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「スマホ脳」のその先へ~高度洗脳社会を生きる~  作者: 三津朔夜
第7章 内側を整える――反応する自分と、どう向き合うのか

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感情は波であり、意識とは別のものだ

 第6章では、環境を変えることで反応しにくい条件を作る話をした。

 しかし、環境を整えるだけでは届かない部分がある。


 反応してしまった後、自分の中で何が起きているのか。

 感情が動いたとき、それとどう向き合うのか。

 その内側の話を、この章ではしたい。


 まず、一つの前提を置いておきたい。

 感情は、意識とは別のものだ。

 感情は波に似ている。


 外から来て、自分の中を通り過ぎていく。

 怒り、不安、焦り、嫉妬、喜び。

 それらは、自分が選んで起こすものではない。


 気づいたときには、もう動いている。

 一方、意識はその波を見ている側だ。波に飲まれることもある。だが、波そのものではない。


 この区別が大事なのは、感情と意識を同一視すると、感情が動くたびに「自分がそう思っている」になってしまうからだ。

 SNSを見て不安になった。それは感情という波だ。「自分はダメだ」という判断ではない。


 人間は感情の動物だ。

 感情なしに生きることはできないし、感情がなければ何も動けない。

 だから感情を否定したいわけではない。


 ただ、感情と意識の間に、ほんの少しの隙間を持てるかどうか。

 その隙間が、内側の主導権を守る鍵になる。


 仏教はこの構造を、ずっと前から説いている。

 煩悩は人間の本性であり、消えるものではない。ただ、その煩悩を「自分そのもの」と同一視することをやめたとき、少し楽になれると説く。


 感情という波に名前をつけて、眺める。それだけでも、呑まれ方は変わる。

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