第六十一話:北部経済封鎖の進行と主婦同盟の奥様プッシュ
1. 北部経済封鎖の進行と、二つの幻影腕輪
「閣下、コーリア商会による北部一帯への経済包囲網の構築速度が、想定を遥かに上回っています」
王都にあるブルグンド公爵邸の執務室。キースが焦燥を滲ませた声で、最新の通商報告書をデスクに叩きつけた。
リペラ共和国の最大手にして、他国の利権を冷酷に毟り取ることで知られる『コーリア商会』。彼らが仕掛けた経済封鎖は、極めて狡猾なものだった。物理的・法的に国境を閉ざすのではなく、カノーヴァ伯爵領およびブルグンド公爵領へと続く主要な通商街道に領地を持つ「強欲な地方貴族たち」を裏から巨額の賄賂で買収したのだ。
結果、街道上の関所では「北部へ向かう食料や塩」に対して法外な通行料が徴収され始め、流通は完全に麻痺。小麦、大麦、塩といった、北部の領民たちが冬を越すために不可欠な物資の末端価格が急上昇していた。
「このままでは、北部の貧しい領民たちが、冬を前にして塩と穀物を失い、飢え凍えることは避けられん。……翔殿、やはりお主の『つながる手』で、日本からの物資を直接運ぶしかない。お主自身が一度日本へ戻り、現地で大規模な指揮を執ることはできんのか?」
公爵の問いに、翔は苦渋の表情で首を振った。
「申し訳ありません、公爵閣下。私の身体そのものを日本へと丸ごと転送することは、この『つながる手』の術式制限により、現段階では不可能なのです。私はこの世界に留まり、日本側から送られてくる物資をこちらの集積庫で受け取る役割に徹するしかありません」
すると、耳元のインカムから、日本にいる駿の声が響いた。
『──兄貴、その件なんやけど、調達は俺と玲香ちゃんで動くから心配いらんで。ただ、一つ大きな問題がある。以前、玲香ちゃんが襲撃された件があったやろ? 俺たちの動きは向こうの裏社会や競合にも目をつけられとる。安全に、かつ身元を完全に隠して大手のトップと交渉するために、顔や認識を完全に欺くマジックアイテムが複数ほしいんや。そっちにそんな都合のええ魔道具、ないか?』
それを聞いた公爵、そして同席していたカノーヴァ伯爵が頷き合った。
「なるほど、向こうの世界での隠密行動か。……ならば、我がブルグンド公爵家に代々伝わる秘宝、王家すらその存在を知らぬ、古代の極秘遺産──『虚空の幻影腕輪』を貸し出そう。これをお主の『つながる手』で駿殿に送るが良い」
さらに、カノーヴァ伯爵も懐から、青い魔晶石が埋め込まれた美しいバングルを取り出した。
「我が家からも、同等の効果を持つ魔道具『霞の隠れ帯』をお貸ししましょう。この二つがあれば、身につけた者の外見、声、さらには生体認識すらも、全く別人のものとして周囲の脳裏に投影することができます」
「公爵閣下、伯爵閣下、ありがとうございます……!」
翔はさっそく二つの魔道具を受け取ると、左手の空間転送スキル【つながる手】を発動した。
ごうっ、と空間が小さく歪み、二つの変装ブレスレットは、瞬時に日本の駿の手元へと転送されていった。
『──おっしゃ、確かに受け取ったで! これで俺と玲香ちゃんの安全対策はバッチリや。兄貴、そっちは受け入れ態勢を整えて待っててな!』
2. 大阪港の策略:主婦同盟の奥様プッシュと、超速契約
大阪・北区。
『ミヨシ・ホールディングス日本支部』の新事務所。
「──すごいです、駿さん! 鏡を見ても、自分の顔が全く別の上品な女性に見えます!」
不破玲香が、送られてきたバングルを腕に嵌め、鏡を覗き込んで歓声をあげていた。
彼女の姿は、誰もが一目置くような、知性的で落ち着いた雰囲気の「キャリアウーマン」へと完全に変貌していた。隣に立つ駿もまた、認識改変の腕輪によって、切れ者のオーラを漂わせる「エリート実業家」の姿になっている。
