。君たちはこの二〇〇億ドルの金塊で一生豊かな隠居生活を送るといい。……これより、あの紀伊山地の神木とHASELの事業は、我がヴァルケン社が地球上の全ての富と引き換えに独占させてもらう!」
「ええ、ミスター・ドナルド。末永く……『神木』を可愛がってあげてください」
駿は不敵で、どこか哀れみすら含んだ笑みを浮かべ、握手を交わした。
──数時間後。
買収を終えたヴァルケン社の最先端研究チームが、紀伊山地の神代杉の元へと大挙して押し寄せ、歓喜の声とともに樹液の抽出作業を開始した。
だが──。
「ふ、副社長……!? おかしいです! 規定の触媒を入れ、78.5度で加熱しているのに……琥珀色に変化しません!」
「何だと!? データの再現手順通りにやっているんだろうな!?」
「はい! 何度やっても、ただの濁った杉の樹液のままです! 抽出された成分を分析しても……水とサポニンしか検出されません!!」
「な……何だとぉぉぉッ!? ミヨシ! 三好駿を今すぐ連れて来い! 騙されたんだ!!」
ドナルドが狂ったように叫び、携帯電話を握りしめたが──時すでに遅し。
『ミヨシ・ホールディングス』の事務所はすでに完全に引き払われ、サロンの会員や定期購入者には巨額の返金とともに「事業終了」の通知が届き、駿たちの連絡先は完全に消滅していた。
彼らが三兆円もの金塊と引き換えに手に入れたのは……『三好翔が異世界から「つながる手」でポーションを送らなければ、一生ただの樹液しか出さない、ただの樹齢五百年の杉の木』でしかなかったのだ。
同時刻。タワーマンションの地下、極秘の超巨大金庫室。
山のように積み上げられた三兆円分の純金インゴットの山を前に、駿は仕立ての良いジャケットを羽織り、缶ビールを片手に不敵に笑っていた。
(──兄貴、聞こえるか。ヴァルケン社からの三兆円(200億ドル)の金塊回収、100%完了したで)
『──……呆れたよ、駿。本当にただの樹齢五百年の木をハッタリに使って、アメリカの巨大製薬会社から三兆円もぶんどっちまうなんてな……』
インカムの向こうで、異世界の翔が心底呆れ果てた、しかし誇らしげな息を吐き出した。
『だが、これで地球側でのお前たちの安全、そしてHASELの標的問題は完全にクリアされたな』
「おうよ! ヴァルケン社は今頃、ただの杉の木を相手に血眼になって研究費用をドブに捨てとるわ。……これで俺たちの資金力は、地球でも異世界でも完全なる『無限(神域)』に達した」
駿は、金の延べ棒の山に腰掛け、冷えたビールをゴクリと煽った。
「さあ、兄貴。地球側の障害は全部俺が叩き潰したぞ。……次は、王都の二大闘技大会で、お前とガキどもが世界を震撼させる番や!」
二人の双子が仕掛ける圧倒的な「金とハッタリと力」の覇道は、異世界の闘技大会という大舞台へ向けて、さらなる爆発的な加速を始めるのだった。




