第七十二話: 黎明の出立と、あまりにも不意な抱擁
1. 黎明の出立と、あまりにも不意な抱擁
霧に濡れた王都近郊の街道沿い。宿場町の朝は、白み始めた東の空から差し込む淡い光に照らされていた。
出発の準備を整えた王宮の近衛兵たちと、日本の塩や穀物の袋をこれでもかと積み込んだ大荷馬車隊が並ぶ中、その先頭で三好翔は、昨晩駿から送られたばかりの「オフロード仕様モンスターキックボード」を傍らに立てて立っていた。
「公爵閣下、伯爵閣下。私はこれより、この『日本の脚』で北部へ向けて疾走します。道中の悪路やモンスター、関所はすべて力技で突破し、今日の夕暮れまでにはカノーヴァとブルグンドの領都へ同時に物資を届け、領民たちの不安を完全に取り除いてみせます」
翔がいつもの穏やかな、しかし決意に満ちた教師の笑みを向けると、ブルグンド公爵とカノーヴァ伯爵は、その極太のタイヤを履いた異形のマシンを見つめ、ゴクリと生唾を呑み込んだ。
「う、む……。信じがたいが、駿殿が三重のサーキットとやらで命がけで調達し、蓮殿の魔導バッテリーを貼り付けた最高峰の脚だ。翔殿、道中の安全を祈る」
「はい。では、お嬢様方もお気をつけて──」
翔が軽く右手を上げ、出発の挨拶を告げようとした、まさにその時だった。
「──翔様!!」
いつもなら格式高いドレスを身にまとい、公爵や伯爵といった「父親たちの前」では決して個人的な感情や過激なアプローチを見せなかったアデライードとベアトリーチェの二人が、周囲の静止も聞かず、ドレスの裾を翻して駆け出してきたのだ。
「え……? アデライード様、ベアトリーチェ様!?」
翔が驚いて立ちすくむ間もなく、アデライードが翔の大きな右腕に飛びつき、そのツリ目に涙をいっぱいに溜めて、翔の逞しい胸板に顔を強く押し付けた。
「絶対に、絶対に無事で戻ってきてくださいまし! 相手は卑劣なコーリア商会や王都の残党です、いくらそのキックボードが速くても、私の心が千切れそうなほど心配なのです!」
「翔様……っ!」
ベアトリーチェもまた、おっとりとした普段の佇まいを完全に忘れたかのように、翔の左腕をその細い両腕でぎゅっと抱きしめ、豊かな胸元をぴったりと翔の二の腕へと密着させて咽び泣いた。
「私のこの手を通じて、カノーヴァの守護の加護をすべて翔様へ捧げます! どうか、どうか一瞬でも早く、私たちの待つ北部の地へ、無事に戻ってきてくださいまし!」
朝靄の中、数十名の王宮近衛兵たち、そして旅の同行者たる冒険者たちや侍女のアイリス、さらには厳しい表情で見守っていた公爵と伯爵の「目の前」で繰り広げられた、二人の最高爵位の令嬢による情熱的で、かつ必死の「全力ハグ」。
「お、おいおいおいおい……! アデライード! ベアトリーチェ! お前たち、一体何の恥晒しを……!」
公爵が、巌のような顔を真っ赤にして、愛用する大剣の柄を握り締めながら頭を抱えて絶叫した。
通信魔導書からホログラムで見ていたカノーヴァ伯爵も、「ば、ベアトリーチェ! 伯爵家の誇りはどこへ行ったのだ!」と、心臓を押さえてのけぞっていた。
周囲の近衛兵たちや冒険者たちも、あまりにもドラマチックな「両手に花の出立劇」に、羨望と畏怖の混ざった目でただただ硬直している。
「あ、あの……アデライード様、ベアトリーチェ様。……ありがとうございます。ですが、本当に急がなければ領民たちが困りますので、一度離れてください、お願いします……!」
翔は顔面を火が出るほど真っ赤にし、父親たちの「今すぐ縦真っ二つに斬るぞ」という凄まじい殺気と冷や汗の板挟みになりながら、優しく、しかし引きはがすようにして二人を体から離した。
「では、急ぎますので! お気をつけて!」
翔は逃げるようにして、モンスターキックボード『モンスター 6000』のステップに両足を乗せ、ハンドルのスロットルを力強く捻り込んだ。
バチバチバチィッッ!!!
魔導バッテリーシールから放たれた極限のミントグリーンの稲妻が極太のオフロードタイヤを包み込み、次の瞬間、翔の巨体は音を置き去りにするほどの爆発的な加速で、一陣の蒼雷となって街道の彼方へと消え去っていった。
後に残されたのは、舞い上がった土煙と、寂しそうにその背中を見つめる令嬢たち、そして「……はぁ。あやつ、本当にバケモノだな」と、深い頭痛を抱えて項垂れる父親二人のため息だけであった。
2. 蒼雷の疾走:時速百キロの包囲突破
「──スロットル、全開!」
翔は、身体能力補正ジャージのフードを深く被り、風圧に耐えながら、うねる未舗装の街道を猛烈なスピードで疾走していた。
液晶インジケーターが示す速度は、驚異の『時速 95km』。
名取蓮がデバッグした魔導バッテリーシールは、周囲の大気中から無尽蔵に魔力を吸い上げ、ツインブラシレスモーターに無限の超高電力を給電し続けていた。どれだけスロットルを捻り込もうが、インジケーターは「100%」のまま微動だにしない。
「キキィィィィッ!」
街道の藪から、翔の超高速の移動に反応した『シャドウウルフ』や『クリスタルガーゴイル』といった魔物の群れが飛び出してきた。
「邪魔だ! 特別授業の時間はない!」
翔は左手でキックボードのハンドルをコントロールしながら、右手でスッと空間から黄金の『神殺しの聖剣(複製版)』を出現させた。
ザシュッ!!
すれ違いざまの一閃。
時速 100kmの凄まじい運動エネルギー(慣性)が乗った聖剣の刃は、魔物たちに攻撃を繰り出す隙すら与えず、一瞬にしてその肉体を文字通り「両断」し、光の粒子へと変えてなぎ倒していった。
やがて、前方に王都近郊と地方を繋ぐ、厳重に警備された「街道の関所(巨大な石壁の門)」が見えてきた。普段なら通行手形を提示し、数時間の検査を受けるべき場所だ。
「ポチっとな、収納!」
翔は衝突する直前、キックボードから跳躍すると同時に、マシンを国王アルトリウスからむしり取った『空間拡張マジックバッグ』の中へと一瞬で吸い込むように収納した。
そして、自身の極限まで高められた身体能力を活かし、厚さ数メートルの巨大な石壁を、まるで忍者のように三角飛びのステップでトントンと蹴り登り、壁の頂点を一瞬で飛び越えて見せた。
反対側の地面に着地した瞬間、再びマジックバッグからキックボードを取り出してステップに飛び乗り、スロットルを開ける。
「な、何だ今の蒼い光は……!? 壁を登って消えたぞ!?」
関所の近衛兵たちが、呆気にとられて我が目を疑っている間に、翔はすでに数キロ先へと到達していた。
お昼過ぎ。
出発からわずか数時間で、翔は最初の目的地である、カノーヴァ伯爵領の領都へと到着した。
通常、馬車で数日はかかる300km以上の距離を、時速90km以上のノンストップ疾走で文字通り「午前中」で走破したのだ。
領主邸の玄関前。
「──な、何だその異形の乗り物は!? 翔殿!? なぜあなたが今ここにいるのですか!?」
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