第三十四話:怪しい男に落ちる姉、そして異世界でともに進む敗者たち
3.押しかける主婦同盟と、一目惚れの「姉」
そんな15日目の昼下がり。
返信はあるが夕食を共にできていなかった、帰ってきた返信にタワマンから一歩も出ていないとあり、駿と蓮を心配した「主婦同盟」が、ついに駿の部屋へ押しかけてきた。
「ちょっと駿くん!ちゃんと食べてる!? 夕食にも来ないから、みんなで心配して──」
柊、水上、橘、そして不破真司の母親たちが、合鍵(駿が事前に渡していたもの)を使ってリビングへと突入した。
だが、その主婦たちの背後に、これまで「我が子の異世界失踪」という異常事態を母親たちからおぼろげにしか知らされず、完全な蚊帳の外に置かれていた人物が一人、同行していた。
不破真司の実の姉──不破 玲香(ふわ れいか、21歳、現役女子大生)である。
玲香は、母たちが「怪しいハーフの若手投資家と密会して、真司を救うとか言っている」のを不審に思い、本日は荷物持ちを兼ねた「潜入調査」として無理やりついてきたのだ。
「お母さん、やっぱりこんな怪しいタワマンで男の人と会うなんて絶対に騙されて──」
玲香が口を開きかけた瞬間、リビングの凄まじい光景に全員が言葉を失った。
散らかったエナジードリンクの缶、ピザの空き箱。
マルチディスプレイの怪しい光に照らされながら、少しボサボサの髪で、しかし端正で美しいハーフ顔に信じられないほど色気のある気だるさを漂わせた駿が、デスクに肘をついてこちらを振り返った。
そのすぐ隣には、ラフな服装で肩が触れ合うほどの距離に座っている知的な丸眼鏡の美少女──名取蓮の姿がある。
「あ、おばさんたち。……すんません、今デバッグの最終段階で取り込み中なんすよ」
少しハスキーで、徹夜明けならではの低く甘い声。
切れ長の瞳が玲香の視線と真っ直ぐに交錯した。
ドクン。
玲香の心臓が、耳を劈くほどの音を立てて跳ね上がった。
(な、なにあれ……。めちゃくちゃ……めちゃくちゃ格好いいんだけど……!?)
玲香は全身に雷を浴びたように硬直した。
整った顔立ち、アンニュイな雰囲気、そして億単位の金を動かしながら弟を裏から救おうとしているという規格外のスケール。玲香にとって、駿の姿は完全に「ド真ん中のタイプ」だったのだ。一目惚れだった。
「……あの、先輩。こちらの方々は?」
蓮が怪訝そうに眉をひそめ、すっと駿を守るように一歩前に出た。女性ならではの防衛本能、あるいは駿との聖域を邪魔された不満がその視線に滲んでいる。
「あ、ああ。この前の『親の会』の皆さんや。真司や鏡花たちの母親だよ」
駿の説明を聞き、玲香はすかさず一歩踏み出し、蓮を牽制するように自己紹介した。
「不破真司の姉、不破玲香です! ……あの、そちらの女性は、三好さんとどういうご関係なんですか?」
玲香の少し焦ったような、そして品定めするような鋭い視線が蓮へと向けられる。
「私は名取蓮。先輩の大学の後輩で……いまは、先輩の『最高の共同開発者』として、ここで寝食を忘れて一緒にプログラムを組んでいます」
「寝食を、共に……!?」
蓮の「寝食を忘れて(徹夜して)」という言葉を、別の意味に捉えたのか、玲香の目がキッと釣り上がる。
「大学時代からの、付き合いなんですね……?」
「ええ、まあ。先輩とは気心が知れていますから」
バチ、バチ、バチ。
異世界の令嬢たちに負けず劣らずの、凄まじい「恋の火花」がタワマンのリビングに散り始めた。
「あらあら、これは……」
柊の母親が、二人の若い女性の尋常ならざる空気を敏感に察知し、楽しそうにクスクスと笑い出した。他の母親たちも「駿くん、本当にモテるわねぇ」と、我が子の心配をどこかへ放り投げ、面白そうに目を輝かせている。
日本は日本で、翔の知らないところで、駿を巡る「恋の鞘当て」が静かに幕を開けようとしていたのだった。
4.15日目の劇的成果と、実戦への決意
そんな日本の狂気的な開発劇と恋愛の予感の裏で、異世界の翔の「科学的トレーニングプログラム」もまた、劇的な成果を上げつつあった。
日本のトレーニングを開始して、ちょうど15日。
中庭で上半身裸になり、パワーラックでスクワットを行う水上陽斗の身体は、半月前とは見違えるほどに引き締まり、無駄のない強靭な筋肉の鎧をまとっていた。
「ふんっ……ぬぅぅぅりゃぁッ!!」
ズシン、と150kgを超えるバーベルを持ち上げ、陽斗が力強く息を吐き出した。
「よし、陽斗。フォームも完璧、体幹のブレも一切ないぞ。アミノバイタルを飲んで水分補給を怠るなよ」
