第四十四話:国王のぼやき、令嬢のツンデレ
1.国王のぼやきと、嫌がらせの手配書
王都、アルトリウス王城の深奥にある王の執務室。
「……なぜだ。なぜ、地方の辺境へ追いやったはずのあのバケモノ教師から、これほど頻繁に命令が届くのだ……!」
国王アルトリウスは、ブルグンド公爵の公式な封蝋が押された一通の書状を握りしめ、青ざめた顔で頭を抱えていた。
書状の文面は丁寧極まりない社交辞令で飾られていたが、その本質は冷酷な『命令』であった。
『我が領に滞在中の異世界の賓客、三好翔殿の要望に基づき、王都近郊に位置する高難度遺跡「天空の神殿」ダンジョンへの遠征ルート、および道中のすべての宿場、警備の手配を、国王陛下の責任において最優先で完了されたし』
「これは……ほぼ、私に対する嫌がらせではないか……!」
アルトリウス王は激しくデスクを叩いた。
だが、その瞬間、胸の奥──魂の奥底から、ズキリと冷たい痛みが走った。
あの悪辣な『魂の契約書』の首輪。もし翔たちの安全や利便性を不当に阻害したり、手配を怠ったりすれば、その瞬間に契約違背とみなされ、王の心臓は破裂して死に至る。
「陛下、どうかお気を確かに……! 逆らえば我々の命はありません。直ちに王都近郊の警備兵を動かし、神殿周辺の魔物の間引き、および最上級の宿の手配を完了させるのです!」
魔術師長が冷や汗を流しながら宥めると、国王は泣く泣く、震える手で『天空の神殿・最優先通行許可書』に王の印章を強く押し付けたのだった。
2.令嬢たちの同行と、大義名分
翌々日、ブルグンド公爵領の領都。
爽やかな朝の光が差し込む中庭に、翔たち9人の戦士が集まっていた。
日本の科学的トレーニングを修め、カイルたちの新スキルも馴染んだ今、彼らの肉体は中世の戦士とは比較にならないほどの不壊の強度を得ていた。
「よし、みんな。これより『天空の神殿』へ出発する。
今回は全員が実戦を経験し、十分な強さを得ているからな。無駄な遅れを省くため、公式な護衛の騎士団も、我々の移動用の馬車も、一切無しで行く予定だ」
「おうよ、先生!ランニングシューズとインナーがあれば、王都近郊まで走ってトレーニングがてら行くなんて、今の俺らには朝飯前だからな!」
陽斗がニヤリと笑い、ランニングシューズの靴紐をきゅっと締めた。
「待ちなさい、翔様!」
中庭の向こうから、鋭い声が響いた。
振り返ると、そこには豪奢な旅装に身を包んだアデライード、ベアトリーチェ、そしてお盆を持った侍女のアイリスが立っていた。
その後ろには、大きな荷物を積んだ公爵家仕様の美しい馬車が一台、待機している。
「アデライード様? なぜそのような旅支度を?」
翔が驚いて尋ねると、アデライードはツンと胸を張った。
「当然でしょう! 私たちも同行しますわ! 貴方たち、護衛も馬車も無しで、あそこのハズレ……コホン、生徒たちだけで王都の近郊まで行くなど、ブルグンドの威信に関わります!」
「しかし、次の『天空の神殿』は高難度の上級ダンジョンです。お嬢様方を危険に晒すわけには──」
「あら、翔様。勘違いしないでくださいな」
ベアトリーチェが、朝露を湛えたサクラのような微笑みで歩み寄ってきた。
「私たちは、ダンジョンの中まで同行するわけではありませんのよ。
皆様が神殿を攻略されている期間、私たちは王都にある『ブルグンド公爵邸』および『カノーヴァ伯爵邸』へと滞在いたします。
そこで、先日翔様からいただいた鉛を含まない『日本の最高級化粧品』、そして精巧なガラス製品や万年筆を、王都や南部の社交界のご夫人方の前でお披露目し、大々的な【ミヨシ・トレーディング】のPRを行うという、極めて重要なお仕事(大義名分)がありますの」
