第七十一話 思い出せぬ夢
死神は完全に消えた。
アリスは静かに息を吐く。
(終わった……わたしの役目は……ここまで)
黒紫と金の光がアリスの身体を包み、その輪郭がゆっくりとほどけていく。
アリスは微笑んだ。
「アレス……エリス……あとは、あなたたちに返すね」
光が弾け、アリスの姿は半身の二つに分かれた。
ひとつは、金色の光――アレス。
もうひとつは、黒紫の光――エリス。
二人は静かに立ち上がった。
エリスはアレスに声をかける。
「……お主の仲間、ちゃんと守れたな」
アレスは小さく頷いた。
「ありがとう、エリスさん」
エリスは肩をすくめる。
「礼などいらぬわ。あの子ら……特にヴェスタは、お主が守りたいと思った子じゃろう?」
アレスは笑って応えた。
「うん。だから……帰ろう。みんなのところへ」
エリスは満足げに目を細めた。
「そうじゃな。記憶の処理も、まだ残っておるしのう」
二人はヴェスタを見つけて抱きかかえると、亜空間の裂け目へと歩き、現実世界へ戻っていった。
◆
風の音。
木々のざわめき。
鳥の声。
ネプトはゆっくりと目を開けた。
「……ん……ここ……森……?」
隣でディアナも目を覚ます。
「え……? わたしたち……歩いてたはずじゃ……?」
二人は周囲を見回すが、何も起きていない。
ただ、森の中の柔らかな光だけがあった。
少し離れた場所で、ヴェスタも目を覚ます。
「……あれ……? わたし……寝て……?」
胸に手を当てる。
(怖かった……でも……最後に……誰かが……わたしを抱きしめて……『もう大丈夫』って……)
その感覚だけが、鮮明に残っていた。
だが――
誰に助けられたのかは思い出せない。
「やっと起きたね?」
木陰からアレスが姿を現した。
三人は驚く。
「アレスさん!? いつからそこに……?」
アレスは肩をすくめた。
「ついさっきだよ。みんなが倒れてたから、周囲を警戒してた」
ネプトが眉をひそめる。
「倒れてたって……俺たち、何があったんだ?」
アレスは淡々と説明した。
「森の奥で『眠りのガス』が噴出したみたいだ。睡眠魔法に近い効果があって、みんなまとめて眠らされたんだろうね」
ディアナは首をかしげる。
「でも……夢を見た気がする……誰かに助けられたような……」
アレスは笑った。
「夢だよ。ガスの影響で、強い幻覚を見ることもあるからね」
ヴェスタは胸に手を当てたまま、小さく呟いた。
「……夢……でも……あの温かさ……本当に……夢だったのかな……」
アレスは優しく微笑む。
だがすぐに三人を見渡し、真剣な表情で言った。
「大丈夫。幸い、怪我はないし。訓練は続行するけど――森にはまだ何があるか分からない。油断しないように進もう」
ネプトは拳を握る。
「……ああ。気を引き締めるぜ」
ディアナも頷く。
「次は……絶対に不意を突かれない」
ヴェスタは胸の奥に残る救われた感覚を抱えたまま、小さく頷いた。
「……はい。わたし……頑張ります」
アレスは気を入れ直して音頭をとる。
「よし。じゃあ行こうか」
四人は森の奥へと歩き出した。
アレスは最後方につき、エリスと頭の中で静かに会話を続ける。
(ネプトとディアナの記憶の改変も問題なかったようじゃな。ヴェスタは、やや残留思念が強いようじゃが、支障は出ないじゃろう)
アレスは深く息を吐いた。
(ありがとう、エリスさん。でも……境界魔法なんて、こんな力聞いたことない)
エリスもこの力には、やや当惑している様子であった。
(前にも言ったが、白黒魔法の同時展開は想定しておった。じゃが、それらを重ねて、境界魔法などという存在にまで昇華できるとは……アリスという存在は、わらわたちが重なったもの。お主が仲間たちを守りたいと思ったから、アリスは戦い、新たな力を編み出すことができたのかもしれんのう)
アレスは森の奥を見つめる。
(……また必要になる時が来るのかな)
エリスは眉をすくめた。
(さあな。じゃが――その時はまた、二人の力をひとつに集めなければならん場面じゃろう。お主にとっては、避けたい展開だろうが……)
アレスは小さく苦笑いした。
(うん。でも、みんなを守れるのならその時は……また頼むよ、エリスさん)
エリスは満足げに頷いた。
(もちろんじゃ)
二人はみんなの後を追い、森の影へと消えていった。




