嫉妬と怠惰の合間
都内から少し離れたJR埼京線沿いの高架下。
終電もとうに過ぎた深夜――人通りはほとんどない。
高いコンクリートの柱にもたれ、黒光りするようなショートヘアを揺らすことなく、女は煙草を咥えていた。
火は――ついていない。
咥えてはいるものの、火をつけることも忘れているのか…どこともなく虚空をぼんやりと見ている。
「珍しいな、おい」
それはとても低い声だった。
女は視線を斜め下に移していく。
少し離れた自販機の横――大柄な男が座っている。
灰色のパーカーは少し毛羽立ち、袖口などは伸びていた。
無精髭にぼさぼさの髪は、見かける場所によってはホームレスに見えなくもない。
座っていても体躯は大きく、おそらく190㎝近くはあるのではないか。
背中を丸めて座っているのに、なんとなく近づきがたい危険な雰囲気を醸し出している。
だが――その目だけは妙に眠たげで。
世界のほとんどに興味がないようにも見える。
「あんたが――そんな顔をしてるところは初めて見たぜ」
男はめんどくさそうに缶コーヒーを開ける。
ぷしゅっ――
炭酸でもないのに、その音だけが妙に響いた。
女――レヴィアタンは見下すように男を見据えたまま答えない。
男はそれを特に気にした様子もない。
「失敗かよ?」
「違います」
即答だった。反応が早すぎると言ってもいいぐらい。
男は片方の口元だけをゆっくり上げる。
「嫉妬は――消えない」
レヴィアタンは夜の街を見上げる。
「不足はなくならないし、比較も…羨望も――絶対に消えない」
淡々と。
確認するように。
「人間は、自分にないものを見続ける生き物です」
それは確信だった。
長い時間、人間を見続けてきた存在の断言。
「…だろうなぁ」
男は気怠げに頷く。
興味が薄い――だが否定もしない。
「だから、気に入らないんです」
レヴィアタンの声が、わずかに低くなる。
「持っていないくせに」
「奪われたこともあるくせに」
相馬恒一の顔が脳裏をよぎる。
「なぜ、ああなるんです」
男は少しだけ目を見開く。ほんの僅かに。
「……あぁ」
そこでようやく理解したように。
「人間に負けたのかぁ」
ベルフェゴールは、少しだけ愉快そうに喉を鳴らした。
「そりゃぁ、気に食わねぇわな」
沈黙。
高架を生ぬるい風が通り過ぎる。
レヴィアタンは答えない。
だが否定もしない。
男は小さく笑った。
「くっくっく……珍しいねぇ」
「うるさいですね」
レヴィアタンの声には、微かな苛立ちが混じる。
男は気にせず缶を傾けた。
「――まあ、でも」
「別にいいじゃねぇか」
眠そうな声。
「一人ぐらいどうってことねぇ」
「……」
「どうせ、人間は怠ける」
男はぼんやりと前を見る。
「楽な方へ流れるし、見ないふりもする」
「自分じゃ変えられないって顔して止まる」
その声には確信があった。
レヴィアタンとは別種の。
もっと淀んだ確信。
「怠けている間に、別の狡いやつらに出し抜かれる」
男は笑う。
重く。
鈍く。
「頑張っても報われない」
「真面目なやつほど損をする」
「そういうのって…人間は大好物だろ?」
レヴィアタンは黙って聞いている。
男は続ける。
「だから、止まる」
「考えなくなる」
「動かなくなる」
缶コーヒーを飲み干す。
「見て見ぬふりは―――楽だろうしなぁ」
空き缶を足元へ転がす。
カラン、と乾いた音。
「……ベルフェゴール」
レヴィアタンが低く呼ぶ。
男は眠そうに視線を向けた。
「あなた、本当に人間が嫌いなんですね」
ベルフェゴールは少しだけ考える。
「――嫌いというか」
間。
「期待できねぇだけだな」
静かな返答だった。
レヴィアタンは目を細める。
価値観は違う。
やり方も違う。
だが、根は同じだ。
人間の弱さを信じている。
それだけは、共通していた。
遠くでサイレンが鳴っている。
夜はまだ――終わらない。
街のどこかで今も嫉妬が生まれ、
諦めが育ち、誰かが少しずつ沈んでいく。
二人は、それを知っている。
そして。
止めるつもりなど、最初からない。
それこそが――
彼らの“在り方”なのだから。