「これなら誰にも足がつかへん。よし、玲香ちゃん、これより『日本の食塩・大麦・小麦の一万トン超速調達作戦』を開始するで!」
駿はまず、大阪の海岸沿い(大阪港付近)に、空きが出ていた巨大な臨海保冷倉庫を緊急で三棟、即日契約で丸ごと貸し切った。海風が吹きつけるその倉庫が、今回の巨大な転送ゲートとなる。
そして、今回の調達の鍵を握るのは、駿が誇る最強の味方──『主婦同盟(大阪のおかんたち)』のネットワークだった。
主婦同盟のボスであるおかんたちが、大阪の食料品を扱う大手総合商社や大手食品メーカーの社長夫人、さらには食料部門のトップ(専務や常務クラス)の奥様方へ、一斉にアプローチを開始した。
おかんたちが提示したエサは、ミヨシが裏ルートで独占的に扱う「一瞬で肌が若返る、異世界由来の極秘美容サロンの最優先招待枠」と「奇跡の美肌ハーブ美容液の先行お試しセット」だった。
美への飽くなき探究心を持つ大阪の上流マダムたちの間で、この情報はまたたく間に爆発的な噂となった。
『なぁ、あなた! 今すぐ三好さんのところの仕事、最優先で受けてあげて頂戴!』
『三好の駿さんっていう若い社長さんが困ってはるのよ! 融通してあげな、私、あのサロンの会員権もらわれへんくなるやんか!』
家庭内で、社長や役員たちに対して奥様方からの猛烈な「おねだり」と「プッシュ」が嵐のように吹き荒れた。家庭の平和と、妻の機嫌を損ねたくない食品業界のトップたちは、こぞって「三好」との面会を承諾した。
大阪港の特設会議室。
変装した駿と玲香の前に、大手食品商社の代表や、穀物・調味料部門のトップたちが、やや気圧された様子で並んでいた。奥様からの強烈なプッシュにより、彼らの態度は最初から極めて協力的だった。
「いやぁ、三好代表。妻から熱烈に『力になって差し上げろ』と言われましてね。……塩を五千トン、小麦と大麦をそれぞれ三千トン、合計一万一千トン。我が社のポートアイランドのサイロから即座に放出可能です。ただ、これほどの量を一時に運ぶとなると、物流の手配が……」
駿は不敵に微笑み、契約書を差し出した。
「物流に関しては、可能な限り、そちらの運送ルートでこの海岸沿いの保冷倉庫へ運び込んでください。運賃はすべてこちらが持ちます。……そして、どうしてもそちらのトラックの手配が間に合わない『運べない分』に関しては、私自身が直接そちらの倉庫へ出向き、自ら引き取り(回収)に行くことを約束します」
「なんと……自社で引き取りに? それなら、こちらとしては物流の心配が一切なくなりますが……。しかし、支払いはどうされますか?」
そこで、玲香がスマートにタブレットを提示した。
「総額、25億円。契約書にサインをいただいた瞬間、スイスのプライベートバンクおよび日本のメガバンクから、そちらの指定口座へ即座に一括で『現金振り込み』を行います。手数料もすべて弊社負担です」
「即日、一括25億円キャッシュ決済……!」
奥様からのプッシュ、そして商売人として一生に一度あるかないかの「運送負担ほぼゼロ、即金二十五億円」という超巨大利権。彼らが断る理由はどこにもなかった。
「取引成立です! 今すぐ備蓄倉庫から海岸の倉庫へ移送を開始させます!」
サインが交わされた瞬間、駿がスマホを操作し、わずか数秒で相手の口座へ億単位の資金が次々と着金した。
数日後。
大阪港の巨大な海岸沿いの倉庫には、うず高く積まれた高品質な食塩、大麦、小麦のパレットが並んでいた。さらに、物流が追いつかなかった一部の商社のサイロへは、変装した駿が直接現地を訪問。人の目が切れた一瞬を突いて、異世界の翔が『つながる手』の術式を駿の影に同期させ、その場で直接、物資を公爵領の地下集積庫へと吸い込むように転送・回収していった。
こうして、コーリア商会の裏をかく「一万一千トンの兵糧調達」は、誰にも露見することなく完璧に完了したのだった。




