第二十六話:物流のお話は剣と令嬢を添えて
3.公爵の頭痛と、親バカな脅迫
異世界、ブルグンド公爵城。
午後を過ぎた頃、翔は執務を終えた公爵から、昨日とは別の小さな応接室へと呼び出された。
重厚な革張りのソファに腰掛ける公爵の隣には、美しいが、どこか楽しげな悪戯っぽさを湛えた公爵夫人が静かに佇んでいた。
「翔殿、急に呼び立ててすまない。……実は、今後の『物資循環同盟』について、私から追加の提案があるのだ」
公爵が少し声を潜めて言った。
「提案、ですか?」
「うむ。お主が明かしてくれた『つながる手』の奇跡。これを本格的な産業、あるいは軍事的な裏取引として稼働させるには、あまりにも関わる人間の手が足りん。そこでだ……我がブルグンド公爵家と、カノーヴァ伯爵家の『家族』にだけは、この事実をすべて打ち明け、全面的に協力させたいと考えておる。……どうだ?」
翔は少し考え、頷いた。
「確かに、これから地球の物資をこちらに持ち込む際、公爵家や伯爵家の完全な根回しと隠蔽がなければ、他国や王都の過激派に『出所不明の怪しいマジックアイテム』として目をつけられます。ご家族の信頼できる方々にだけは、打ち明けた方が私も動きやすいです」
「そう言ってくれると助かる。……そこでだ」
公爵は一度、気まずそうに咳払いをした。
「我が公爵家としては、お主の側近、あるいは商売の相手として、当面の間、決まった仕事のないアデライードを付けようと考えておる。そしてカノーヴァの伯爵も、ベアトリーチェをお主の側に置いて、この商売を学ばせたいと言ってきてな……」
「……お二人を、私の側に?」
翔は眉をひそめた。
「閣下、道中でお二人と共に過ごし、彼女たちの優秀さはよく理解しております。ですが、この世界の常識として……未婚の上級貴族の令嬢が、家族でも婚約者でもない男と常に行動を共にするのは、社交界でのスキャンダルや問題になりませんか?」
翔の極めて真っ当な「教師らしい」指摘に、ブルグンド公爵は突然、まるで巨大な岩が崩れるようにがっくりと肩を落とし、両手で顔を覆って深くため息をついた。
「……そこなのだ。私とて、娘をどこの馬の骨とも知れん男に近づけたくなどない! だが……」
「まぁ、あなた。翔様に対して失礼でしょう」
公爵夫人が上品にクスクスと笑いながら、翔に耳打ちした。
「実はね、翔様。昨日、アデライードとベアトリーチェ、それぞれの侍女から、私の方へ『内密に』と報告があったのです。──二人の娘が、今回の旅路で、貴方にすっかり心を奪われてしまっている、とね」
「え……っ!?」
翔は驚愕し、思わずソファから腰を浮かせそうになった。
「ベアトリーチェは、カイルとの破談で負った心の傷を、貴方の圧倒的な強さと優しさに救われた。そしてうちのアデライードは、自分の尊厳と領民を同じように愛してくれる、貴方の熱い背中に……フフ、完全に一目惚れというやつですわ。二人とも、普段はあんなにツンツンと意地を張っているのに、お互いにライバルとして激しく火花を散らしているそうですのよ」
「夫、夫人……それは、さすがに私の勘違いか何かで……」
「勘違いなものか!」
公爵が顔を上げ、恐ろしいほどの親バカの眼光で翔を睨みつけた。
「いいか、三好翔! 二人がお主の役に立ちたいと、自ら名乗り出たのだ! だから側に置くことは許可する! 爵位や立場など、この同盟の前には些事だ! ……だがな!」
公爵は、自身の愛用する巨大な大剣の柄に手をかけた。
「最後の一線だけは越えてくれるな! もし、娘たちに不埒な手を出したり、泣かせるような真似をしてみろ……。その瞬間、お主がどれほど強力な絶対障壁を持っていようが、私はお主を縦真っ二つに斬る! 既成事実を作るなど、絶対に、万に一つも、億に一つも許さんからな!!」
「あ、あなた。あまり翔様を脅してはダメよ。最後の一線(男女の関係)さえ越えなければ、むしろ有能な彼をブルグンド家に取り込める絶好の機会じゃない。私は歓迎しますわよ?」
「お前は能天気すぎるぞ、妻よ!!」
現役の高校教師として、生徒の父親(しかも武力100の公爵)から「娘に手を出すな、斬るぞ」と脅されるという極限の状況に、翔は冷や汗を流しながら「ぜ、善処します……」と答えるのが精一杯だった。
4.秘密の晩餐会と、揺れる乙女心
その日の夕食後。
城の食堂は、出入り口を騎士団長自らが警備し、完全な防音結界が施された「極秘の会議場」と化していた。
円卓を囲むのは、公爵夫妻、長女セシリー、長男キース、そしてアデライードとベアトリーチェ。
翔と、彼の教え子である水上、不破、橘、柊の五人。
「──素晴らしい……! 本当に、一瞬で消えて、日本へと渡っているのね!」