「はい、先生! マジで身体が自分のものじゃないみたいに動くよ!」
陽斗は日本のスマートウォッチの心拍数データを確認しながら、嬉しそうに白い歯を見せた。
不破真司のデッドリフトの数値も爆発的に向上しており、彼の【金剛の肉体】のスキルは、その圧倒的な筋力増強によって「物理的な防御力」をさらに引き上げていた。
女子二人の成長も目覚ましかった。
柊鏡花は、高機能ランニングシューズを履いてのHIIT(高強度インターバルトレーニング)を完璧にこなし、持久力と瞬間速度を極限まで高めていた。橘ほのかも、プロテインとバランスの良い食事によって魔力の枯渇からの回復速度が劇的に向上し、より精密な魔法の連続展開が可能になっていた。
「先生、15日間、みっちり身体と技を鍛えてきたよ」
鏡花がポニーテールを揺らしながら、鋭い目で翔を見上げた。
「うん。ステータスをただ振り回すだけじゃなく、自分の身体をミリ単位で制御する技術は、グスタフさんとの手合わせで叩き込まれた。……そろそろ、本物の『ダンジョン』で、私たちの実力を試してみたい」
「そうだな」
翔は教え子たちの頼もしい顔つきを見つめ、深く頷いた。
「公爵領内にある初級〜中級ダンジョン『牙の洞窟』への遠征を、公爵閣下に申請しよう。いよいよ、実戦訓練の開始だ」
5.カイルたちとの再会と、一触即発の対峙
「──翔殿! カノーヴァの伯爵が、王都からの珍しい『客人』を連れて、領都へ到着されたぞ!」
中庭での朝練を終えた直後、キースが慌ただしい様子で翔たちに告げた。
翔と生徒4人が城の正門前へと向かうと、そこにはカノーヴァ伯爵の豪華な馬車、およびそれを護衛する騎士たちの姿があった。
馬車のドアが開き、カノーヴァ伯爵、そしてその後ろから、フードを深く被った四人の若者が姿を現した。 フードが外された瞬間、陽斗たちが「あっ……! カイル!」と息を呑んだ。
カイル、ミリーナ、シェリー、ジーモ。
かつて王城で翔に完膚なきまでに叩きのめされ、代表候補の座を追われた、あの「敗者」たちだった。
「カイル……! お前、なんでここに……」
陽斗が思わず木剣の柄に手をかけ、不破がスッと前に出て女子二人を庇うように立ち塞がった。
中庭の空気が、一瞬にして凍りつくような緊迫感──一触即発のオーラに包まれる。
カイルたち4人もまた、全身を硬直させ、鋭い眼光を翔へと向けていた。
だが──。
カイルは翔のグレーの瞳を真っ直ぐに見つめると、ゆっくりと腰の剣を外し、それを地面へと置いた。続いてミリーナ、シェリー、ジーモも武器を地面に置き、両手を挙げた。
カイルは翔の目の前まで歩み寄ると、その場に、躊躇うことなく両膝を突き、冷たい石畳の上に深く頭を下げた。
「──三好翔先生。そして、生徒の皆さん」
カイルの声は、かつての傲慢さに満ちたものとは全く違っていた。震えながらも、そこには魂の底から絞り出したような、強固な決意が宿っていた。
「俺たちは……泥水をすすり、己の未熟さと傲慢さを、嫌というほど知った。俺たちの後ろ盾であった公爵閣下、および伯爵閣下から書状をいただき、今一度、這い上がるチャンスをいただいた。……お願いだ、先生。俺たちを、鍛え直してくれ。お前たちの、あの圧倒的な強さの秘密を、俺たちに教えてほしい。もう一度、本物の『代表』として、神の前に立つために……俺たちに、救いの手を差し延べてくれ!」
ミリーナも、シェリーも、ジーモも、カイルの隣に膝を突き、深く頭を下げて涙を流していた。プライドをすべて捨て去り、一から這い上がる覚悟を決めた若者たちの姿。
陽斗は、カイルのその姿を見て、ゆっくりと構えを解いた。
「……カイル。お前、本当に変わったな。王都でのあのクソ生意気な顔、全然してねえじゃん」
「陽斗……」
「先生。俺、こいつらのこと、もう憎んでないよ。同じように、必死で強くなりたいって願ってる『同世代』なんだ。……仲間として、一緒にやろうよ」
陽斗の言葉に、不破も、ほのかも、鏡花も、優しく微笑んで頷いた。
翔はカイルの前にしゃがみ込み、彼の細い、しかし剣のタコができた肩を、大きな手で力強く掴んで引き起こした。
「よくぞ、そのプライドを捨ててここまで来た。カイル君、君たちの覚悟、確かに受け取った。──歓迎するよ。これより、君たち4人を、我が『ミヨシ・クラス』の特別生徒として迎え入れよう」
「先生……! ありがとう、ありがとうございます……!」
カイルたちは顔を涙で濡らしながら、翔の手を強く握り返した。




