第百二話:異世界の決断と、三人の婚姻許可
──異世界、ブルグンド公爵城。
『天空の神殿』最上階、第三十階層を完全攻略し、その圧倒的な実績と『ダンジョン管理者権限』を手に入れた三好翔。
彼は今、重厚なマホガニーのデスクが置かれた公爵の執務室に立っていた。
デスクの向こうには、北部の覇者たるブルグンド公爵、そして遠隔の魔導書を通じてホログラムのように同席しているカノーヴァ伯爵の姿があった。
「……公爵閣下。そして、カノーヴァ伯爵閣下」
翔の低く、しかし凛とした声が室内に響く。
「私と生徒たちは、前人未踏の『天空の神殿』を攻略いたしました。これにより、来るべき二大闘技大会における優位、そして王国内での我がポジションは確固たるものとなりました。……そこで、お約束通り、正式なお願いに参りました」
翔は、深く頭を下げた。
「アデライード様、ベアトリーチェ様、そしてアイリスさん。……この三人の方々との『婚約』を、正式に認めさせてはいただけないでしょうか」
静寂が支配する執務室。
ブルグンド公爵は、深く安楽椅子に腰掛け、鋭い眼光で翔を見つめた。
カノーヴァ伯爵もまた、ワイングラスを置いたまま、静かに画面越しに翔を見つめている。
やがて、公爵が重々しく口を開いた。
「……翔殿。お主の実力、そして人柄については、もはや何の疑いもない。お主が我が領のために尽くし、娘たちを幾度も命懸けで守り抜いてくれたこと……心から感謝しておる」
「伯爵家としても同感です、翔殿」カノーヴァ伯爵が穏やかに微笑む。「娘たちの意思も、とうに固まっておりますからな。私たちが反対する理由など、どこにもありません」
「ですが」と、公爵は表情を引き締め、教え込むような厳しさで言葉を続けた。
「──貴族たるもの、そこには絶対的な『序列』が存在する。……この点についてだけは、お主にも明確に理解してもらわねばならん」
「序列、ですか?」
「そうだ」公爵は指を一本立てた。「第一位は、我がブルグンド公爵家の直系たる、アデライード。彼女が正妻の中の筆頭──『第一正妻』となる。次に第二位として、カノーヴァ伯爵家の令嬢であるベアトリーチェ。そして第三位として、我が公爵家の寄子貴族の娘であるアイリス。……この序列を崩すことは、どれほどお主が強かろうと、貴族社会の秩序として絶対に許されん」
公爵は、鋭い眼光を翔に向けた。
「この条件を三人全員が呑み込み、お主自身もそれを厳守すると誓えぬならば……いくらお主の偉業があろうと、この婚姻を認めるわけにはいかん。……カノーヴァ伯爵も、承諾しておられるな?」
『ええ。カノーヴァ伯爵家としても、その序列に異論はありません。娘のベアトリーチェにも、その覚悟がなければ翔殿の妻となる資格はないと、固く言い含めてあります』
二人の父親たちの、娘への愛と、領主としての厳しい現実論。
翔は一瞬瞳を閉じ、それからハッキリと頷いた。
「理解いたしました。序列の件、重々承知の上で受け入れさせていただきます。……ですが、私からも一つ、譲れない条件がございます」
「ほう? 何だ?」
「──正式な『結婚』は、彼女たちが18歳を迎えるまで待っていただきたいのです」
翔の言葉に、公爵たちは意外そうに眉をひそめた。
「18歳だと? この世界の貴族であれば、17歳での婚姻など何ら珍しくはないが……」
「私の元の世界、日本の感覚においては、18歳が大人としての大きな区切りなのです。……彼女たちの健やかな成長を見守り、そして何より、私自身が教え子たちを無事に日本へ帰すという義務を果たした上で、晴れて彼女たちを妻として迎えたい。ですので、当面は『正式な婚約』という形にしていただきたいのです」
翔の真摯な、どこまでも筋を通そうとする言葉に、公爵は呆れたような、しかし嬉しそうな笑みを漏らした。
「……ハハハ! 相変わらず、お主はお堅い男だな、三好翔! よかろう、18歳までの婚約期間、全面的に認めようではないか!」
『ふふ、素晴らしい誠実さですな。翔殿になら、安心して娘を預けられます』
3.ドア越しの転倒と、苦い笑み
和やかな空気が満ちた、その時だった。
カチャ……ギギ……。
執務室の重厚な木製ドアの付近から、何やら不自然な擦れる音と、ひそひそという押し殺した話し声が漏れ聞こえてきた。
(……全く、あのお転婆どもめ)
ブルグンド公爵は、ドアの向こうに漂う気配を一瞬で察知し、深くため息をついた。隣で控えていたベテランの家宰に向けて、スッと目配せを送る。
家宰は深々と一礼すると、足音を立てずにドアへと近づき──勢いよく、取っ手を引き絞ってドアを開け放った!
「──きゃあああっ!?」
「ちょっと、アデライード、押さないで……わぁっ!?」
「ひゃああっ!?」
ドササッ!! という盛大な音とともに、執務室の床へとなだれ込むようにして倒れ込んできた三つの影。
華やかなドレスを乱し、重なるようにして床に転がっていたのは──先ほどまで話題の中心にいたアデライード、ベアトリーチェ、そしてアイリスの三人だった。
「……何をしておるのだ、お前たちは」
公爵が、額に青筋を浮かべて見下ろす。
アデライードは、真っ赤になった顔を跳ね上げ、ドレスの裾をバタバタと整えながら立ち上がった。
「お、お父様! こ、これは違いますの! 私たちはただ、お父様のお仕事の邪魔にならないよう、外でお茶の準備を……」
「お茶の準備をする者が、ドアに耳を擦り付けて盗み聞きをするのか?」
「うぅ……っ」
一瞬で言い訳を叩き潰され、アデライードはぐぬぬと絶句した。隣ではベアトリーチェが恥ずかしそうに頬を染めて俯き、アイリスも「申し訳ありません、旦那様……」と小さくなって震えている。
どうやら、翔が自分たちとの婚約について何を話すのか気になってたまらず、三人でドアにへばりついて盗み聞きをしていたらしい。
「……まったく」
公爵は、顔を覆って苦い顔をした。遠隔魔導書の向こうで、カノーヴァ伯爵も「……恥ずかしいところをお見せしましたな、翔殿」と頭を抱えている。
公爵は深々とため息をつくと、翔に向き直り、どこかわびしげに、しかし温かい眼差しを向けた。
「……見ての通り、少々お転婆が過ぎる娘たちだが……翔殿。どうか、末永くよろしく頼むぞ」
「ふふ……はい。喜んで」
翔は、顔を真っ赤にしながらも嬉しそうにこちらを見つめてくる三人娘を見つめ、心からの温かい笑顔で頷くのだった。




