第九十一話:ドバイのスイートと、張り詰めた王族の威圧
アラブ首長国連邦、ドバイ。
ペルシャ湾を一望する、超一等地の最高級ホテル『ブルジュ・アル・アラブ』の最上階インペリアル・スイート。
豪華絢爛なアラベスク模様の絨毯が敷き詰められた広大な室内に、重苦しい静寂が満ちていた。
ソファに深々と腰掛けているのは、アラブ首長国連邦の重鎮であり、石油利権と国家投資ファンドを牛耳る『アル・シャハニア殿下』。その傍らには、自動小銃を隠し持った体格の良い無数の私兵、そしてアラブの伝統的な白い衣装をまとった側近たちが、凄まじい威圧感を放って控えている。
「……父上の主治医たるイギリスの権威たちも、匙を投げた。進行性胃ガン、ならびに昨年のヘリ事故による右足膝下の完全な欠損。残された命は、あと一ヶ月もない」
殿下の長男である若き王子が、鋭い眼光で部屋の入口を睨みつけた。
「それを……日本から現れた正体不明の『天狗』と名乗る民間療法家が、たった一回の施術で完璧に治すと豪語したのだぞ? 騙されていたと分かれば、あの男をこのペルシャ湾の鮫の餌にしてくれる」
ギシ……と静かに重厚な扉が開いた。
室内へ足を踏み入れたのは、二人組みの漆黒のスーツを着たSP。黒いサングラスの奥の瞳は一切の感情を欠いており、王族の私兵たちが放つ凄まじい殺気を、完全に無視して左右に散った。
そして、その中央から、静々と歩み出てきた異形の存在──。
深紅の高級絹に金糸で鳳凰が刺繍された、神々しいまでの鞍馬天狗の装束。
顔には鼻が高く伸びた真っ赤な天狗面。背中には巨大な烏の黒羽をあしらった羽団扇。そして、カツン、カツンと静かな音を立てる一本歯の下駄。
認識阻害魔法と外見変更の二重の障壁により、王族の私兵たちが構える最新の赤外線カメラやバイオセンサーのモニターには、ただ「ノイズに包まれた巨大な密林の影」としか表示されなかった。
「……何者だ」
王子が不気味さに息を呑み、腰の拳銃に手をかけた。
天狗面の下から響いたのは、地鳴りのように重く、どこか古典的な響きを持った、威厳に満ちた声だった。
「──フハハハハ! 控えよ、人間ども。我が名は鞍馬の化身、鞍馬山より降り立ちし大天狗なり。……老いたる王の命の灯火、消え去らんとするを不憫に思い、千里の風に乗りて馳せ参じた」
「無礼者! 殿下の前で面を脱げ!」
私兵のリーダーが叫び、自動小銃の銃口を天狗の胸元へと向けた。
だが、天狗──俺は、羽団扇を優しく一振りした。
──ドォン!!!
『絶対障壁』の物理力学の干渉。
私兵が構えていたアサルトライフルの一群が一瞬でぐにゃりと真ん中から折り曲がり、銃身がひしゃげて床へと転がった。
「な……なにっ!?」
「手も触れずに、鋼鉄の銃を折り曲げただと……!?」
室内に悲鳴のような衝撃が走る。私兵たちがパニックになりかけるが、病床の殿下が、枯れ木のような手を挙げてそれを制した。
「……鎮まれ。……お買い得なペテン師ではないことだけは、理解できた。……天狗殿とお呼びすべきか。真に、私のこの病と、失われた脚を治せるというのか?」
俺は一本歯の下駄を鳴らし、静かに殿下のベッドの傍らへと歩み寄った。
「いかにも。……我が携えしは、異界の神々が留めし『生命の雫(上級治癒ポーション)』。如何なる病苦も、喪われし肉体も、ゼロの理へと還す奇跡の水なり。……ただし、ただで授けるつもりはない」
俺は黒い手袋を嵌めた手をすっと差し出した。
「報酬は、金貨にあらず。……そなたらが蔵に持ちし『純金』の地金、重量にして一トン。それのみを我が神域への供物として頂戴する。異論はあるか?」
一トン──現代日本のレートにして、数十億円規模の金塊。
だが、死を目前にした石油王にとって、そんな金塊など、自らの命に比べればただの黄色い石コロに過ぎなかった。
「……よい。治してみせよ。金塊など、いくらでも与える」
4.黄金の奇跡と、不敵なる契約
「──では、とくと見るが良い。神の理の巡りを」
俺は桐箱から、淡い金色の光を放つクリスタルボトルを取り出した。
ボトルの栓を抜いた瞬間、スイートルーム全体に、まるで深山幽谷の朝露と、芳醇なハーブが混ざり合ったような、気品あふれる香りがモウモウと立ち込めた。香りを吸い込んだだけで、周囲の私兵たちの疲労が一瞬で吹き飛ぶほどの濃密な魔法エネルギー。
俺は上級ポーションの液体を、スポイトで数滴すくい上げ、殿下の枯れ果てた口元、そして右足の切断痕が生々しく残る太ももの傷口へと落とした。
──すうぅぅぅっ。
淡い黄金の光が、殿下の全身を包み込んだ。
「あ……が、あぁぁぁっ……!?」
殿下が驚愕の悲鳴を上げた。
だが、それは苦しみの悲鳴ではなかった。体内を駆け巡る、溢れんばかりの生命の熱量に対する歓喜の声だった。
