第七十一話:深夜の急加速と、逃れられない甘い包囲網
2. 空間転送と、重たい魔導の脚
名古屋の市街地から少し離れた、人通りのない暗い高架下の空き地。
駿は車を停め、ハッチバックからキックボードを降ろした。
「蓮。シールの準備はいいか?」
「はい、先輩。この『現代版・電磁トポロジー魔導バッテリーシール』を、リチウムイオンバッテリーの給電部に直接貼り付けます」
蓮が、極微細な幾何学魔法陣が銀色に輝く特殊なデカールを、キックボードの心臓部へと丁寧に貼り付けた。
貼り付けた瞬間、シールの魔法陣が淡いミントグリーンの光を放ち、キックボードの液晶インジケーターが一瞬にして「100%(充電不要)」の文字を表示して明滅し始めた。大気中の魔力を吸い上げ、電気エネルギーへと自己発電し続ける永久機関モビリティの完成だった。
「よし、兄貴。今すぐそっちに送るぞ」
駿は左手を強く握り締め、念話を通じて異世界の翔へと呼びかけた。
(──兄貴! 手に入ったぞ! オフロード仕様の時速100kmモンスターキックボード、今から渡すから、左手の受け入れ態勢を整えろ!)
『──駿! 本当に調達してくれたのか! 頼む、送ってくれ!』
駿は 40kg を超える巨大なキックボードのフレームを右手に持ち、空間を歪めるようにして『左手』へと持ち替えた。
──すっ。
静かな空間の歪みとともに、目の前にあった巨大な鉄の塊が、光の塵すら残さず一瞬で消失した。
『──ぐ、うぅぅっ……! お、重い……! 駿、お前、いくら何でもこれは重すぎるだろ! 左手が引きちぎれるかと思ったぞ!』
脳内に響く翔の、これまでにないほど必死で、かつ苦しそうな呻き声。さすがの翔も、視界外からくる40kgの鉄の塊を左手一本で持つ作業には、相当な膂力とエネルギーを消費したようだった。
「アホ言え、兄貴。一万トンの塩や小麦を転送することに比べれば、ただのキックボード一台分や。ちょっとは贅沢な文句言わずに、踏ん張れ」
『……ふぅ、無事に倉庫の床へ降ろせたよ。本当に、素晴らしい脚だ。これで明日の朝から、カノーヴァと領都への超高速デリバリーを開始できる。駿、蓮ちゃん、玲香ちゃん、本当にありがとう。お前たちのその技術とフットワークが、北部のすべての領民を救うんだ』
「気にするな。……それじゃあ、俺たちは今日の業務を終了させて、これから美味しい晩ご飯でも食べて大阪へ帰るわ。兄貴も、明日の疾走、気ぃつけてな」
『ああ。お前たちも、道中気をつけてな』
繋がる意思が静かに切れ、駿はふぅと息を吐き出した。
時間はすでに夜の九時半。
「よし、お前ら。今日のミッションは完璧や。……せっかく名古屋まで来たんやから、遅い時間までやってる格式高いひつまぶし屋へ行って、最高のご馳走を食べてから大阪へ帰ろう!」
「「──わーい! ひつまぶし、大好きです!」」
三人は老舗の暖簾をくぐり、香ばしく焼き上げられた極上のひつまぶしを堪能した。贅沢に山葵や出汁を注ぎ、お腹いっぱいになった頃には、時刻はすでに夜の十時半を回っていた。
3. 逃れられない一夜:サクラ色の包囲網
「ふぅ、食った、食った。……よし、それじゃあ夜のハイウェイをぶっ飛ばして、大阪のタワマンへ帰ろう──」
駿が車のキーを取り出し、運転席へ向かおうとした、まさにその瞬間だった。
「──ストップです、駿さん!」
不破玲香が、すっと駿の前に回り込み、その豊満な胸元をアピールするように腕を組んで立ちはだかった。
「玲香ちゃん……? 何や、急に。早く帰らんと、明日の取引のシミュレーションが──」
「駿さん。あらかじめ、私と蓮さんで『明日』の駿さんのカレンダーを、完璧にハックしておきましたわ。明日は土曜日、投資の市場は完全に閉まっており、新規の取引やミーティングのスケジュールは、一秒たりとも入っていません。……つまり、明日は丸一日、完全に『お休み』です」
蓮が、助手席のノートPCをパタンと閉じ、眼鏡の奥の黒い瞳をキラリと光らせて、不敵な笑みを浮かべた。
「お、お休みやけど、俺は一人で静かにコーヒーでも飲んで、頭を冷やしたいんや──」
「ダメです! 今日は、私たちが駿さんを一日中、完璧に独占する『ご褒美デート』の日です!