「つながる手」の実演(テーブルの上のスプーンを日本の駿の元へ送り、代わりに日本のコンビニで売っている高級板チョコレートが出現する手品)を目の当たりにし、公爵夫人とセシリーは、少女のように目を輝かせて歓声を上げた。
「これが、元の世界の『チョコレート』ですか……。なんという滑らかさ、そしてこの濃厚な甘み。このような贅沢品、王都の王族でも口にしたことはないはずですわ!」
アデライードも、差し出されたチョコレートを一口かじり、頬を赤らめてうっとりとしていた。
「ねえ、アデライードちゃん、ベアトリーチェちゃん。日本の本当にすごいところは、お菓子だけじゃないんだよ」
柊鏡花が、ニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべながら、自分のポケットから小さなプラスチックのチューブを取り出した。昨日、駿から送ってもらった「色付きリップクリーム」だ。
「これね、唇に塗ると、お肌を保護するだけじゃなくて、ほんのりサクラ色に染まって、すっごくプルプルになるの。あと、このボトルに入った『化粧水』。お風呂上がりに肌につけるだけで、翌朝、お肌がもちもちの赤ちゃん肌になるんだよ」
「な、何ですって……!?」
その言葉に、アデライードとベアトリーチェがガタッと椅子を鳴らして身を乗り出した。
「お、お肌がもちもちに!? その、良い香りのする透明な水が、ですか!?」
「サクラ色の、唇……? 鏡花さん、私にも……その、少しだけ試させていただけないかしら?」
美容に対する令嬢たちの食いつきは、公爵の「斬るぞ」という威圧よりも凄まじかった。
「いいよ! ほのかちゃん、鏡持ってきて!」
「はーい!」
ほのかが手鏡を差し出し、鏡花がアデライードの薄い唇に、丁寧にリップを塗っていく。
「……あっ」
鏡を覗き込んだアデライードは、自分の唇が、まるで朝露に濡れた果実のように艶やかに、そして愛らしくサクラ色に染まっているのを見て、言葉を失った。
「す、素晴らしいわ……! まるで、最高級の宝石の泥を塗ったような……。しかも、全然重たくなくて、甘いイチゴの香りがする……!」
「アデライード、ずるいですわ! 私も、私にも塗ってくださいな!」
ベアトリーチェも焦ったように鏡花の手を掴み、嬉々としてリップを塗ってもらっていた。
二人は、プルプルになった唇を少し動かし、お互いの美しさを確認すると、同時にチラリと、円卓の端で静かにお茶を飲んでいる翔の方へと視線を送った。
(翔様……気づいてくださるかしら……?)
(少しは、魅力的に見えると良いのだけれど……)
二人の、あからさまに熱を帯びた「恋する少女」の視線にさらされ、翔は紅茶を飲む手がピキリと硬直した。隣に座る公爵からは「おい、三好。お前、今何を考えている? 斬るか?」という殺気がヒタヒタと伝わってくる。
「……あ、あの、公爵閣下。ビジネスの話をしましょう」
翔は強引に話題を軌道修正した。
「この『つながる手』による地球からの輸入物資ですが。最も効率よく、かつ他国から怪しまれずに莫大な利益を上げるには、『小さくて、超高価格で売れ、かつ他国の貴族や他派閥が喉から手が出るほど欲しがるもの』に限定すべきです」
「ふむ。例えば、どのようなものだ?」
キースが真剣な表情で尋ねる。
「先ほど、お嬢様方が驚かれていた『化粧品』『香水』、そして『日本の精巧なガラス製品や万年筆』です。これらは、こちらの世界には存在しない圧倒的な技術と、美しさ、そして実用性を持っています。これらを『ブルグンド公爵領とカノーヴァ伯爵領の限定独占輸入販売』として、王都や南部の軟弱な貴族たちへ、超高額の金貨で売りつけるのです」
「なるほど……!」
公爵が膝を叩いた。
「あやつらは、見栄と贅沢のためなら、金貨をいくらでも吐き出すからな。北部が独自に手に入れた『古代の大魔導具の遺産』とでも言い張れば、王都の連中も文句は言えん。奴らの財布を枯渇させ、その金を我が北部の発展、道路の舗装や冬の備えに回すわけか!」
「その通りです。そして、その限定販売の管理、店舗の運営、王都の貴族たちとの外交的な交渉の窓口として……アデライード様と、ベアトリーチェ様のお二人の名前を冠するのです。お二人なら、上級貴族としてのマナーも、社交界のパワーバランスも熟知されていますから」
「素晴らしい戦略ですわ、翔様!」
ベアトリーチェが、嬉しそうに両手を合わせた。
「私、カノーヴァ伯爵家の名にかけて、南部の高慢な令嬢たちの鼻を明かして、山ほどの金貨を毟り取ってみせますわ!」
「ブルグンドの名において、この限定商売は完璧に守り抜くわ! 翔様、私にすべて任せなさい!」
アデライードも、サクラ色の唇を誇らしげに歪めて胸を張った。
こうして、秘密の食堂の会議は、深夜遅くまで明かりが消えることなく、賑やかに、そして着実に「世界を変える不敵なビジネスプラン」を練り上げていった。