モニターに表示されていた殿下の心拍数と血圧のグラフが、急激に安定した正常値へと跳ね上がる。
さらに、私兵たちが絶句するなか、信じられない光景が目の前で繰り広げられた。
殿下の痩せこけていた頬に、一瞬で健康な赤みが戻り、皮膚の深いシワがみるみるうちに伸びていく。
そして、右足の切断部──。
太ももの傷口から、淡い光の粒子とともに、皮膚、筋肉、血管、そして骨組織が、まるで植物の芽が育つかのような超高速で伸長し始め、わずか三十秒の間に、指先まで完璧に揃った『真新しい右足』が、完全に再構築されたのだ。
「あ……足が……! 父上の足が戻った……!!」
王子が膝を突き、我が目を疑うように叫んだ。
殿下は、自らの新しい右足の指を動かし、ベッドから力強く立ち上がった。
数年間、車椅子と病床に縛り付けられていた老王が、一切の支えなしに、自らの足でしっかりと豪華な絨毯を踏みしめたのだ。
「おお……おおおっ! 身体が軽い! 痛みが、ガンが完全に消えている! 私は……私は生まれ変わったのだ!!」
殿下は自らの両手を見つめ、涙を流して天を仰いだ。
室内の私兵たち、そして医師たちが、一斉に天狗である俺に向かってひれ伏し、神を拝むように額を絨毯へと擦り付けた。
「……約束は果たしたぞ、人間よ」
俺は羽団扇をパッと開き、顔を隠しながら威厳ある声を響かせた。
「供物の金塊一トンは、今夜、ホテルの地下金庫にて我が使者が受け取る。……今後、同様の奇跡を望む者がおらば、道修町の『HASEL』を通じて我に連絡を越す良い。……では、さらばだ!」
──バチバチバチィッ!!
俺は全身から『蒼雷』の光を小さく爆発させ、認識阻害魔法の出力を最大にして、煙のようにその場から消え去った(実際は絶対障壁の不可視化で静かにドアから退出しただけである)。
あとに残されたのは、奇跡の歓喜に震える王族と、伝説として刻まれた『鞍馬の大天狗』の恐怖と神威だけであった。
5.現物資産の積み上がりと、兄への報告
深夜。ドバイの国際空港のプライベートジェットターミナル。
貸し切りのチャーター機の貨物室には、アル・シャハニア殿下から即座に支払われた、純度99.99%の金塊一トンが、ずっしりと重厚な木箱に収められて積み込まれていた。
「……ふぅ。疲れたわ。あの天狗面、鼻が重くて首が凝るねん」
機内の最上級シートに深く腰掛け、天狗面を外した俺──三好駿は、コーラを一口煽って深く息を吐き出した。
隣では、日本の新事務所から通信でモニタリングしていた名取蓮が、ノートPCの画面に表示された金塊のデータを見つめ、絶句していた。
『……先輩。本当に金塊一トン、時価にして約百五十億円相当の現物資産を、たった三十分の治療で回収してしまいましたわね……』
「言ったやろ、蓮。オイルマネーの連中にとって、命の値段は無限大や。これで、兄貴たちが向こうで必要とする莫大な資金、そして俺たちの『HASEL』の世界戦略の金箱は完璧に完成した」
俺はスマホを取り出し、異世界にいる兄貴の翔へと念話を繋いだ。
(──おーい、兄貴。聞こえるか?)
『──駿! 無事か!? 今、日本のニュースで「中東の王族が奇跡の治療で完全復活」って特言が流れ始めてるぞ! お前、本当に天狗の格好をしてドバイへ乗り込んだのか!?』
脳内に響く翔の、呆れと心配が混ざった声。俺はニヤリと笑った。
(おうよ。天狗の変装でドバイの石油王を一瞬で治して、金塊一トン(百五十億)ぶち込んできたわ。……兄貴、向こうでの高位回復魔法の投資、大成功やぞ。これで俺たちの口座は、二千億円規模に膨れ上がった)
『二千億……!? お前、相変わらず無茶苦茶なスケールで金を稼いでくるな……。まあ、怪我がなかったなら良かったが……』
(兄貴、油断したらアカンぞ。俺が『HASEL』の創調者として表舞台に立ち、さらに『天狗』として世界で奇跡を起こしたことで、世界中の巨大な製薬会社や闇の暗殺組織、国家のスパイどもが、俺たちの背後にある「奇跡の原液」を狙って、本格的に動き出すはずや)
俺はコーラのグラスを回しながら、冷徹な投資家の目を光らせた。
(だが、どれだけ群がってこようが関係ない。俺の絶対障壁と、兄貴が異世界から流してくれる重課金スキルがあれば、地球上のどんな刺客も一瞬で返り討ちにしてやるわ。……兄貴、そっちの天空の神殿の攻略、気ぃつけてな)
『ああ。分かっているよ、頼もしい弟よ。そっちの天狗の活動も、くれぐれも無茶はするなよ』
通信が静かに切れ、プライベートジェットは夜のドバイの滑走路を離陸し、漆黒の空へと向かって静かに高度を上げていく。
現代日本の最新テクノロジー、そして異世界の奇跡の魔法。
世界を裏から経済と力で支配する双子の『課金無双』は、中東のオイルマネーをも完全に飲み込み、次なるサスペンスと波乱の舞台へと向けて、力強く加速していくのだった。