もう車に戻って、準備は完了していますから!」
玲香はそう言い残すと、駿が驚くほどのフットワークで、真っ先にSUVの運転席へと滑り込み、バタンとドアを閉めて、自身の手でステアリング(ハンドル)をガッチリと握り締めた。
「お、おい! 玲香ちゃん、お前、マニュアルの運転免許は持ってるけど、俺の車を──」
「大丈夫です、駿さん! 警察幹部の娘を舐めないでください! 安全運転で、ナビにセットされた目的地へ、今から私が車を走らせます!」
蓮もまた、当然のように駿の背中を押して、後部座席へと押し込んだ。
バタン、と閉められるスライドドア。
運転席には不破玲香。助手席には名取蓮。
そして、後部座席のど真ん中に、完全に包囲される形で座らされた三好駿。
車がゆっくりと、名古屋の夜の街へと滑り出していく。
「……なぁ、お前ら。一体、どこへ向かっとるんや」
駿が首筋を掻きながら尋ねると、蓮がゆっくりと振り返り、顔を耳まで真っ赤に染めながらも、真剣な眼差しを真っ直ぐに駿へと向けた。
「……先輩。私たちは、一昨日の拉致未遂事件、そして毎日の新事務所での生活を通じて、お互いに何度も話し合いましたわ。
──このまま、先輩の『タワマン避難生活』での、曖昧で、ずるずるとした関係が続けば……。いつか、誰かが傷つき、私たちの最高の相棒としての絆が壊れてしまうのではないか、と」
玲香も、運転席のバックミラー越しに、駿の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「そうです、駿さん。
急ぎすぎかもしれない、生意気だと思われるかもしれないけれど……。
私は、駿さんが命がけで、あの青い雷を降らせて私を救ってくれたあの瞬間から、自分の人生のすべてを駿さんに捧げる覚悟を決めています。
蓮さんも、先輩との『共同開発の結晶(魔法陣回路)』を通じて、誰にも負けない絆を感じている。
……だから、まずは、私たちのその『覚悟』を、駿さんに受け入れてほしいんです。……いいえ、今夜、絶対に受け入れさせます!」
「受け、入れさせる……?」
駿がゴクリと生唾を飲み込んだ、その瞬間。
SUVが滑り込んだのは、名古屋の静かな丘の上に佇む、最高級ラグジュアリーホテルの美しいエントランスだった。
「──チェックイン、およびスイートルームのご予約。
本名ではなく、先ほど公爵様からいただいた『虚空の幻影腕輪』による認識改変の偽名を使って、私が一時間前に完璧にオンラインで予約を完了させておきましたわ。
これなら、警察にも、他国の工作員にも、絶対に私たちの居場所はハックできません。完璧な、三人だけの『セーフハウス(密室)』です」
蓮が、スマートフォンの画面に表示された、一泊数十万円の最高級ロイヤルスイートの「予約完了」の文字を駿に提示した。
「駿さん。今夜は、もう大阪へは帰りません。
明日の朝まで、三人きりで、私たちのこの温もりを、駿さんのそのお体に、たっぷりと、生涯忘れられないように刻み込んであげますから……!」
玲香は不敵に笑うと、車のキーを抜き、駿の大きな右手を、自分の細く温かい手できゅっと握りしめた。
左右から迫る、美しき少女たちの、退路を完全に断った『サクラ色の包囲網』。
駿は、体内に宿る圧倒的なチート能力(絶対障壁)を起動することすら忘れ、顔面を真っ赤に染めながら、ただ彼女たちの愛の熱量に、完全に「ハメ殺され」ていくのだった。
大阪の天才投資家にとって、今夜は、生涯で最も甘く、そして絶対に逃れることのできない「至高の支配(一日)」が、静かに幕を開けるのだった。




