第9節
エーデル嬢の心理描写になると、大抵アキト君の心配ばっかりしてる気がする…。
第9節
「って事で、俺の仲間も協力してくれることになったから」
「あの、なにからなにまでありがとうございます!」
フーカが感極まったように礼を言う。
ラングトン工房を後にしたアキト達は、再びフーカの家へと戻っていた。
この街と、セツカ老、そしてフーカ自身にまつわる話をした後、マサさんはこう言った。
『この事はお嬢には黙っていてくれませんかね。お嬢には俺達みたいな憎まれ役が必要なんです…』
裏でセツカ老の仕事を邪魔していた貴族の事を明かすわけにもいかず、さりとてそれを悟られるわけにもいかない。
フーカには自分たちの不遇の理由が分からないままでいて欲しい。
それが、セツカ老の願いでもあったし、この街の連中の総意だった。
アキトも、それを彼女に話すつもりは無い。
アキトの尊敬する人リストに、《セツカ=デュオ》の名はしかと刻まれているのだから。
(セツカさん…、貴方は本当に凄い人だ。十年もの間、一人の少女と、一つの街の為に嘘を吐き、騙し続けて来たんだから)
それを自分が今、無に帰すわけにはいかなかった。
嘘を吐き、騙す。
それは悪い事なのかもしれない。『優しい嘘』なんてのは偽善に過ぎないのかもしれない。
特に、それがバレれば。
けれど、彼は最後の最後まで嘘を吐き通した。
それはアキトの…否、彼の一族にとって目指すべき場所だから。
最後の最後まで、決してバレない嘘を吐き、《世界》を騙すのが彼らの辿り着くべき場所なのだから。
《真実》もまた、そこに辿り着く為の、一手段に過ぎない。
その点、セツカ老は凄かった。
『一人の少女と、一つの街』という《世界》を最後の最後まで騙して、護り通したのだから。
だから、アキトも嘘を吐く。一人の少女を騙し通す。
「仲間の一人が、操船に詳しいから、フーカが元気になったら教えて貰おう」
「はい!」
満面の笑顔でフーカが返事をしてくれる。
大きく頷き、その拍子に頭から帽子がずり落ちそうになるのを慌てて押さえるフーカを微笑ましく思いながら、アキトは静かに決意するのだった。
この『嘘』の優しい、終焉を。
永遠にバレない嘘など無い。《拝》ですらいまだに、その高みに到達出来てはいないのだ。
(その時、俺はフーカの傍に居よう。セツカさんの代わりに…)
ただ、彼女がその『嘘』を受け入れられる強さを手に入れるまで。
《風竜走》に参加する事が、それに繋がる。
そんな気がするアキトだった。
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「また、眠れないのか」
縁側に腰掛け、今宵も月を眺めていたアキトに、昨日と同じようにヒカルが声を掛ける。
アキトも、苦笑と共にヒカルに目を向ける。
「そう言うヒカルだって」
彼女も昨夜と同じ、ネグリジェ姿でアキトの隣に腰を降ろす。
しばし、美しい月を眺める、静かな沈黙が続く。
それを破ったのは、やはりヒカルだ。ヒカルはいつだって後回しにしたがらない。
やれる事、やるべき事を常に為してきた彼女らしいと思う。
「やはり、あの女に協力するのか」
「あの女って…、随分と嫌われたなぁ…」
ヒカルの言いように、思わず声に出して笑ってしまう。
折角なので、彼女がそこまでフーカを嫌う理由を聞いておくべきかもしれない。
これから、俺達は一丸となって《風竜走》に挑むべきだ。その為にも憂いを取り除く事は重要だろう。
「ヒカルはどうしてそこまで、フーカを目の敵にするのかな?」
「目の敵になどしていない。それではまるで、私があの女を意識しているみたいじゃないか」
「違うのか…」
てっきり、彼女が嫌いなのだろうな…と思っていたのだが。
どうやら、そういう事ではないらしい。
「じゃ、どうして…」
アキトの問いに、ヒカルはしばし間を作る。
そして、吐き捨てるように言った。
「あの女は、自分では何もしていないじゃないか。ただ寝転がり、助けを求めた上に、金を貸せ、力を貸せ、だ。気にしない方がどうかしてる」
「はは…、ヒカルらしいと言うか、何と言うか」
「アキトがおかしい、と言ってるんだ!!貴方は助けを求められたから、と言って路傍の石をいちいち拾い上げているようなものなんだぞ!? これまでも何度も言ってきたが、このままではアキトは、ただ貪り喰われるだけの存在に成り果てるぞ!」
ヒカルが危惧していたのはそれだった。
彼は優しい。優しいが故に、彼の自慢の眼と耳と鼻は、必要以上に彼を求める声を拾い上げる。
そうなれば最後、どんな事にも無自覚ではいられないアキトの事だ、それを片っ端から拾い集めていくだろう。
だが、彼の腕は二本しか無いのだ。この無力な自分と同じように。
物事には限度というものが有る。きっといつか、彼はそれらを抱えきれなくなるだろう事は容易に想像が付く。
そして、彼が意地でもそれらを手放そうとしない事も。
それをどうしても、彼に理解して欲しかった。
否、彼の事だ。とっくの昔に理解しているのだろう。
私はただ、彼の変節を望んでいるだけなのだ。
―――――自分が捨てられたくは無いから。
自分こそが、彼を貪り喰っている存在のくせに。
まるで、獣が自分の肉を盗られないように威嚇するかの如く、彼に当たり散らしていたのだから。
心の中は、一つの想いでいっぱいいっぱいだ。
