第3話「眠れない夜」
売り先を三軒回って、全部で二十二ネルになった。
悪くない一日だ。食事代を払って、住居の月払いの積み立てに少し回して、残りを袋の底にしまい込む。それだけの作業を終えると、廃棄区画にはもう夜の気配が漂い始めていた。
路地に街灯はない。
商業区から漏れてくる明かりが、壊れた壁の隙間からわずかに差し込むだけだ。それに目が慣れてしまっているから、ソウマには不便に感じない。暗い場所で生きることに、とっくに慣れていた。
自分の住処に戻ろうとしたとき、路地の角にルドルフが立っていた。
腕を組んで壁にもたれかかり、何かを待っているような顔をしていた。ソウマの姿を見ると、顎をしゃくった。
「少し話せるか」
「立ち話でよければ」
「俺の店に来い。茶くらい出す」
ルドルフの修理屋は、廃棄区画の中では珍しく屋根と壁がちゃんと揃っている建物だ。入り口に壊れたガジェットが積み上げられていて、中に入ると機械油と金属の匂いが充満している。奥に小さな作業台があり、その隣に申し訳程度の椅子が二脚置いてあった。
ルドルフが古いポットで湯を沸かし始める。
ソウマは椅子に座って待った。
「今日の稼ぎは」
「二十二ネル」
「昨日より多いな」
「残骸が多かったので」
ルドルフが茶を二つ用意して、一つをソウマの前に置いた。湯気が立ち上る。スラムで飲む茶は、たいていどこか薄い。それでも温かいだけで十分だった。
しばらく二人で黙って茶を飲んだ。
ルドルフが先に口を開いた。
「今日のMVP集計、見たか」
「見ました」
「カラムが八百ネルだったな」
「そうですね」
「お前は今日、二十二ネルだった」
「知ってます」
ルドルフが茶を一口飲んだ。作業台の上の壊れたガジェットを眺めながら、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「ウォーリアになる気はないのか、本当に」
「ルドルフさん」
「聞け」ルドルフが珍しく、少し強い口調で言った。「俺はお前が心配だから言ってるんだ。残骸漁りで生きていくのに限界があることは、お前も分かってるだろう」
「分かってます」
「なら——」
「スポンサーがいないと話にならないと言いました」ソウマは茶を置いた。「支給の装備だけじゃ勝てない。勝てなければポイントが入らない。ポイントが入らなければスポンサーがつかない。つかなければ装備が揃わない。ぐるぐる回るだけです」
「最初は誰でもそうだ」
「最初に死んだら終わりです」
ルドルフが黙った。
否定できないからだ、とソウマには分かった。実際、スポンサーなしで戦場に出た新参の戦士が最初の戦闘で死ぬことは珍しくない。装備の差は、そのまま生死の差に繋がる。
「……そうだな」とルドルフはしばらくして言った。「そうだな、それはそうだ」
「分かってくれればいいです」
「ただ」ルドルフが顔を上げた。「お前には何かある気がするんだ。俺には説明できないが——なんというか、普通じゃない部分が」
ソウマは少し首を傾けた。
「普通じゃない?」
「残骸の目利きが、妙に鋭い。機械の構造を、教えた覚えがないのに理解している。荷物を担ぐ量が、お前の体格の割に多すぎる」ルドルフが腕を組んだ。「俺が防衛区にいた頃、同じような目利きをする人間を何人か見た。全員、ウォーリアだった」
ソウマは答えなかった。
「才能があるという話じゃない」とルドルフは続けた。「ただ——もったいない気がするんだよ、俺は。お前がここで残骸を漁り続けることが」
茶が冷めかけていた。
ソウマはそれを飲み干してから、立ち上がった。
「ありがとうございます」
「茶の礼か、話の礼か」
「両方です」
ルドルフが鼻を鳴らした。
「明日も早いなら帰れ。残骸は早い者勝ちだ」
「そうします」
店を出ると、夜の廃棄区画は静まり返っていた。
遠くで海の音がする。ネレイスは海の上に浮いているから、静かな夜には波の音が聞こえてくる。それが好きか嫌いかと言われたら、ソウマにはよく分からなかった。生まれた頃からずっと聞いてきた音だから、好きとか嫌いとか考えたことがない。
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自分の住処に戻ると、残骸の山が出迎えた。
ソウマの住処というのは、廃棄区画の隅にある半壊した建物の一室だ。屋根に穴が空いていて、雨の日は端の方が濡れる。それ以外は特に問題ない。壁があって、床がある。それで十分だった。
部屋の隅に、今日持ち帰ったパーツを並べる。
センサーユニット。エネルギーケーブル。装甲板の断片。売れなかった分だ。明日また別の売り先を当たってみる。
手を動かしながら、考える。
カラムが今日一日で稼いだ八百ネル。
セレストの六百五十ネル。
二人を合わせれば、一日で千四百五十ネルを超える。ソウマが一ヶ月かけても届かない数字だ。
装備の差がある。スポンサーの差がある。才能の差がある。
全部分かっている。
ルドルフの言葉が頭の隅に引っかかっていた。
——お前には何かある気がするんだ。
何があるというんだろう。残骸の目利きが鋭い。機械の構造を理解している。荷物を担ぐ量が多い。そんなことを言われても、ソウマには実感がなかった。ただ必要だからやってきただけで、特別なことだとは思っていなかった。
パーツを置いた。
天井の穴から、夜空が見えた。ネレイスの夜空は海霧で霞んでいて、星はほとんど見えない。たまに雲の切れ間から一つ二つ見えることがあるが、今夜はそれもなかった。
スラムから出る方法を、何度考えたか分からない。
商業区の仕事は三回試して全部弾かれた。ウォーリアになるにはスポンサーが要る。スポンサーを得るには実績が要る。実績を作るには戦場に出なければならない。出るには装備が要る。
ぐるぐる回る。
出口がない。
それでも——昨日も今日も、頭の中にあの映像が浮かぶ。
カラムが光球を打ち込む瞬間。衝撃点からアーマーが広がる一瞬。あの動作が、何度見ても目から離れない。
なぜだろう、とソウマは思った。
別の世界の話のはずなのに。
自分には関係ない話のはずなのに。
目を閉じた。
眠れそうになかった。




