「いいね」は承認ではなく、承認の予感だ
SNSがしんどい理由も、脳の側から少し見えてくる。
「いいね」が来るとうれしい。
反応があると気になる。
逆に、反応がないと少し落ち込む。
これは珍しいことではない。
けれど、ここでも本当に脳を動かしているのは、「承認された瞬間」だけではない。
もっと大きいのは、承認されるかもしれないという期待のほうだ。
投稿してから反応が来るまでのあいだ。
通知があるかもしれないと思ってアプリを開いた瞬間。
誰かが見てくれたかもしれない、と気にしている時間。
その「来るかもしれない」が、脳を何度も動かしている。
つまり、私たちが引っ張られているのは「承認」そのものより、承認の予感なのかもしれない。
しかもSNSでは、その予感が終わりにくい。
通知が来る。また誰かが反応したかもしれない。また確認したくなる。
この循環が、日常の中に埋め込まれている。
承認の予感は、終わりを作らない。
そして承認は、比較とくっついている。
友達の投稿、勉強垢、楽しそうな写真。
見たくないわけではない。けれど見れば、どこかで比べてしまう。
比べたくないのに、比べてしまう。
そして人は、自分にとって受け入れやすい情報に引かれやすい。
不安にぴたりと説明を与えてくれる言葉、自分の感覚を肯定してくれる投稿。
その「やっぱりそうだったのか」という手触りは、内容を吟味するより先に来る。
引き寄せられた感覚を、自分の判断だと思い込みやすい。
これもまた、脳の自然な性質だ。
SNSが疲れるのは、性格がひねくれているからではない。
承認と比較が、絶えず同時に起こる場に長く置かれているからだ。
またそこでは、受け入れやすい情報に引き寄せられる、という脳の性質まで働いている。
私自身も、SNSで副業の成功を発信する人を見るたびに、今の自分と比べて落ち込んだ経験がある。 見たくて見ているわけではなかった。
それでも、また開いていた。
承認を求めているのか、比較しているのか。自分でも分からないまま、手だけが動いていた。