すなわち、
―――――その女と、私と。どちらが大切なのか。
嫉妬…とは少し違う。
そんな事で、やきもちを妬くくらいなら、彼が三人も女性を愛している時点で文句を言っている。
私はただ、彼の隣に居られればそれで良いのだ。それがどんな形であろうと。
私が真に恐ろしいのは、それが叶わなくなってしまうことだ。
彼の腕から、拾い上げた石の代わりに、転げ落ちてしまう事だ。
まるで椅子取りゲームだ。限られたその場所を奪い合い、負ければ居場所を失い転げ落ちる。
そして、椅子に座れた連中だけが、テーブルの上に並べられた『彼』を貪り喰らう事が出来るのだ。
想像しただけで恐ろしい。
転げ落ちた私は、それでも必死に叫ぶのだ。
『それは私のものだ!!』
と。
『お前たち如きが、彼を口にする権利も無い!!』
と。
浅ましいと、愚かしいと、人が見たなら言うかもしれない。
けれど、私はそうは思わない。
私には、もうそうするしか生きる術が無いのだから。
それを含めて、私を受け入れてくれた彼に、縋って生きるしかないのだから。
私は必死にその椅子に、彼の隣に座り続けるしかない。
だから、私は彼の変節を願う。浅ましくとも。愚かしくとも。
だが、それを知ってか知らずか、彼は鼻の頭を掻きながら、苦笑しているのだった。
「なんだか、ヒカルは俺の事を過大評価しすぎな気がするんだが」
「そんな事は無い」
「いやいや、有るよ。俺はヒカルが言うほど善人じゃないし」
このお人好しをして、『善人』と言わないのであれば、どんな人間が『善人』と呼べるのだろうか。
そういう想いを込めて、彼を睨む。
だが、やはり彼は苦笑するのだ。
「俺は善人じゃないよ。 極悪人ってわけでも無いけど、非道ではあるかな」
「自分の事は往々にして見えないものなんだな」
にべにも無いヒカルの調子に、アキトは溜息を吐く。
「俺はちゃんと自分に出来る事と出来ない事の区別は付けてるつもりだよ。むしろ、付けてるからこそ、俺は『善人』じゃない」
「――、む」
何か言いたげなヒカルを手で制し、言葉を続ける。
「今回の事だって、助けられるから助けるだけだよ。それは特別な事じゃ無い。出来るから、やる。それだけ。褒められる所なんて全然無い。それどころか、やらなかったら責められても仕方が無い」
ヒカルの眼に俺が誰でも助けるような人間に見えてるのは、ただ俺の『出来る事』が普通の人より多いってだけの事なんだよ―――、と彼は言う。
「《拝》の業もそう。俺達がやらなくちゃ、《世界》が偏るからやってるだけ。ま、偏ったからって、どうなる訳でもないんだけどね」
せいぜい文明が停滞する程度―――、という彼の呟きは誰の耳にも入らなかった。
けれど、アキトの言い分にヒカルはとうとう我慢できずに口を出す。
「では、アキトが《死の霧》を祓ってくれたのはどうなんだ!?あの時、貴方は大火傷を負ってまで水竜を助けてくれたじゃないか!?」
だが、アキトは自嘲的な笑みを浮かべるだけだ。
「ヒカルは《死の霧》との戦いしか見て無いからそう言えるんだよ。言っただろ?俺の世界に居た《アレ》はもっと小さかった、って。だから、いつもなら『虐殺』と言って良い程、一方的に終わるんだ。あの時はたまたま、ああだっただけで」
そう言って、彼は笑う。
「まあ、あれほどの大火傷でも、数日で完治してしまうんだから、無茶とは言わないけどね」
そんな彼に、ヒカルは愕然としてしまう。
彼は、自分の『出来る事』が普通の人より多いだけ、と言った。
それは確かに本当だ。彼は《拝》の力を持ち、普通の人間よりも、多様で困難極まりないことを、平然とやってのける。
そう、やってのけるのだ。
考えてもみて欲しい。『出来る』と『やる』は違うのだ。
募金に例えると分かり易いかもしれない。
使うアテの無い貯金が有ったとする。けれど、あなたはそれを全て募金するだろうか。
する、と言う方には申し訳ないが、『普通の人』はしない。
『出来る』と云う事と、『する』と云う事は別物なのだから。
だが、彼は違うのだ。
彼にとっては、『出来る』と『やる』は同じなのだから。
彼はその募金で救われる人の声を聞いてしまえば、躊躇なく全財産を投じてしまうだろう。
まさしく今回のように。
確かに私はアキトを過大評価していた。
私は彼をもっと『普通』の人間だと思っていたのだ。
少々他に構い過ぎる所は有るものの、それも彼の善性から来るものだと思っていた。
だから、ほんの少し、本当に僅かでも自制してくれれば、と思ったのだ。
けれど、事態はもっと深刻だった。
ヒカルが思う以上に、彼には際限や限度というものが無い。ついでにその自覚も無い。
危うい。なんと危うい存在なのだろうか。狂っていると言ってしまっても良い。
けれど、私はこう言うのだ。
「そうか…」
それだけ。
どこか気の抜けたような気分で、それだけを呟いた。
例え、彼が危うかろうと、狂っていようと、自分の気持ちが変わることが無いと知ってしまったが故に。
そんな彼を愛おしく思う自分も、きっとどこか壊れてしまっているに違いない。
ならば、壊れている者同士、最後の最後まで共に在ろう。そう誓うのだった。
そんな二人を、欠けた月だけが見守っていた。
そういえば、《死の霧》以外の《アレ》との戦闘はまだ書いてませんでしたね。
その内、入れたいと思いますよ。ヒカルの鍛錬の成果を見るついでに。




