第六十五話 トリナ島の地下遺跡
黒い霧に飲まれ、ネプト、ディアナ、ヴェスタの姿が完全に消えた瞬間、アレスの胸の奥で何かが弾けた。
仲間を失う恐怖も、卑怯な手段への怒りも、もちろんある。
だが――仲間との貴重な、かけがえのない「時間」を奪われた事実が、アレスを突き動かした。
「……絶対に助ける。三人を……必ず取り戻す」
アレスは地面を蹴り、森の奥へと駆ける。
その速度は、これまでの訓練で見せたどの動きよりも速い。
発声を隠さなくなったエリスが低く囁く。
「アレス、急げ。死神は、救助が来る前に『仕事』を終えるつもりじゃ。教師たちが気づく前に遺跡へ入らねばならぬ」
「分かってる……!」
昼夜サバイバル訓練中、教師たちは遠隔監視魔法で訓練生の位置を把握している。
アレスは魔力の流れを読み、監視魔法の死角を縫うように走る。
枝が頬をかすめ、風が耳を裂く。
だが、足は止まらない。
魔力の流れを読み、最短距離で遺跡へ向かう。
エリスも導くように叫ぶ。
「アレス、右へ。あの大木の影は、監視魔法の範囲外じゃ」
「ありがとう、エリスさん……!」
アレスは木々の間を縫うように走り、監視の薄い区域を選んで進む。
魔力の流れを読む力が、ここで最大限に活きていた。
「教師たちに見つかれば、救助が来る。だが……それでは遅い。死神は、計略が違えば三人を生かしてはおかん!」
「だから……僕が先に行く!!」
アレスの呼吸は荒い。
だが、足は止まらない。
遺跡へ向かう途中、森の奥から複数のモンスターの気配が迫ってきた。
訓練用の魔獣ではない。
野生の、殺意を持った本物だ。
アレスは立ち止まり、腕に巻かれた銀の腕輪――オルフェの腕輪に触れた。
「……このままじゃ間に合わない。エリスさん、腕輪の制限を……少しだけ弱められる?」
エリスは一瞬だけ沈黙し、そして静かに答えた。
「……本来なら止めるところじゃが、今は時間がない。わらわの力を少しだけ流す。だが、制御を誤れば……お主の身体がもたぬぞ」
「大丈夫。僕は……三人を助けたい」
「……ならば、覚悟を決めよ」
腕輪が淡く光り、封印がわずかに緩む。
アレスの体内に、エリスの魔力が流れ込んだ。
「――っ……!」
視界が一瞬白く染まり、身体が軽くなる。
魔力の奔流が血管を駆け巡り、筋肉が震えた。
エリスが囁く。
「アレス……今のお主なら、あの程度の魔獣など敵ではない」
茂みを割って、牙を剥いた魔獣が飛び出してきた。
狼型のモンスターが三体、背後からは巨大な猪型が突進してくる。
ネプトなら氷を放ち、ディアナなら距離を取り、ヴェスタなら炎で牽制しただろう。
だが今は――アレス一人。
アレスは深く息を吸い、魔力を解放した。
「――どいて!」
地面を蹴った瞬間、アレスの姿が消えたように見えた。
次の瞬間、狼型の魔獣の背後に回り込み、拳を叩き込む。
「ガッ――!?」
魔獣が木に叩きつけられ、動かなくなる。
続けざまに、猪型の突進を横跳びでかわし、
掌に魔力を集中させて地面へ叩きつけた。
「火炎散弾!」
地面が爆ぜ、衝撃波が猪型を吹き飛ばす。
残りの魔獣も、アレスの一撃で次々と沈んでいく。
エリスが満足げに囁く。
「よいぞ、アレス。火炎そのものではなく、勢いで生じた周辺の衝撃波で倒せたか」
「まだ……まだ行ける。三人を助けるまでは……止まれない!」
アレスは魔獣の残骸を飛び越え、再び走り出した。
森を抜けた先に、古代遺跡が姿を現す。
苔むした石柱が立ち並び、中央には巨大な石扉が口を開けている。
アレスは息を呑んだ。
「……ここが……」
エリスが低く囁く。
「この遺跡は、外部からの魔力感知を遮断する構造になっておるのう。ここに入れば、教師も警護隊も……お主の存在を追えぬ」
「つまり……ここなら、エリスさんが表に出ても……」
「そうじゃ。わらわの力を使っても、気づかれぬ。あの3人には、記憶修正で忘れてもらうだけでよい。アレス……ここから先は、わらわも前に出る覚悟を決める」
アレスは胸に手を当てた。
「……ありがとう、エリスさん。僕一人じゃ……不安で勝てないかもしれなかったけれど、2人なら!」
「お主は一人ではない。わらわがいる。そして――三人が待っておる」
アレスは石扉の前に立ち、深く息を吸い、力強く押した。
内部に入り、扉を閉め、照明魔法を発動させて進んでいく。
「アレス……ここは、立ち入り禁止区域。中盤ミッションでも外周の調査までしか許されておらんかったはずじゃ」
「うん……だからこそ、誰も来ない。先生たちも、警護隊も、他の班も……誰も」
アレスは息を荒げながらも、冷静に状況を整理していた。
遺跡は島の中でも特に魔力が乱れ、危険度が高い区域。
監視魔法も届きにくく、訓練生が迷い込むことを防ぐため、学校側もこの合宿では厳重に出入りを禁じている。
だからこそ、オルクスはここを選んだ。
そして同時に、アレスにとっても都合が良かった。
「ここなら……エリスさんが表に出ても、誰にも見られない」
「そうじゃ。わらわの力を使っても、外からは感知されぬ。他の者を巻き込む心配もない……ある意味、最も戦いやすい場所じゃな」
アレスは頷き、腕輪――オルフェの封印具に触れた。
空間の奥から、冷たい魔力が流れ込んでくる。
まるで死そのものが呼吸しているような気配。
「行こう、エリスさん」
「うむ」
アレスたちは暗い通路の奥へ下へと進んでいくのだった。




