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死に至る罪  作者: 影沼 蓮


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6/14

愚者の日常(前編)

都内から少し離れた住宅街。

古びた二階建てアパートの一室で、三宅光男はぼんやり天井を見上げていた。


カーテンは閉まりきっていない。

隙間から差し込む午後の日差しが、畳の上に細く伸びている。


埃の薄く積もったテレビからは昼のワイドショーが垂れ流されている。

――芸能人の不倫だの、政治家の失言だの、誰かの炎上だの……


内容は光男の頭にとどまることはなく通り過ぎていく。

ただ、空虚な笑い声や音だけが部屋に充満する。


六畳一間。

古い冷蔵庫。

積み上がったコンビニ弁当の容器。

干しっぱなしの洗濯物。


鼻をつくほどではないが、生活が少しずつ淀んでいる匂いがする。

三宅は気だるそうにゆっくり起き上がった。


腰に鈍い痛みが走る。


「……っ」


小さく顔をしかめる。

もう何年も付き合っている痛みだった。


10年ほど前だろうか…40代初め、工場で荷物を運んでいる頃だったと思う。

最初は軽い違和感だった。だが無理を重ねるうちに悪化し、気づけば長時間立つと気になるぐらいにまでなっていた。

――このまま働き続けるのは無理だと判断し会社を辞めた。



再就職はうまくいかなかった。


年齢。

腰痛。

資格なし。

特別な技術もない。


派遣をいくつか回ったが、どれも長く続かなかった。



そして―――今はといえば。

生活保護を受けて働かずに暮らしている。



三宅は机の上の煙草へ手を伸ばしかけ――止めた。

残り二本。

次の支給日まで、あと四日。


「……はぁ」


力なく息を吐く。

腹は減っていた。だが何かを作る気力はない。


冷蔵庫を開ける。

ペットボトルのお茶。

半額シールの豆腐。

昨日の残りの総菜。


光男は少し考えたあと、力なく扉を閉める。


―――面倒くせぇ。


その時、机の上のスマートフォンが震えた。

のっそりと手に取り画面を見る。


『本日14時に伺う予定です。よろしくお願いします。』


ケースワーカーからだった。

三宅は顔をしかめる。


「……今日か」


忘れていた。

いや、忘れたかった。


時計を見る。13時40分。


三宅は舌打ちし、小さく伸びをする。

散らかったテーブルを少し片付け、空き缶をまとめる。


別に見栄を張りたいわけではない。

ただ、“完全に終わってる人間”だと思われたくなかった。


おおかた片づけたころ――雑物を端に避けただけだが――チャイムが鳴った。

三宅は重い身体を引きずって玄関へ向かう。


心底面倒そうに扉を開ける。


「こんにちは、三宅さん」


二十代後半くらいの若い女だった。

少しだけ体にフィットした、こざっぱりしたスーツ姿。

服装にはちょっと似つかわしくない疲れた笑顔で挨拶をしている。


担当ケースワーカーの高瀬だった。


「あぁ……どうも」


「体調どうですか?」


「まぁ……ぼちぼち」


どこでも交わしている、定型と言っていいあいさつの後、高瀬は慣れた動きで部屋へ入り、書類を取り出す。

三宅はなんとなく居心地悪そうに座った。


「最近、お仕事探しのほうはどうです?」


――来た。

光男は曖昧に視線を逸らす。


「いやぁ……ちょっと腰が」


愛想笑いとも苦笑ともつかない顔で、へへへ……と曖昧に笑う。


「短時間の軽作業でも大丈夫ですよ」


優しい声だった。責めているわけではない。

光男を気遣った言葉だが――それが逆に辛い。


「今、年齢高めの方向けの支援制度もありますし――」


高瀬は一生懸命だった。真面目なのだろう。

生活保護から抜け出すことを光男も望んでいる――そう信じて救いの手を伸べようとしている。


三宅にもそれは分かる。


だが。

話を聞いているだけで疲れる。


働く。

面接。

履歴書。


また落ちるかもしれない。

またダメかもしれない。

その“また”を想像するだけで、身体が重くなる。


「……まぁ、そのうち」


三宅は小さく返した。

高瀬は少しだけ寂しそうに笑う。


「無理にとは言いません。でも、三宅さんならまだ――」


まだ。


その言葉が妙に引っかかった。


まだ働ける。

まだやれる。

まだ戻れる。


―――本当に?


三宅は曖昧に頷きながら、頭の奥で別のことを考えていた。


――もう、疲れたんだよ。






光男には長く感じた面談が終わった頃には、外は少し曇っていた。

小一時間の面談だったのに天気はすぐに変わったようだ。


光男は息苦しさを振り払うためにアパートを出る。

――部屋にいると息が詰まる。

が、特に行く場所もない。


行く当てもない光男の足は自然と近くの公園へ向かっていた。


平日の昼下がり。

人は少ない。

公園の隅にあるボロボロのベンチに腰掛け、道すがら自販機で買った缶コーヒーを開ける。


温い。


空を見上げる。灰色――光男の心のようにどんよりとしている。


「よう」


低い声が横から投げられる。

三宅は視線だけ動かす。自分にかけられた声だったのか――


大柄な男だった。

灰色のパーカー。

ぼさぼさの髪。

眠そうな目。


最近、たまに見かける男。

名前は知らない。

だが、なぜか拒絶しようとは思えない。


男はコンビニ袋を脇に置き、さも当然のように光男の隣へどかっと座る。


「また役所か?」


「……まぁな」


男は小さく笑う。


「真面目だなぁ」


「別に真面目じゃねぇよ」


三宅は缶コーヒーを手で弄びながらぼそっとつぶやく。


「働け働けって言われるだけだ」


「働きたいのか?」


「……いや」


即答できなかった。

男はそれ以上聞かない。


そこが楽だった。


沈黙。

風が吹く。

遠くで子供の声。


男は缶コーヒーを開けながら言う。


「まぁでも、今さら頑張ってもなぁ」


三宅ははっと視線を向ける。


男は気怠げに続けた。


「真面目にやっても、損する時は損するし」

「身体壊したら終わりだし」

「頑張ったから頑張った分、報われるわけでもねぇ」


その言葉は、不思議と胸に馴染んだ。

慰めではない。

励ましでもない。


ただ――

“そういうもんだろ”と、世界を諦めている声だった。


三宅は小さく笑う。

乾いた笑い。


「はっ……まぁ、そうなんだよな」


男は公園の中心のほうを向いたままゆっくり頷く。


「だったら、無理しなくてもいいんじゃねぇの」


少し冷えた風が吹く。

公園の木々が揺れる。


三宅は何も答えなかった。

――だが。


その言葉は、静かに胸へ沈んでいった。


まるで。

長い間立ち続けていた身体が、

ようやく座る理由を見つけたように。


「――ありがとな。聞いてくれて。」

「じゃぁ―――帰るわ。」


立ち上がるのにも時間をかけ、光男は力ない足取りで家路に向かう。



息苦しい空気が、もう自宅に残っていないことを祈りつつ――。




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