第六十九話 本物の力と本質の力
ヴェスタを隔離し終えた瞬間、亜空間は「戦場」としての本性を露わにした。
黒紫の霧が渦を巻き、金色の光が稲妻のように走り、空間そのものが呼吸するように脈動している。
アリスはゆっくりと息を吸い、胸の奥でアレスの意志とエリスの魔力が重なり合うのを感じた。
対するオルクスは、まるで舞台の幕が上がるのを待っていたかのように、静かに、しかし確実に死神の気配を濃くしていく。
オルクスの足元から黒い霧が立ち上り、それは瞬く間に亜空間全体へ広がった。
「……ようやく邪魔が消えたな。ここからは――殺し合いだ」
その声は低く、しかし空間の奥底まで響くような重さを持っていた。
アリスは眉をひそめる。
(……空気が重い。これが死神の本気……? アレスの時よりも、ずっと濃い……)
オルクスの魔力は、死そのもののように冷たく、触れれば魂ごと凍りつくような質を持っていた。
黒い霧が形を変え、巨大な鎌のような刃がオルクスの背後に浮かび上がる。
「アレス・オリンの影よ。お前がどれほどの力を持とうと――死は覆せぬ」
アリスは静かに首を振った。
「影じゃない。わたしは――アリス」
アリスの足元から、黒紫と金の光が同時に噴き上がった。
金はアレスの「光」の輝き。
黒紫はエリスの「闇」の深さ。
二つの魔力が混ざり合い、境界そのものが震える。
「あなたを倒す。仲間に危害を加えたあなたを許さない!!」
その瞬間、アリスの髪が風もないのに揺れ、朝焼けと夜の境界のような色が亜空間に反射した。
オルクスの目がわずかに細まる。
「……その色。その魔力。やはり『あの二人』の影響か」
アリスは微笑む。
「影じゃないって言ってるのに」
オルクスが一歩踏み込んだ。
そのとき、亜空間が金切り声を上げた。
空間が裂け、黒い刃がアリスの首元を狙う。
速い。
視界から消えるほどの速度。
だが――アリスの身体は自然に動いていた。
(来る――!)
アリスは半歩だけ後ろへ下がり、刃を紙一重で避ける。
風圧だけで頬が切れた。
オルクスは笑う。
「避けるか。ならば――これはどうだ」
黒い霧が一斉に形を変え、数十本の刃となってアリスを包囲する。
アリスは息を吸い、指先を軽く払った。
「守護防壁」
黒紫と金の線が空間に走り、オルクスの刃をすべて弾き返す。
金の線は聖なる力で、黒紫の線は魔の力で、二つが交差するたびに空間が震えた。
オルクスは刃を引き戻しながら言う。
「なるほど。アレスの白魔法と、エリスの黒魔法……二つを同時に使うか」
アリスは笑む。
「私の力は二人の力そのものなんだから、当然でしょ?」
オルクスは首を傾げる。
「だが――その力は借り物だ。本物には勝てぬ」
アリスの瞳が鋭く光る。
「借り物じゃないよ。わたしのは本物だもん。だから――負けない」
オルクスは笑った。
「ならば証明してみせろ。その『本物の力』とやらで――死を超えてみせろ!」
オルクスが再び踏み込む。
今度は速度だけでなく、死の圧が空間を押し潰すように迫る。
アリスは両手を広げ、光の波動を呼び起こす。
「神聖光弾――!」
黒紫と金の光が爆発し、二人の間で衝突した。
亜空間が大きく歪み、空間の壁が砕けるような音が響く。
オルクスの刃がアリスの肩をかすめ、アリスの光弾がオルクスの胸を打つ。
互いに一歩も引かない。
オルクスは後退し、胸元の傷を指でなぞった。
「……面白い。本当に借り物ではないようだな」
アリスは肩の傷を傷部回復で治しながら、静かに息を整える。
「大丈夫……まだ動ける。アレスなら――絶対に諦めない。ここからが本番だよ、オルクス」
オルクスは黒い霧をさらに濃くし、死神としての本気を解き放つ。
「ああ。ここからは――死の領域だ」
アリスは直感した。
(……来る。オルクスの本質が!!)
オルクスはゆっくりと息を吸い込んだ。
その動作だけで、亜空間の霧が後退する。
「アリス。お前は強い。アレス・オリンの力を継ぎ、エリスの魔を宿す。だが――」
その声が変わった。
低く、深く、まるで地の底から響くような音。
「死を知らぬ者に、死神は倒せぬ」
黒い霧がオルクスの足元から噴き上がり、その身体を包み込む。
アリスは反射的に後退した。
(……魔力の質が変わった。さっきまでの死の気配とは違う。これは……もっと根源的な……)
霧が渦を巻き、オルクスの輪郭が歪む。
骨のような白い線が浮かび上がり、黒い霧がそれを覆い、やがて形を作り始めた。
アリスが攻撃魔法を放っても、いともあっさりと弾かれてしまう。
そして霧が晴れた瞬間、アリスは息を呑んだ。
オルクスの姿は、もはや人型ではなかった。
背後に広がるのは、巨大な骸骨の翼――
骨と霧が混ざり合い、羽ばたくたびに空間が削れる。
腕は細く長く伸び、指先は刃のように鋭い。
その一本一本が死の概念を帯びている。
顔は仮面のように白く、目の部分だけが深い闇の穴となっていた。
その穴を覗き込むだけで、魂が引きずられそうになる。
アリスの背筋に冷たいものが走る。
(……これが……死神の本当の姿……? さっき戦った時より……ずっと濃い……まるで死そのものが形を取ったみたい……)
オルクスの声は、もはや人の声ではなかった。
「これが私の本質の力。『死の概念』が形を取った姿だ」
翼が広がるたび、亜空間が歪んで裂ける。
「お前はどうだ? 『本物』は『本質』に勝てるのか?」
アリスは目を閉じ、掌を胸の上で交差させた。
(怖い……でも、逃げない。アレスなら絶対に逃げない。エリスなら絶対に怯まない)
そして意を決して叫ぶ。
「来なさい、オルクス。あなたの死がどれほど強くても――わたしは負けないっ!!」




