第七十話 境界はすべてを断つ
オルクスが一歩踏み出した瞬間、アリスの視界が「黒」に染まった。
(……空間が……死んでる……?)
オルクスの周囲の空間は、色も、音も、温度も、すべてが消えていた。
まるで存在そのものが削り取られたような領域。
「これが『死の領域』。生も魔も、存在すら許さぬ空間だ」
アリスは歯を食いしばる。
(この領域に触れたら……わたしの魔力も……身体も……全部、消される……)
オルクスは翼を広げ、空間を切り裂くように飛び込んできた。
「消えろ、アリス」
アリスは両手を広げ光と闇の魔法を重ねると、境界の風を呼び起こす。
「境界展開!」
黒紫と金の線が空間に走り、死の領域と衝突する。
亜空間が大きく歪み、空間の壁が砕けるような音が響く。
アリスの身体が後方へ吹き飛ばされる。
(……重い……! 死の領域は、ただの魔力じゃない……概念そのもの……でも――負けない)
アリスは空中で体勢を立て直し、オルクスを睨みつけた。
「あなたの『死』がどれほど強くても……わたしはアレスの『生』を継いでる。エリスの『魔』も宿してる。だから――」
アリスの髪が光を帯びる。
「境界は、死にも生にも染まらない!」
オルクスが再び突撃する。
死の領域が空間を削り、アリスの魔力を飲み込もうと迫る。
アリスは拳を握りしめ、境界の力を全開にする。
「境界解放!」
黒紫と金の光が爆発し、死の領域と正面からぶつかり合う。
空間が裂け、霧が吹き飛び、二つの概念が激突する。
死とその境界。
どちらも絶対の力。
どちらも譲らない。
オルクスの声が響く。
「境界など、死の前では無力だ! その向こうの死に、誰もがたどり着く」
アリスは叫ぶ。
「境界は――死をも断つ!」
二人の力がぶつかり合い、亜空間が崩壊寸前まで歪む。
オルクスの死の領域”広がり、亜空間の色が黒く塗りつぶされていく。
アリスは境界の力で必死に押し返すが、死の概念そのものを相手にするのは容易ではなかった。
(……重い……死の領域は、ただの魔力じゃない……存在そのものを削ってくる……このままじゃ……)
オルクスの声が響く。
「どうした、アリス。人間の力を継いだと言う割には……その程度か」
アリスの胸が痛む。
(アレス……私の中で生きようとするあなたなら……どう戦うの……? どうやって、この死に立ち向かったらいいの……?)
その瞬間――アリスの視界が白く染まった。
白い光の中で、アリスは誰かの視点を感じた。
それはアレスの視界。
アレスの感覚。
アレスの心。
アレスがオルクスと戦った時の記憶が、断片的に流れ込んでくる。
――死神の刃が迫り、身体が動かない恐怖。
――でも、退かないのは守りたい人がいるから。
――だから、生きる。
――生きるために、死に抗う。
アリスの胸が熱くなる。
(アレス……あなたは……怖かったんだね……でも、それでも前に進んだ……『生きる』ために……『守る』ために……)
記憶の中のアレスが、静かに呟いた。
――境界は、生と死の間にある。
――だから、死にも生にも染まらない。
――境界は、どちらも断つ。
――それが……僕たちの魔法の本質だ。
アリスの心に、アレスの意志が深く刻まれる。
(……境界は……死を拒絶する力……生を守る力……その両方を持っている……なら――)
白い光が弾け、アリスは現実へ引き戻された。
目の前の死の領域が、アリスを飲み込もうとする。
だが――
アリスの瞳はもう揺れていなかった。
「オルクス。あなたの死は強い。でも――」
アリスの髪が光を帯び、黒紫と金の光が渦を巻く。
「境界は、死にも生にも染まらない。だから――どちらも断てる!」
オルクスの動きが止まる。
「……何?」
アリスは両手を広げ、境界の風を最大限に呼び起こした。
「アレスの光と、エリスの闇。二つの力がわたしの中で重なった今――境界は『完全な形』になる!」
亜空間が震え、アリスの足元に巨大な魔法陣が展開する。
黒紫と金の線が複雑に絡み合い、まるで世界の理そのものを書き換えるような紋様を描く。
オルクスが警戒する。
「……その魔力……まさか……混合魔法の……」
アリスは叫んだ。
「境界奥義ッ!!!!」
アリスの周囲の空間が一瞬、完全に静止した。
音も、光も、霧も、死の領域すらも――止まった。
次の瞬間、アリスの前に一本の線が走った。
黒紫と金が混ざり合い、しかし決して混ざらず、
ただ境界として存在する線。
その線が、オルクスの死の領域を真っ二つに裂いた。
「なっ……!」
死の領域が悲鳴を上げるように崩れ、オルクスの身体が二つに裂ける。
アリスは静かに呟いた。
「境界は……すべてを断つの」
オルクスは崩れ落ちながらアリスを見つめた。
その瞳には、初めて驚愕が宿っていた。
「……馬鹿な……死の領域を……断った……?」
アリスは構えを取り直す。
「アレスが教えてくれた。境界は、生と死の間にある。だから――どちらにも負けない」
オルクスは低くうめき声をあげると、跡形もなく消え去った。




