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死に至る罪  作者: 影沼 蓮


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止まる。(後編)

翌朝。


高瀬は目を覚ます。

いつも通り、変わり映えのない天井。


時計を見る。7時過ぎ。

まだ十分仕事に間に合う時間だ。


高瀬はゆっくりと身体を起こした。

洗面所へ向かい、顔を洗う。


鏡を見る。――ひどい顔だった。

目の下には濃い隈ができている。

頬も少しこけて見えた。


鏡越しに見えるのは、ソファに放り投げられたスーツ。


着なければ。

職場へ行かなければ。


そう思う。

だが―――どうしても身体が動かない。


皺の寄ったスーツを見つめる。


数分―――いや、数十分だったかもしれない。

気が付くと高瀬は床に座り込んでいた。


そんな時、スマートフォンがテーブルの上で震える。

のそのそとテーブルまで歩いていき、画面を確認した。


上司。


しばらくは不快な音を鳴らし―――切れる。

また鳴る。切れる。


同僚まで。


留守電通知。未読メッセージ。

通知が積み上がっていく。


高瀬は画面を伏せた。

怖かった。


怒られることが。

責められることが。

期待されることが。


何より。

担当している受給者たちの顔を見ることが―――怖かった。


三宅さんも……こんな気持ちだったんだろうか。

ふとそんな考えが浮かぶ。


動かなければならない。

――それは分かっている。

分かっているのに――動けない。


ただ時間だけが過ぎていく。

気付けば昼になっていた。


その日の夕方。

高瀬はふらふらと外へ出た。

部屋にいるのも苦しかった。


目的地は決めていない。ただ歩く。


しかし気付けば――三宅が住んでいたアパートへ来ていた。


二階。

かつて三宅が住んでいた部屋の前。

見知らぬ男がいる。いや――見たことはある。


黒いスーツ。

短く刈った髪。

鋭い目。


確か―――近藤という男だった。


男は何枚かの書類を確認している。

その横では業者らしい人間が部屋の荷物を運び出していた。


高瀬は思わず声を掛ける。


「……何をしてるんですか」


近藤は振り返る。


「あ?」

「何って、後始末だよ」


それだけだった。

近藤はすぐに手元の書類に視線を戻す。


部屋からは古い布団が運び出される。

衣類。

雑誌。

段ボール。


生活の痕跡が次々と消えていく。


高瀬は拳を握った。


「……人が死んだんですよ」


近藤は書類から目を離さない。


「知ってる」


終わりだった。

高瀬は苛立つ。


「何とも思わないんですか!?」


近藤はペンを止めて高瀬を見る。


「じゃあなにか?俺も一緒に泣いてりゃ満足か?」


数秒、考えるように空を見る。


「思うよ――だから、次に行くんだろ」


意味が分からなかった。

高瀬は眉をひそめる。


「どういう――意味ですか」


「そのまんまだ」


近藤は肩をすくめる。


「死んだ人間は戻らねぇ」

「だから片付ける」

「契約も処理する」

「次の入居者も探す」


淡々とした声。

そこに感情は見えない。


「そんなの……」


高瀬は言葉に詰まる。


冷たい。


そう言いたかった。

だが近藤は続けた。


「止まったら食えねぇんだよ。泣いても仕事は減らねぇ」

「誰かがやらなきゃならねぇことは残る」


生ぬるい、ゆるやかな風が吹く。

古いアパートの廊下が、業者の無遠慮な作業で軋んだ。


近藤は煙草を取り出し、火をつける。

そして言う。


「別に立派な話じゃねぇ」

「俺は善人じゃない。仏様でもねぇ」


うざったそうに煙を大きく吐きながら。


「ただ自分の仕事をやってるだけだ」


高瀬は何も言えなかった。


近藤は正しくない。

人助けなんて考えていない。

救済も信じていない。

理想も持っていない。


それなのに―――立っている。

前へ進んでいる。


私はどうだ。


人を助けたいと思っていた。

正しいことをしたかった。

誰かを救いたかった。


でも――三宅は死んだ。

自分は止まった。


いやでも気付かされる。


この近藤という男のようにはなれない。

何かを背負って生きることが、私には無理だった。


高瀬は軽く会釈をし、俯いたまま階段を降り―――また、あてもなく歩き始める。

近藤は、高瀬がいなくなっていることに気づかないまま作業を指示していた。




高瀬はその日、夜遅くに帰宅した。


――散らかった部屋。洗濯物の山。

開けてもいないコンビニ弁当は、消費期限が昨日だった。

留守電通知。未読メッセージ。


高瀬はその場に座り込んだ。

もう片付ける気力もなかった。


ふと―――隣を見る。


あの男がいた。

いつからいたのか分からない。

だらしなく胡坐をかいている。


高瀬は驚くこともなく、なぜかその男がいることを受け入れた。


何も言わない。

ただそこにいる。


しばらく沈黙が続く。

やがて―――男が呟いた。


「疲れたなぁ」


高瀬の肩が震える。

涙が――落ちる。

止まらない。


「……もう無理です」


絞り出すような声だった。

男はゆっくり頷いた。


責めない。

慰めない。


ただ。


「知ってる」


とだけ言った。





翌朝。

スマートフォンが鳴る。

上司からだった。


鳴る。


鳴る。


鳴る。


高瀬は布団の中で目を閉じる。

身体は動かない。


いや―――動かそうとしなかった。


やがて着信音が止む。

静寂。


窓際では大男が煙草を吸っている。

朝日が逆光になって顔は見えない。


ただ声だけが聞こえた。


「おやすみ」


高瀬は返事をしなかった。

ただ目を閉じ続けた。



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