「なるほど……。王都の貴族たちの財布を枯渇させるための、先行販売の宣伝ですか」
翔は彼女たちの優秀な商業センスに唸らざるを得なかった。
「そういうことよ! だから、私たちは馬車で優雅に移動します。貴方たち9人は、その馬車の『護衛』を兼ねて、自慢の足で走ってついてきなさい!」
アデライードが勝ち気に笑い、アイリスも「翔様、お道中の冷たいお水やタオルのご用意は、私が完璧にいたしますね」と、ほんのり頬を染めて微笑みかけた。
結局、お年頃の令嬢たちを無防備に旅させるわけにはいかず、翔たち9人はその馬車をガッチリと取り囲み、ランニングを兼ねた徒歩(走行)での遠征が決定した。
3.道中での「指揮官」決定会議
パカパカと走る令嬢たちの馬車の周囲を、最新のランニングインナーとシューズを装備した8人の若者たちが、息一つ乱さずに等間隔で走っていた。
その姿は、中世の重苦しい行軍とは一線を画す、洗練されたアスリートの集団そのものだった。
夕方、王都近郊へ向かう街道沿いの、公爵領が管理する安全な野営地。
大きな焚き火を囲み、翔と8人の教え子たちは、昨日の「敗北(先生への完敗)」を胸に抱きながら、真剣な表情で話し合っていた。
「昨日、先生に言われた通りだ。俺たちはただの『強い個人の集まり』で、全体の立ち回りや判断を下すリーダーが存在していなかった」
カイルが、真剣なグレーの瞳を仲間たちに向けた。
「この8人の中で、いざという時に全体の状況を把握し、突撃や撤退の指示を下す『指揮官』を決めなければ、天空の神殿のような上級ダンジョンでは必ず誰かが死ぬ」
「そうだな。誰がいいと思う?」
陽斗が腕を組んで尋ねる。
「陽斗やカイル、それに不破やジーモは、前線で常に敵と刃を交えるから、どうしても視野が狭くなりやすい。遊撃の鏡花は、戦場を縦横無尽に走り回るから、全体の陣形を俯瞰するのは難しいよね」
ほのかが論理的に分析する。
「ミリーナと私も、呪文の多重詠唱や魔力の充填に全神経を集中させるから、一瞬の判断を迫られる指揮官には向いていないわ」
8人はしばらく考え、それから自然と、一人の少女へと視線を向けた。
カノーヴァ伯爵家の元代表候補であり、固有スキル『神速回復』を持つ、治癒師のシェリーだった。
「……え? 私?」
シェリーが驚いて、自分の杖を胸に抱きしめた。
「そうだ、シェリー。お前が一番適任だ」
カイルが深く頷いた。
「治癒師は、常に戦列の最後方に位置し、誰が傷つき、誰の魔力が枯渇し、敵がどこから迫っているのかを、最も冷静に、最も広い視野で観察できる。
お前のスキル『神速回復』があれば、一瞬の判断で誰を優先して救うべきかも決められる。戦闘中の陣形の指示、撤退の合図は……シェリー、お前にすべて任せたい」
「シェリーちゃん、お願い。私たちは、君の指示に従うよ」
鏡花が優しく微笑み、陽斗も「頼んだぜ、指揮官!」と親指を立てた。
シェリーは、かつての傲慢な自分を捨て、敗者から這い上がってきた仲間たちの強い信頼をその瞳に感じ、ゆっくりと、しかし力強く頷いた。
「……分かりました。みんなの命、私の指示に預けて。
──全衛、陽斗、カイル! 距離を開けすぎないで! 真司、ジーモ、二人の背後をカバーするフォーメーションを構築します!」
その夜、シェリーの的確な指示のもと、8人は何度も陣形のシミュレーションを繰り返し、確実に一つの「不壊の軍隊」へと生まれ変わりつつあった。
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