感情は波であり、意識とは別のものだ
第6章では、環境を変えることで反応しにくい条件を作る話をした。
しかし、環境を整えるだけでは届かない部分がある。
反応してしまった後、自分の中で何が起きているのか。
感情が動いたとき、それとどう向き合うのか。
その内側の話を、この章ではしたい。
まず、一つの前提を置いておきたい。
感情は、意識とは別のものだ。
感情は波に似ている。
外から来て、自分の中を通り過ぎていく。
怒り、不安、焦り、嫉妬、喜び。
それらは、自分が選んで起こすものではない。
気づいたときには、もう動いている。
一方、意識はその波を見ている側だ。波に飲まれることもある。だが、波そのものではない。
この区別が大事なのは、感情と意識を同一視すると、感情が動くたびに「自分がそう思っている」になってしまうからだ。
SNSを見て不安になった。それは感情という波だ。「自分はダメだ」という判断ではない。
人間は感情の動物だ。
感情なしに生きることはできないし、感情がなければ何も動けない。
だから感情を否定したいわけではない。
ただ、感情と意識の間に、ほんの少しの隙間を持てるかどうか。
その隙間が、内側の主導権を守る鍵になる。
仏教はこの構造を、ずっと前から説いている。
煩悩は人間の本性であり、消えるものではない。ただ、その煩悩を「自分そのもの」と同一視することをやめたとき、少し楽になれると説く。
感情という波に名前をつけて、眺める。それだけでも、呑まれ方は変わる。




