第二十九話:危険物質と『ミヨシ・トレーディング』異世界に爆誕
3.昼食の疲労と、暴かれる「美白」の闇
「う、動けない……。箸を持つ手が震える……」
昼食時。城の食堂のテーブルに、ジャージ姿の生徒4人が文字通りぐったりと倒れ込んでいた。
今日からさっそく、翔が指導する「日本版プログラム」のテスト版(HIITやウエイト)を、彼ら自身も体験させられたのだ。
「陽斗、しっかりしろ。ほら、駿から送ってもらったプロテインとアミノ酸を飲んで、筋肉の回復を促すんだ」
翔がシェイカーを手渡すと、陽斗はゾンビのようにそれを受け取り、一気に飲み干した。
「先生……異世界の騎士の筋トレ、マジで死ぬかと思ったよ……。でも、あの味のついた水がなかったら、途中で泡吹いて倒れてたわ……」
不破がテーブルに突っ伏したまま呟く。
その昼食の席には、公爵、キースに加え、公爵夫人、長女セシリー、そしてアデライードとベアトリーチェの令嬢二人も同席していた。
令嬢二人は、汗をかいてジャージ姿でヘトヘトになっている生徒たちを、少し気の毒そうに、しかし興味深そうに見つめていた。
翔は、目の前の皿に盛られた料理を眺めながら、今朝からずっと脳裏に引っかかっていた「ある深刻な懸念」について、意を決して切り出すことにした。
「……公爵閣下。少々、お聞きしたいことがあります。
このブルグンド領、あるいは王都の上流階級の貴族たちの間で、原因不明の『肌荒れ』や、髪の毛が抜け落ちる『脱毛』、酷い時には『歯が次々と抜け落ちる』、あるいは『激しい腹痛や精神の錯乱』に苦しむ、奇妙な病が流行っていませんか?」
その問いに、食堂の空気が一瞬で凍りついた。
特に、公爵夫人、セシリー、アデライード、そしてベアトリーチェの女性陣が、ハッとしたように息を呑み、お互いの顔を見合わせたのだ。
「……翔殿、なぜそれを知っている?」
公爵の表情が、これまでにないほど真剣なものに変わった。
「実は、王都の高貴なご夫人方の間でも、その奇妙な症状に悩まされる者が多い。我が領内でも、アデライードやベアトリーチェ、さらには妻やセシリーも、最近肌が乾燥して荒れやすく、原因不明の体調不良に悩まされることがあるのだ。神殿の神官を呼んで回復魔法をかけてもらっても、その場しのぎにしかならん。……呪いの一種ではないかと噂されているのだが」
「呪いなどではありません。その病の原因は、『毒』です」
翔はきっぱりと言い放った。
「毒!? 誰がそんなものを盛るというのだ!」
キースが激昂して立ち上がりかけるが、翔は優しく手を振って彼を宥めた。
「誰かが意図的に盛ったのではありません。
皆様が、毎日自らの意思で、その美しく白い肌を作るために顔に塗っている化粧品──『白粉』。その中に、大量の『鉛』が含まれているのです」
「お、白粉に、毒……!?」
アデライードが、青ざめた顔で自分の頬に手を当てた。
「地球の歴史でも、かつて全く同じ悲劇が起きました。
当時、肌の白さこそが美しさとステータスの象徴であり、貴族たちは『ヴェネツィアン・セリュース』と呼ばれる、鉛を主成分とした非常に不透明度の高い、美しい白粉を愛用していました。
しかし、鉛は皮膚から体内に吸収されると、恐ろしい慢性中毒を引き起こします。
肌を破壊して灰色や黄色に変色させ、それを隠すためにさらに厚塗りをするという悪循環。
そして、髪が抜け落ち、歯が脱落し、激しい腹痛や、脳の神経が侵されて精神が錯乱し、最終的には死に至るのです。
洋の東西を問わず、人類は長い間、知らずに『命がけの美白』を行っていたのです」
「そ、そんな……。私が毎日、お肌を綺麗にするために使っているものが、毒だったなんて……。信じられませんわ!」
ベアトリーチェが、ショックで涙ぐみながら首を振る。
「そうだな、翔殿。お主の言うことは一見筋が通っているが、我々が長年使ってきた白粉が毒だと言われても、にわかには信じがたい」
公爵も、困惑を隠せない様子で眉をひそめた。
「……では、実験をしましょう。
言葉で説明するよりも、お見せした方が早いです」
翔は昼食後、すぐに全員を連れて、食堂の大きな円卓の前に集まらせた。
翔の手元には、城の侍女から提供してもらった「アデライードが普段愛用している最高級の白粉」、そして日本の駿から『つながる手』経由で送ってもらった、鉛や水銀を一切含まない「日本製の肌に優しい無添加ファンデーション(化粧品)」が並べられている。
さらに、翔は小さな小瓶を取り出した。中に入っているのは、日本のドラッグストアで購入し、駿に送ってもらった「温泉の素(硫黄成分が入った液体)」を水に溶かした、透明な液体だ。
「この透明な水は、私の世界ではごく一般的な、体内(爪や毛髪)にも含まれている自然な成分──『硫黄』が溶けた水です。
もし、この白粉の中に『鉛』が含まれていれば、この水と反応して、恐ろしい変化が起きます」
翔は、二つのガラスの小皿に、アデライードの白粉と、日本製の化粧品をそれぞれ少しずつ乗せた。
「アデライード様、ベアトリーチェ様。よく見ていてください。
これが、皆様の肌の奥で、毎日起きていることです」
翔はスポイトを使い、温泉の素を溶かした水を、まずは日本製の化粧品に数滴垂らした。
何も起きない。白い粉は、ただ水に濡れて湿っただけだった。
「次に、アデライード様が愛用されている、こちらの白粉です」
翔が、異世界の白粉に水を数滴、落とした。
──じわっ。
水を吸い込んだ瞬間、真っ白だったはずの白粉が、まるで生き物のように、どす黒い、薄汚い『漆黒』へと、みるみるうちに変色していったのだ。
おぞましい、焦げたような化学反応の光景。
「な……、何ですって……!?」
「真っ黒に……!?」
アデライードとベアトリーチェは、恐怖のあまり悲鳴を上げて椅子から飛び下がった。
公爵も夫人も、そのあまりにも明白で、不気味な変色を目の当たりにして、言葉を失い硬直していた。
「鉛と硫黄が反応し、肌の奥で『硫化鉛(黒い毒)』を生じさせている証拠です。皆様は、毎日、この黒い毒を肌に染み込ませ、自ら肉体を破壊していたのです」
翔が静かに告げると、夫人も令嬢たちも、顔面蒼白になって自らの肌を擦り始めた。
「翔殿……! どうすればいいのだ!? 妻や娘たちの体内に溜まった、その『なまり』という毒を消す方法はあるのか!?」
公爵が、父親としての焦りと恐怖をあらわにして、翔の肩を掴んだ。
「ご安心ください、閣下。私の世界には、体内の重金属(鉛)を安全に吸着して体外へ排出させる、『鉛解毒剤』という非常に優れた特効薬が存在します。
すぐに駿に連絡し、その解毒薬と、鉛によって阻害された栄養を補うための『カルシウム』『鉄分』『ビタミンC』のサプリメント(錠剤)を大量に送らせます。これを毎日服用すれば、体内の毒はきれいに洗い流され、肌荒れも体調不良も劇的に改善するはずです」
翔はさっそく、耳元の駿とコンタクトを取り、日本側の「主婦同盟」に頼んで、ドラッグストアや医療ルートから大量の鉛解毒剤とサプリメントを調達させ、自身の左手へと転送させた。
「こちらが鉛解毒剤とサプリメントです。
そして……」
翔は、日本のデパ地下や高級ブランドで駿が買い揃えた、
美しい漆塗りやクリスタル風の「貴族仕様の高級な化粧箱」に入った、鉛を一切含まない、肌を健やかに保ちながら美しく見せる『日本の最高級ファンデーションとスキンケアセット』を、アデライードとベアトリーチェの前に差し出した。
「今日からは、この安全で、お肌に最高の栄養を与える日本の化粧品を使ってください。
これなら、どれだけ塗っても肌は荒れませんし、それどころか翌朝には赤ちゃんのようなもちもちの肌になれますよ」
「まぁ……! なんて美しい箱かしら……!」
セシリーと夫人が、そのきらびやかで洗練されたパッケージに目を輝かせる。
アデライードもベアトリーチェも、先ほどの恐怖から一転して、日本の最新コスメの魅力に、完全にハートを奪われたような表情で、うっとりと箱を見つめていた。
「翔殿……。さらに、もう一つ。
お主が言う『鉛の毒』だが、実は、王都や南部の貴族たちが好む『甘いワインやジュース』にも、同じ成分が入っている可能性はないか?
あやつらは、少し酸っぱくなった安物のワインに鉛の板を浸し、甘み(酢酸鉛)を出して飲むという悪習があるのだが……」
公爵の鋭い指摘に、翔はハッとして冷や汗を流した。
「……まさか、酢酸鉛(鉛糖)ですか。
地球でも、古代ローマ帝国がまさにその『甘い鉛入りワイン』のせいで、貴族たちの中毒死が相次ぎ、滅亡の一因になったと言われています。
閣下、それも極めて危険です。今日から、領内の飲み物に関しても、すべて鉛の検査を徹底してください!」
「うむ、直ちに命令を下そう!」
翔は一呼吸置き、不敵な笑みを浮かべて公爵に向き直った。
「公爵閣下。これほど安全で、素晴らしい効果を持つ『日本の化粧品』。
そして、今朝提案した『騎士団の最適化プログラム』に必要な日本の物資。
これらを独占的に輸入し、王都や南部の、見栄と贅沢のためなら金貨をいくらでも吐き出す高慢な貴族たちへ、超高額で売りつけるための『北部独自の商会』を、私と一緒に立ち上げませんか?」
「……クックック、ハハハハ!」
公爵は、お腹を抱えて豪快に笑い出した。
「面白い! 実に面白いぞ、三好翔!
お主は、我が北部の軍事力を高めるだけでなく、美容という名の人殺しの悪習を暴き、それを新たな莫大な利権へと変えてみせるというのか!
よし、商会の立ち上げ、全面的に許可する! 商会の名前は……そうだな、お主たちの元の世界の言葉で『ミヨシ・トレーディング』とでも名乗るがいい!」
こうして、異世界の歴史の闇を現代科学で暴き、新たな巨大ビジネスの歯車が、ブルグンド公爵領で力強く回り始めた。




